×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -


 カトレア 04

「あ、あの、ちょっと……っ」


掴まれたままの腕をするりと撫でられて、その大きな手が不意に一点を掴んで止まる。


「……調査兵団なんかに行くから、こんな傷が出来るんだ」


マルクスが掴む腕には、きっと最初で最後だった壁外調査で負った傷跡がまだ残っていた。

肘の下から深く切れたその傷は薄くなることはあっても、きっともう消えることはない。

だけど私はその傷も嫌いじゃなかった。

今はもう骨折した跡もほとんど残っていない脚もそうだけど、リヴァイが怪我をした場所に何度も緩く触れて口付けてくれるから。



薄い茶色い瞳に見下ろされて、目を合わせないように俯きながらどうにかして身を捩る。

酔うと人が変わる人もいるって聞いた事あったけど、まさかマルクスがそういうタイプだとは思わなかった。

酔いが醒めたらきっとこんなことをしたなんて物凄く気にするはずだ。

それに何より、この手に私自身触れてほしくない。
リヴァイじゃないとこんなにも嫌悪感を感じるものだなんて知らなかった。

触れられたところから肌が粟立つ。
熱くなるどころか、その部分から嫌な感じに冷えていく。

肌に感じる相手の体温も、なんだか危ういこの場の雰囲気も物凄く居心地が悪い。

腕も、首も。
違う人の手で触れられたくない。



「それにお前……ろくにキスもしたことなかっただろ?」



少しだけいつもの調子に戻った友人の声に、かぁっと驚きに頬を染めて視線を返した。

し、したことなかったけど…!
そんなこと今聞く必要あるの…!?


「男ってのは、恋愛感情がなくても出来るもんなんだよ」

「え…?」


キス以上も色々とな、とマルクスは付け加える。


「だから……お前のその好きな奴が、お前と同じ気持ちかどうかも分からないだろうが」


……でも。

だって、リヴァイの触り方はこんな風に軽い感じじゃない。

いつもそう思ってきた。
関係が進展して、その腕に抱き締められて、肌にやっと触れられて。
触れる部分から気持ちが溶け合うような。

確かに言葉は言ってくれないけどその気持ちは本当だと、思う。


そう思った瞬間、胸が嫌な音を立てて軋んだ。


……その、気持ちって?
本当ってどういう意味?

好きって彼の言葉で聞いたこともないのに。

だと思うって、自分でそう思いたいだけなんじゃないの?


考えないようにしてた想いが途端に膨れ上がる。
好きとか、愛してるとか、そういう言葉は言わない人だって分かってる。


………分かってる、って。

本当に私はリヴァイのこと分かってるの?

