△ カトレア 02
はっとして振り返ると、そちらも驚いた様な懐かしい顔があった。
明るい短めの金髪に薄い茶色の瞳と、人懐っこさそうな表情。
すらりと長身な体系に薄いグレーの正装が似合っている。
調査兵団に異動してからは音沙汰もなかった、憲兵団の…。
「……マルクス?」
その名前を呼ぶと、彼は白い歯を見せて笑った。
幸か不幸か、こんなところで憲兵団の同期に会うなんて。
「やっぱりそうか!こんなところで何やってるんだよ。
調査兵団から誰かが来るっていってたのはお前のことだったのか?」
マルクスはいつでも明るくてムードメーカーでもある。
それに見合って声も大きい方だ。
その大き目な声に反応して、調査兵団?と小さく囁きながら何人かが怪訝な顔でこちらを振り返った。
その場の雰囲気から調査兵団はかなり注目されるのも分かった。
あの男性兵士がジャケットを預かると言った意味。
もしかして、これだったのかな。
調査兵団と言うだけで、こんなにも好奇の目が向けられるなんて。
いつもならそんなことも気にせずに胸を張るところだけど、今日だけは状況が違う。
出来るなら静かに抜け出したいと思っているのだ。
注目はされたくない。
「ちょっと、マルクス」
こっちに来て、と華やかな広間から静かな廊下へと場所を移す。
取り合えず知り合いに会えたことを感謝するしかない。
ここがどこなのか、どうやったら帰れるのか少しでも情報が欲しい。
「なんだこんなところで。俺も一応エスコートってのをしなきゃいけないんだけどな」
「あ、ごめんねいきなり。だけど私早くここから出たいの…。
あまり注目されるとこんなことも聞けないし。
ここって王都のどの辺りなの?このパーティーってあとどれくらいで終わる?」
あと、馬車は…と矢継ぎ早に思いつく限りの質問をしてから、じっとこちらを見つめたままの彼の視線を感じて口を閉じた。
こんなに真剣に聞いてるのに、もしかしてどの質問にも分からないと答える気なのかも、と彼の出方を伺う。
けれど、それでも言葉を発しない目の前の懐かしい知り合いを見上げた。
「……なに?ちょっと、人の話聞いてる?」
彼はそう聞いた私の顔を「ふーん」と言いながら顎に拳を当てるようにして、次いで私の服装を上から下まで見下ろした。
「…服装と髪型のせいかな。なんか、少し見ない間に大人っぽくなった?
そのドレスもかなり大胆なやつ選んだな」
言われて、咄嗟に言葉に詰まった。
思わず、もう遅いと知りながら後ろのデザインが見えないように何歩か後ずさる。
「もう遅ぇよ」とくつくつと笑うマルクスがそういう、このドレス。
私もこれを広げて見たときはかなり驚いた。
濃紺のサラリとして光沢のある生地。
光の当たり具合できらきらと光る素材。
前から見る分にはまだ良い。
細い繊細な肩紐で吊られているデザインのそれは、とても上品な印象なんだけれど、その後ろは前側に比べると明らかに生地の面積が少ない。
というか、背中から腰の辺りまで全く布が無く大きく切り取られた形をしているのだ。
こんなドレスでは恥ずかしくて人前に出られないと廊下では躊躇したけれど、覗き込んだ広間ではもっと際どいドレスを着こなしている女性が大勢いたので少し感覚が麻痺しつつあった。
マルクスが言うのはいつも男の子のような恰好をしていた私にしては大胆、という意味なのかもしれない。
これは私の趣味じゃない、と焦って口を開いた。
「無理矢理連れて来られたから帰りたいの。
これも私が選んだわけじゃないから…っ」
「ふーん?でもお前に良く似合ってるよ。
よく見るとお前も女らしい体してんだな」
そう言って気軽に触れてこようとするから、つい憲兵団時代のときのように「なに普通に触ろうとしてるの!」とその手をぱしっと叩いた。
それでも悪びれないマルクスは、どこがいいのか以前からひっきりなしによくモテる。
女性の扱いに慣れているので、誰でもすぐ褒めたり触ろうとしたりするのは変わらない。
いい人だとは思うけど、こんなに軽い男のどこがいいのか、私には良く分からない。
リヴァイだったらこんな風に軽く触れたりなんかしない。
大切そうに触れてくれるか、少し強引に抱き締めてくれたりする。
その腕の強さにも胸が高鳴って…。
とぼんやり考えてから、今はそんなこと思い出してる時じゃないと慌ててかぶりを振った。
「……お前も変わらねぇな。
うーん、帰りたいって言ってもなぁ。少なくともあと五時間はうちの馬車も迎えに来ないし…」
五時間!?
