△ ナカロマ 52
念入りに何度も巻いた手綱を手から外そうとして、目元が霞んで手こずり急に怖くなった。
手の先から痺れるような、冷たくなっていく感覚。
体力が戻ったらどうにかなると漠然と考えていたけど、この状況で本当に満足に動ける様になるだろうか。
ーーー壁外において所属班、または仲間とはぐれることは直接的に生命の危機へと繋がる。
巨人との戦闘で生き残り、その後馬に乗って幸運にも帰還した兵士も少数ながらもいたという話は聞いたことがあった。
その為、壁の警備に当たる駐屯兵団は特に壁外調査が行われた後数日は通常以上に注意深く見回ることが義務付けられている。
ただ、何人の駐屯兵士が真面目にそれに従っているかは定かでは無い。
足の痛みは落ち着いたと思ったらまた痛み出しているし、この分だと更に発熱するか、運が悪ければ回復出来ないかもしれない…。
馬の手綱を震える手で握り締めて、ゆっくりと離した。
「ここまで連れて来てくれてありがとう…ね」
馬は低く鼻を鳴らしてくれた。
自分がどうなるか分からないのに、この馬を見つけた時のように手綱を木にくくりつける気にはなれなかった。
きっとこの馬の持ち主は自分が死ぬなんて夢にも思っていなかったんだろう。
もう一度その優しい毛並みを撫でて、その背中に乗ったまま暗闇の中の適当な木に向けてアンカーを打つ。
カシュ、とアンカーが幹に刺さった音が響く。
薄く息をゆっくり吐いて、ワイヤーを巻き取った。
「…う…っ」
身体中に巻き付けてある体重移動装置のベルトが、鈍い全身をぎりぎりと刺激する。
今度はどんなに気をつけても左足に全体重が嫌でもかかって、気を失うような痛みにじわりと冷や汗が額を伝った。
重力に逆らって身体が引っ張られることが、こんなに気持ち悪いと感じたのは初めてだった。
内臓が全て、上下左右に揺さぶられる。
ワイヤーを巻き上げ、自分の体よりも太く、大きな枝まで辿り着いたところで、まだ暗いはずの森の中で目の前が一瞬白く、遠くなった。
頭から急激に血の気が引いて、言い表せない気持ち悪さが身体の中から一気に外に出ようとしてる。
あ、だめ…だ。
「…う、ぇっ」
耐え切れず、大して入ってもいなかった胃の中のものを戻してしまった。
間一髪木の枝から身を乗り出すことは出来たものの、胃がまだ痙攣しているのが分かった。
はあはあと肩で息をして、馬の鞍にかけてあった皮の水筒を取り出して何度か口をゆすぎ、顔にも水を掛けた。
木の枝の上に力なく置く手も体を支えることが出来ず、すぐにぶるぶると震え出す。
目は開いているのに見ているはずの景色がふわふわと現実味を無くし、見下ろした地上に吸い込まれそうになったので身を捻って枝と幹の間に倒れこんだ。