目当ては
カチャリ
真っ白な陶器のティーカップをソーサーに戻す。
珈琲の深い味わいが、睡魔と疲労で蕩けた俺の思考回路をクリアにさせてくれた。
まだカップからは湯気が立ち上がっている。俺はそれを確認して、手帳を取り出し、現在担当している事件の確認を始める。
捜査自体は難航していないのだが…決定打となる情報を入手できず、各々が焦っている。そんな状態だった。
その焦りが効率を悪化させ、進度が芳しくなくなる。結果、また気持ちだけが急いてしまう…ここまでくると完全に悪循環でしかなかった。
さて、どうしたものか。と頭を悩ませていると、「来須さん」と可憐な声をかけられた。
「お仕事お疲れ様です。あ、珈琲のおかわりは…まだでしたか」
「ああ、悪いな名。もう少ししたら頼む」
「いえいえ。ごゆっくりどうぞ?」
と、優しく微笑んで名は他のテーブルへ注文を取りに行った。
よくこの店を利用していると従業員である彼女がよく珈琲をいれてくれて、それでなんとなく会話をするようになったのだ。
結構長い付き合いになるだろうか。店が落ち着いているときは仕事やプライベートの事なんかも語り合い、年齢こそ離れているが良い友人と呼べるような関係を築いていた。
「(いや、友人じゃないな…)」
そう。俺は年甲斐もなく、名に対して恋愛感情を抱いていた。
殺伐とした職場や日々の中に咲く一輪の可憐な花。それがこの俺にとっての名だった。
ある意味仕方ないところもあるかもしれない。男所帯の職場で、やれ誰が狙われているだの、どこで刃傷沙汰があっただの、どこで強盗があっただの…そんな毎日を過ごしているとどうしてもスローペースでゆったりとした存在や空間に癒しを求めてしまう。
俺の愚痴やモヤモヤをいつも笑顔で名は受け入れてくれているのだ。
心がそちらに傾かないはずがない、と自分自身にこっそり言い聞かせた。
「(しかし)」
ちらりと視線をあげて、名をこっそりと眺める。
ニコニコと微笑みながらきびきび働く彼女。誰に対しても笑顔で愛想を振りまき、この喫茶店の看板娘と呼ぶに相応しい。
そんな名目的に来店する者も確かに多いようで、店内の数名はだらしのない表情で彼女の働く姿を眺めていた。
そいつらを一瞥して、俺は珈琲を飲み干す。まだ熱を保っていたそれを流し込んでしまったため、口内を火傷したんじゃないかと一瞬思ったが、構いやしない。
…なんだかいい気がしなかった。子供じみた感情だ。いい年して、なさけねぇ。
こんなんじゃあ仕事も手につかない。全く集中することができなかった。
俺は取り出したままだった手帳を鞄に戻し、伝票を引っ掴んでレジへと向かう。
そんな俺に気付いた名は、ぱたぱたと追いかけてくる。
「あら、来須さん、もうお帰りですか?早いですね」
「まぁな」
「ゆっくりしていってほしかったんですけど、残念です」
眉を下げながら、少し寂しそうな声音で名は俺にそう言ってくる。
そんな顔をされると、どうにも勘違いしてしまいそうになるな…。
そんなことを思いながら俺は財布に手を伸ばし、硬貨を取り出す。
「そうだ、名」
「なんですか来須さん」
…しまった、特に何も考えず名前を呼んでしまった…。どうしたものか。
「あー、その、なんだ…」
心の底では、彼女ともっと話したい。彼女を眺めていたいという願望があった。
だからこそこんな、無意識に声をかけてしまったのだろう。
だけど何を話したいのか、そんなことまでは全く考えていなかった俺は言葉に詰まり、なんとも情けない曖昧な表情で彼女の問いかけに答えることしかできなかった。
「ふふ、どうしたんですか、来須さんたら」
どうやらそんな俺の様子がおもしろかったらしい。
名は口元に手を当てて、上品に笑った。
そんな様子もひどくかわいいのだが、俺としては情けない限りなんだけどな。
「今日はあんまりお話できなかったから、今度はもっとたくさんお話しましょうね?」
何を言おうか悩んでいたら、俺にだけ聞こえる声で彼女がこうささやいてきた。
その言葉の真意がつかめなくて、彼女の視線をとらえる。
そこには恥ずかしそうに頬を染める名がいて。
「…また来るな?」
彼女に言い聞かせるようにすると、満足そうにうなずいた。
次は、俺が頑張らねーといけねぇな。
そんなことを思いながら小銭を手渡したのだった。
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来須さん好きです。
2012.04.22