いつも彼の言葉は足りなくて、何考えてるか分からないって思うこともある…けど。


だけど、
違う。

そんな、ただわざと言葉を言わないだけの人じゃない。
リヴァイの柔らかい表情も、優しい指先も、その向こうにちゃんとした愛情があるってしっかり感じられたから。

彼のことを全部が全部分かってなくても、大丈夫。

手に入らないと思っていたあの人が振り向いてくれただけで良いって思ったじゃない。

不器用で、優しくて。
言葉より行動で伝えてくれるあの人を信じてる。


信じ、たい……。


じわりと涙が滲んで、それを隠すように俯いた。


「だから…やめとけって言っただろ」


上から掛けられる声の真意は分からない。
だけどなんとなく痛々しく聞こえて、余計自分が惨めになった。


「……離して……」


嫌だ、と心底思って唇を噛んだ。

聞きたくない。

私はこれで良かったのに。
一つも疑わないでリヴァイのことだけ想っていたい。

マルクスはいつもそうやって私の気持ちを試すようなことばかり言う。

本当は考えたくなかったところばかり見せ付けるように抉り出す。

もう聞きたくない。

だってそれは全部自分でも痛いくらい分かっていたことで、そんなことリヴァイを諦める理由になんかならない。


悩んで不安で、私ばっかり彼のことが好きな不釣り合いな関係だとしても。
それでもリヴァイにはっきり断られるまでは、私から諦めたりなんかしない。

リヴァイは私のことを傷付けないし、誰よりも安心させてくれることには変わらない。

リヴァイが大切そうに抱き締めてくれるだけで、好きだとか、はっきりした言葉なんか……。

聞かなくても、大丈夫。
全然……不安なんかじゃない。

時々見せてくれるリヴァイの気持ちには嘘はないと思えるから。


掴まれたままの腕が痛い。
掴まれている力自体は強くなんてないのに。

触って欲しくない。

帰りたい
今すぐ帰りたい。

今すぐ抱き締めてほしい。

この手じゃない。
この香りじゃない。
私が欲しいのはーーー。



「ーーーっ!」



これ以上は揺さぶられたくなくて、隙をついて掴まれていた手を振りほどく。
間近から見下ろしてくるその体を思い切り両手で押して、その隙間からすり抜けた。


しっかりともう片方の手の中にあったはずの冷たいグラスが、水滴に濡れて今はもう上手く握れない。


彼の体から逃れた瞬間に、綺麗なグラスは石造りの床にするりと落ちて砕け散った。


カシャ、とその破片が弾ける音もどこか薄くぼんやりとしていて。


薄暗い庭園の中ではそんな音も響かずにすぐ消え、広間からは変わらず人々の談笑が聞こえる。


「エマ、おい待てって…!」


ヒールでも走れないことはない。

石が敷き詰められた庭園で良かった、と少し混乱した頭で考える。

慣れないヒールを履いた自分の足で、革靴を履いたマルクスから逃げるのは難しいのも分かっていた。


でも、この人は一緒にいたい人じゃない。


蔦や垣根が綺麗に剪定された植物を回り込みながら、マルクスから身を隠すようにして大広間へ繋がるバルコニーへと急いだ。

人の目があれば彼も無理矢理近付こうとはしないはずだ。
酔いも覚めるかもしれない。

馬車が来るまでなんとかやり過ごして、逃げ帰るしかない。


バルコニーまで辿り着くと、降りるときと昇るときではかなり勝手が違って来ると分かった。

簡単に飛び降りたはずなのに、同じように簡単には登れる高さではない。
しかもこの動きにくい…というか、いつも通り動いてしまったら色々と際どいこの姿で。

大広間は二階部分にあるみたいだけど、普通の二階よりは地面に近く、低く作られている。
目線より少し上のバルコニーを見上げた。

このまま無理矢理登った方がいいのか、他の入り口を見つけに行った方がいいのかと一瞬躊躇した隙に、すぐ後ろで革靴の音が響いた。


「!きゃあ……っ」


振り向くより早く腕を掴まれ、思い切り後ろへ引かれてバランスを崩す。

バルコニー横の白い壁に体を預ける形になって、もう一度マルクスと正面から向き合うことになってしまった。


「いた…っ」


冷たい外壁に押し付けられた背中と、強く引かれた腕が痛い。
さっきみたいに逃げられない様に、マルクスは両手を私の顔の両脇に付いて顔を近づけた。


「おい……そんなビビるなよ、俺はお前の為に言ってるんだ」


何言ってるの、この人…!


「な、なんでこれが私の為なの…!?」


彼のいう様に少し怯えたところを見せてしまった自分を途端に後悔する。
それと同時に、なんで酔っ払った勢いでこんなことされなきゃいけないの、と怒りも湧いて来たまま睨み返した。


「お前はまだよく分かってないだけだって、いいから少し話を聞け」

「分かってないのはそっちの方でしょ!?
なんでマルクスに決められなきゃいけないの、私は今のままで幸せなんだってば…っ」



周りの価値観に振り回されてたらだめだ。

確かに恋愛の基本は知っていた方がいいかもしれないけど。
色んな性格の人がいるんだから、恋愛もきっと決まったルールなんかない。

リヴァイが好きとか愛してるとか、私のことをどう思ってるとか言ってくれないなんて、そんなことはきっと一番大事な事じゃない。


「エマ、聞けよ」


顔の横に付かれていた手が、今度は頬に触れて体が固まった。


「な、に…っ」


思わず顔を逸らしてその手から逃れようとするけど、二度目は上手くいかない。

顎に移動した指先に力が入って、嫌な気配にぞわりと何かが肌の上を走った気がした。


逃げられない。
嫌だ。
いやだ、離して。

更に顔が近づく気配に、思考が半ば停止する。


「……え、や……っ」


自由になる両腕で思い切りその体を押しても、今度はビクともしない。

なんで?
こんなに力を入れてるのに。

う、嘘でしょ。
これってーーー!