嘘でしょ…、それって他の馬車も同じなの?
思わず呆然とした私の背後から、不意に誰かの足音がした。
「マルクス?そんなところで何してんだ」
私の背後からマルクスにその誰かが声を掛けて、エントランスの方から何人かが近づいてくる気配がする。
そちらを振り返ると、三人の男性と目が合った。
お、と口々に小さく声を上げる男の人達は私のドレスの背中を見てそう言ったのかもしれなかった。
居心地の悪さを感じて、咄嗟に背中を隠すようにしてマルクスの横に並んだ。
いつもとは違う強くカールされた髪が肩に揺れる。
マルクスと同じくらいの長身の男の人達に、値踏みされるように見降ろされると嫌でも体が縮こまった。
「この子も憲兵団?」
「名前は?こんな子がいるなんて知らなかったな」
「エスコートは誰なの?」
こうしてじろじろと見られるのは誰だって落ち着かないはずだ。
返事をする暇もなく質問が降ってきて、マルクスが横で思わず噴き出した。
「おい、あんまりがっつくなよ」
からかうようにその友人たちに声を掛けた後、ふとマルクスが身を屈めて私に聞いてきた。
「……そういえばお前、本当にエスコートの奴はどうした?」
エスコート。
確かに調査兵団のもう一組の人たちは男女ペアだ。
でも私はここに来た時も一人だった。
私にそんな人いるの?
そんなの聞いてない…。
「わ、分からない。それっていないといけないの?」
「え?いや、いけないというか……」
戸惑い気味にそう交わす私とマルクスの言葉は、彼の友人たちにもしっかりと聞こえていたようだ。
途端に明るい声が廊下に響く。
「エスコートいないの?丁度良かった、俺たち今夜は男だけなんだ!
ダンスタイムも一人だとつまらないでしょ?」
「ここのサロンは初めて?おいでよ、中を見せてあげるから」
「えっ?あ、あの…っ」
大丈夫です、と言う前にぐい、と肩を掴まれて広間の方へ引っ張られた。
「おい、お前ら!」と後ろから声を掛けるマルクスの声も遠くなる。
慣れないヒールで半ば押されるようにしながら、その人たちともう一度広間へ足を踏み入れる。
どうしよう、こんなことしてる場合じゃなくて早く帰る方法を見つけたいのに。
どうにか逃げるタイミングを伺っていると、肩を掴む男性がふとある一点を認めて声を出した。
「ああ、今日は調査兵団のやつらも来てるらしいね。
珍しくエルヴィンの代わりにリヴァイが来るって噂があって俺らも見に来たんだけど、なんだかガセみたいだな。」
…リヴァイが?
ううん、リヴァイがこんな所に来るわけない。
こんな噂と自慢話だけが目的の社交場なんて、彼が如何にも嫌っていそうだ。
「君も人類最強っていうのもただの噂だって思うでしょ?
本当は腰抜けの、戦ったこともないような奴かもしれないよね。
きっと外に行っても前線に行きたくないとか、兵士長っていう身分を利用して自分で最強なんて言いふらしてるだけなんじゃないかな」
それを聞いて、薄く唇を噛んだ。
そんなわけ…ないでしょ。
責任感が強くて、自らの危険も顧みず第一線に出て行こうとする彼を思う。
人類最強という呼び名も兵士長という肩書きも、彼という存在に後からついて来たものだ。
誰よりも他の人の為に自分の能力を使おうとするあの人を周りがいつの間にかそう呼んでいた。
その働きを見てエルヴィンや兵団の人達が彼を兵士長という位置に立たせるだけの人材だと判断したんだ。
きっとこの人も悪気があって言っているわけじゃない。
彼の噂だけ聞いたらそう思うのも仕方ないのかもしれない。
この人達も憲兵団だと思うけど、こうして王都で生活していたら調査兵団のことも壁外のことも分からなくて当然だ。
誰だって自分の目で見なければリヴァイのことも、調査兵団のことも分からない。
兵士長ではない彼を知っているはずの私自身、信じられない部分も大きかったから。
噂だけだと信じられないのも当たり前だ。
ここで私が感情のまま憤慨したとしても何の解決にもならないことも痛いほど判っていた。
良くない噂なら憲兵団にいた時から耳にはしていた。
きっと、調査兵団や彼のことをそう思っているのはこの人だけじゃないと分かるから。
………だけど、やっぱり。
