夕暮れ刻の秘密
太陽が傾き、赤い光の差し込む図書室に。ふたりの生徒が向かい合い、ペンを走らせている。
…厳密に言うと、ペンを走らせているのはそのうちの一人だけであり。もう一人は心底つまらなさそうな面持ちで、机上に顎を乗せている。
つまらなさそうにしているのは少年の方で。あひるのように唇を尖らせ、その上に鉛筆を乗せて膨れっ面をしている。
一方の女生徒は先刻から一定のリズムで鉛筆を動かしている。
彼女が相手をしてくれないことも、不満要因のひとつらしい。しびれを切らせた少年は、勉学に集中する少女になんのためらいもなく、話しかけた。
「おい名ー、俺様もう疲れちまったよー。かえろーぜー?どっか遊びに行こうぜー?」
「ダメだよ王子くん、来週から試験期間入るんだから。遊びに行くのは試験のあと。
今日はせめてこの単元だけでも終わらせないと」
「輝いてる俺様ならなんの問題もねぇよ!!」
「…そもそも勉強教えろっていってきたの、王子くんだよ?
輝いてるなら、ほら、あと3問だけ頑張って解こう?」
「えー、わかんねぇよこんな問題ー。
大体、学校の勉強なんて出来なくったって俺様の人生に影響ねぇよー」
「はいはいぶーたれないのー、教えてあげるから、がんばろ?ね?」
名と呼ばれた少女は、年齢の割に落ち着いた微笑みを浮かべ、少年を説得する。
対する少年・高坂王子は、子ども扱いをされたことに少しの不満を抱きながら、ぷいと顔をそむける。
自身で、こういうところが子どもっぽいと思いながらも。一度張ってしまった意地は戻せない。
しかしそれでも、名はよくわかっているらしく。笑みを浮かべたまま、眉だけを下げる。
その余裕がなんだか気に入らなくて。高坂は拗ねた口調で続けた。
「…向かいじゃなくって、もっと近くに来いよ。わかりにくいだろ」
顔を名から背けているため、彼女が今どんな表情なのかを窺い知ることができない。
しかし視界の端に捉えた名は、心底驚いたらしく。目をみはっていた。
その頬が赤くなっていたのは、夕陽のせいだろうか?
そんなことを思いながら、高坂も赤く染まった顔を隠すように頬杖をついた。
「えっ、と…じゃあ、となり。いくね?」
「お…おう」
彼女は自身の筆記具を片手に、立ち上がる。そして高坂の隣の椅子を引き、静かに腰掛けた。
…身じろげば互いの肩がぶつかるような、そんな距離。
自分達以外は誰もいない、静かな放課後の図書館。
しかも入口から一番遠く、たくさんある本棚によって作られた死角により、中々見えにくい席を取っていた。
中学生にとって、異性とふたりきりという状況は。この上ない緊張感を相互に与えたのであった。
「(…なんだよ名…すっげぇいい匂いがする)」
ちらりと、隣の少女を覗き見る。長い睫毛に、さらりとした長い髪。ちらっと覗かせるうなじ。
ほのかに漂ってくる自分にはない甘い香りに、高坂の鼓動はこの上なく脈打っていた。
隣にくるよう指示したのは高坂であったが、いざ実際そうされるとそこから先をどうこう言うことが出来ず。
どう言えばいいのか、困惑するだけであった。
なんとも表現しがたい沈黙を破ったのは、名の方で。
小さく、本当に小さく高坂へ問い掛けた。
どこがわからないのか、と。
「…あ、ああ…これだよ。この問題」
そうだ。わからない問題を教えてもらう為にこうしたんだった。そんなことを思いつつ、高坂は開いたままの問題集を指差す。
「どれ?」
「これだよ、この。大問5」
元々ふたつの席は近かったのだ。
そんな状態で、同じ問題集の同じ箇所を覗き込もうとすればどうなるか。
当然。身体の一部は触れ合う。
男の自分にはない、柔らかさを二の腕に感じた高坂の心臓は、それまでよりも大きく跳ねる。
「(女って、こんなにやらけーのかよ…)」
彼も健全な中学生である。
自分とは違う、異性の身体に驚きと感動を隠せない。
そんな高坂の様子に名は気付かない。異性との近距離に動揺しているのは、何も彼だけではないということだ。
「…で、最後はこの公式を使えば解けるんだけど…。王子くん、わかった?」
「あ?…あ、あぁ…バッチリだ!」
「…目が泳いでるよ?説明しても上の空だったし…もう。教えろって言ってきたのは、王子くんの方なのに…」
「…うっせ」
名の言うことは正論である。が、それを素直に認めることが出来ず、つい反発した物言いになる高坂。
さすがの名もカンに障ったのか。その表情から笑顔が消えた。
「うるさいって…そんなのないでしょ?
最初、王子くんから言ってきたことなんだから。全然筋が通ってないよ
…ねぇ、ちゃんと聞いてるの?わたしの話」
明らかに苛立ちを含んだ声音の名。
一方の高坂は何か言い足そうな様子こそ見せるが、具体的な行動を起こす訳でも無く。その煮え切らない態度がより一層名を苛立たせた。
「なに?言いたい事があるなら言ってよ。わたし、間違ってる?ねぇ、王子くん。なんとか言ったらどうなの?」
「っあー!めんどくせぇ!!!」
バン、と机を勢いよく叩き、そのまま高坂は立ち上がる。
図書館では静かに。そんな標語など最初から存在しなかったのだ、と思わせるくらいの大声。
驚きを隠せない名は口をつぐみ、目を見開いた。
高坂は興奮しきった様子で、椅子にかけたままの名を見下ろし。畳み掛けるように続ける。
「集中?できるわけねーだろ!
お前と!ふたりきりで、こんな近くに座って!問題を解けるはずがねぇんだよ!
好きな女と一緒なんだから、上の空ンなるにきまってんだろーが!!」
それは、勢い。
本当に勢いのよい、それでいて色気もムードもなにもない、告白。
しかしそれでいて、彼の心中を端的に言い表したものだった。
「…えっ……え?おうじ、くん?」
夕日のせいだけではないくらい真っ赤になった名を見て、高坂は気づく。
今、自分がなにを口走ったのかを。
と、同時に。顔へ全身の熱が集中したのを彼は感じた。
慌てて己の口を手で塞ぐが、当然なんの意味もなく。
羞恥心の方が勝ってしまい。明後日の方向を向いて、再び席についた。
そしてこの状況をどうしようかと思考を巡らせる。
が、シャツの裾をぐいっと引っ張られ。それも中断された。
「おうじくん…」
勿論、その行為の主は名である。
彼女も同じく耳まで真っ赤に染めて、ふるえる声で高坂を呼ぶ。
「…わ…わたしも……だから、ね?」
聞こえるか、聞こえないか。
それ程に小さな呟きだったが、確かに高坂の耳には届いた。
「わたしも。王子くんのこと、好きだから」
瞳を潤ませながら、名は嬉しそうに微笑む。
うれしさと恥ずかしさがメーターを振り切った高坂は、ぶっきらぼうに一言だけしか返せなかった。
そんな心情もわかっているのか。名は聖母のように優しく見つめ、服を掴む力を少しだけ込めた。
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20話の高坂が可愛すぎて、ブームきてますきてます。
ようやっとタメ年ヒロイン
2012.02.28