「……試すだけ試してみればいいだろ。
そうしたらお前も気付くはずだ。一方通行の恋愛なんて、わざわざする必要ないってーーー」


顔にマルクスの髪がかかる。

さっきのような肌の粟立つ感触を覚悟して、でも強く押さえられて身動ぎも出来ずにぎゅっと目を瞑った。




その時、誰かがすぐ近くの地面に勢いよく飛び降りた気配がした。



じゃり、と踏まれた小さな砂が音を立てる。




「−−−…別に、一方通行じゃない」




よく通る低い声が鼓膜を揺らす。

はっ、として、その声の主に顔を向けたのは、私もマルクスも同時だった。


声を。
彼の声を、私が間違えるわけも無い。


大広間からバルコニーへと続く、開け放たれた大きな窓から明かりが漏れて。
逆光で見えなかったその顔が、近付くにつれてはっきりと見えてきた。

夜より黒く光る双眸がこちらへ向けられているのが分かる。

私の瞳にだけかも知れないけど、やけにゆっくりと見えたその姿はここにいるはずのない人のもので。

あまり見慣れないしっかりとしたデザインのスラックスに、ネクタイもジャケットも無い状態で形の良いシャツだけを着ている。

その眉間が私の顎を掴んだままのマルクスの手を見て、更に深く寄せられた。


チッ、と静かな空間にとてつもなく苛立たしい舌打ちが響いて。

続けて「オイ」と更に低いところから声が発せられる。


「……というか誰だてめえは。
今すぐその手を離さねぇと、明日から少しお前の顔が変わるかも知れねぇな」


そう言ってから、間髪入れずにその足がこちらへ近付く音がする。

言葉だけの脅しではない。
何の構えも取っていない体勢だけどその拳は強く握られていて、臨戦態勢、の文字が浮かんだ。


なんだか彼らしい言い回しだけど、その凶悪な雰囲気で言われれば。


「えっ、は、すいません…!」


マルクスも例外ではなく、私に触れていた片方の手だけではなくて両手のひらをぱっと上に広げてから一歩後ずさってみせた。


震えていた身体が自由になった瞬間に安堵の吐息が漏れる。

「……っ」

ふらりと、まだ少し震える膝で堪らずその人の元へ駆け寄る。


ーーーーーリヴァイ…!


私が辿り着く前にリヴァイも大きく足を踏み出して、受け止めるように手を広げてくれる大好きな人の首元に抱き着いた。


少しだけ身長の高い彼に身体を預けると足から地面の感触が消えて、代わりに背中と腰に力強く支えてくれる彼の腕を感じた。


その香りと熱い体温に包まれて、欲しいのはこの人だけなんだと改めて再確認した。


他の全てを遮断してリヴァイの首元に顔を埋める私は、私の背に手を当てた彼がその露わすぎる肌の感触にぴくりと反応したことには気付かないでいた。


動く気配が無い私をリヴァイは軽く腿から持ち上げるように抱き直してから、その場で立ち尽くす長身の男に眼を向ける。

ぴり、とその場に走る鋭い空気に押されて、マルクスは自分より身長が低いはずのその男に完全に気圧されていた。


「全部は聞こえなかったが、要はこいつを心配してくれていたらしいな……?」


当のマルクスの方はこの顔は見た事がある、と自身の記憶を探っていた。

……これがエマの好きなやつ?

いや、これは確かに普通じゃない。
エマは付き合ってるともはっきりと答えられなかった癖に、なんだ、こいつのこの感じ。

嫉妬の度合いを軽く超えているような雰囲気。
腕の中のそれは完全に自分のものだという独占欲が見え隠れする。

加えてこの有無を言わせない、圧がある口調。

ここでやっと、いくつか聞いた事があったその人物の特徴が繋がった。


調査兵団の……

「リヴァイ、兵長…!?」


地下のゴロツキ上がりというのも嘘じゃ無いのかもしれない、と小さく思った。

それなら逆に納得だ。経験値が違いすぎる。


否定も肯定もしないその人は思った通りの人物で間違い無いのだろう。

想像していたよりもずっと人間的で、噂通り目付きが悪い、と思った。



「……こいつは他を試す必要もない。充分間に合っている」


なんだかこの人類最強には誰にも侵せない彼なりのペースがあるようだ。


自分の所有物に対する目に見えるほどの執着と独占欲。
この男の周りには獣のように縄張りさえある気がした。


こちらの動向を全て見透かすような、黒くて底光りする眼に明からさまな怒りが見えて閉口した。

夜の湖みたいに黒いのは、この男の髪と瞳の色だけじゃない。



「……二度と触るな、次は無い」




薄暗い中にその言葉だけを聞いたのを最後に、マルクスはじり、と一歩後ずさってから向きを変え、足早にその場を後にした。



中庭からサロン内への廊下へ入り、完全にその姿が見えなくなってから、マルクスは無意識に息を吐いた。



確かに、一方通行どころじゃない。

あれで自分の事を好きじゃないのかもと不安がっているのだったら、エマ、お前は救いようがないぐらい鈍い。



  


Main>>home