あの人のことを知りもしないのに色んなことを噂されるのはいい気分じゃない。
大広間の人波に混じった瞬間に、肩に置かれた手を思い切り振り解いて先ほど確認しておいた窓の外へバルコニーへ走った。
一瞬振り返った先に見えた男性たちは違う方向を向いていて、人混みを反対方向へ抜けた私には気付いていない様だった。
バルコニーから下を覗くと地面が思ったより近くにあったので、ドレス姿ということも一瞬忘れて装飾がされた手摺りを飛び越えた。
そのまま中庭の庭園へと抜ける。
退屈な社交界には調査兵団は格好の噂の的なのだと実感した。
いつもはエルヴィンが上手く立ち回っているんだろう。
嫌味や皮肉を言われてもエルヴィンならさらりと受け流していそうだ。
……帰りたい。
今すぐリヴァイの元に帰りたい。
なんでこんなことになっているんだろう。
何度目かの溜息を吐いて、座り込む白い石垣を膝の横で掴むようにして俯いた。
夏なのに完全に日が沈んだ夜の風はもう冷たい。
素肌と大きく開いた背中を冷えた夜風が撫でていって、無性にリヴァイの熱い腕に抱き締めて欲しくなった。
溢れる噴水の音だけが辺りを包んで、大広間から聞こえる楽しそうな人達の笑い声が遠くに聞こえる。
「なんだ、こんなところにいたのか」
自分の気持ちとは正反対の明るい声が聞こえて、顔を上げた。
声がした方を見ると、マルクスがこちらへ向かって夜の庭園を横切って来る。
街灯のようなものも無いので、庭園を照らすのは少し離れた建物から届く灯りだけだ。
噴水を大きく回って歩いてくる背の高い彼の手には、綺麗な液体が入ったグラスが二つ握られている。
「……なにそれ」
沈み込んだ声を出した私に、マルクスは「まあまあ」といってその一つを手渡して来た。
「折角ここまで来たんだ、お前まだ何も飲んでもいねぇんだろ。取り敢えず乾杯でもしようぜ」
「これ……お酒なの?」
「酒とも呼べないかもな、ただのカクテルだ」
ただのカクテル。
と言われてもそれがなんだか分からない、とは言えなかった。
甘くて良い香りがするのは分かる。
断る理由も無くて、濃淡の赤が混じった不思議な色の飲み物に口を付けた。
香りと同じ、甘くて少し炭酸が効いた綺麗な味だった。
「…美味しい」
ほっと息を吐くと、ここに来てからやっと周りを見る余裕が出来た気がした。
そんな私を横目で見てから、マルクスも自分のグラスを傾けた。
驚いたけど、ここでマルクスに会えてよかったと思う。
憲兵団にいた時はよくからかわれたりして、その軽い感じが少し苦手だと思っていたけれど別に仲が悪かったわけではない。
そういえばいつもどんなことでからかわれていたんだっけ、と記憶を探っていると、隣に座り込んだその彼が口を開いた。
「なぁ、調査兵団はどうなんだ?」
どうって…?
「え…?楽しいよ。
あ、言ってなかったかな、私元々調査兵団希望で…」
「ああ、知ってるよ」
そう言いかけると被せるように遮られた。
あ、やっぱり言ってたんだっけ。
マルクスの他にも同期の子は何人もいるし、誰に何を話したかなんてよく覚えていない。
…なんて言ったら怒られそうだから黙っておこう。
静かにそう決め込んで、爽やかな味のするそれをもう一度飲み込んだ。
「それだけじゃなくてさ。
お前、好きな奴が調査兵団にいるって言ってたろ。その後どうなんだよ」
「えっ…!?わ、私そんなことまで言ってたの?」
これには自分で面を食らってしまった。
確かに何人かには話したような記憶もある。
丁度異動が決まった時期に、どこで聞き付けたのか次々と同期の子に質問責めにされた。
折角入団出来た憲兵団を抜けて調査兵団に行くなんて、なんでと詰め寄られたのはどれも女の子だったと思ったけど…。
調査兵団に入って人類の為に。
誰かがやるべきことを任せたままにしたくない。
それにそこには好きな人もいるから、少しでも近くにいたい…なんて。
そんなこと、私マルクスにも言ってたの?
「それも覚えてもいねぇのかよ…」
呆れたような彼の声が聞こえて。
言った後で、思い出した。
……そうだ、いつもマルクスにからかわれてたのは……
「言っただろ、そんな年上のやつと上手くいくわけないって。
まだそんな奴のことを好きだとか思ってんのか?」