短編集 | ナノ


遅い自覚

 



始めは、大切な仕事仲間でしかなかった。

だけどいつからだろう。



「大丈夫か?!氏!!」



わたしの中で、彼がただの「仕事仲間」ではなくなったのは。


何度も彼がわたしの名前を呼ぶ。
その声をどこか遠くに感じながら、わたしは意識を手放した。



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「入院、ですか…」

「と、言ってもほんの2、3日だけですけどね?」

貴女の身体を思って、ですからねー?


まだ幼さの残る看護師は間延びしながらそう告げた。
カルテにペンを走らせて、ぱぱっとわたしのベッド回りを整える。
そして人懐っこい笑顔をわたしに向けてきた。

「働き過ぎましたねぇ、氏さん。過労ですよ過労。」

「わたしとしては全くそんなつもりはなかったんですけどね…ご迷惑をおかけします」

「あはは、良いですよー?刑事さん、毎日ご苦労様であります!」

ビシッと敬礼のポーズをとる看護師にクスリと笑わされ、少し心が軽くなった。
まさか過労なんかで仕事中に倒れてしまうとは思いもしなかったから。

「何日も寝ずに捜査をされていたんでしたっけ?お仕事熱心なのは良いことですけど、きちんとご自身のお体を労って下さいねー?」

「あはは、耳が痛いですね…」

苦虫を潰したような顔をすると、若い看護師はケラケラと笑った。自己管理を大切にしましょうね、としっかり念を押されてしまったし。
流石に3日間ほぼ完徹+現場捜査は無理があったということか。


…そういえば、意識を手放すとき…誰と一緒にいたんだっけ…。
倒れてしまう前後の記憶が酷く曖昧で、なんとなくは覚えているのだけれど、具体的ではないのだ。
誰かと一緒に仕事をしていた記憶はあるけれど、それが誰だったか。…迷惑をかけてしまったので、早めに謝罪をしたいんだけどなぁ…どうだったっけ…?

うーんうーんと頭を悩ませていると、看護師が思い出したかのように話し掛けてきた。



「そうだ氏さん、もう面会とか大丈夫ですかー?」

「…えっ?…えぇ、はい。大丈夫ですけど、それがなにか?」

いきなりの問い掛けに思考が反応してくれなかった。
受け答えをしながら、看護師からの質問意図を推測する。

…面会できるかどうかを確認する、ってことはどういうことなんだろう…。

頭の中に疑問符を浮かべ、合点のいかないわたしとは対照的に。看護師はニヤニヤとした笑みを浮かべている。
…余計にわからないわ…。

「面会大丈夫なのね、わかったわ!そう伝えてくる!」

そう言うや否や、看護師は笑みを浮かべたままわたしの病室を後にしたのだ。

ちょっ、ちょっと待って…全く事情がわからないんだけど。何より、「よんでくる」って…誰を?

さっぱり事態をのみこめず、ベッドの上でほうけていたら。勢いよく扉が開けられ、


「氏!大丈夫だったか!」



わたしの同僚。西島くんが、そこにいた。

かなり急いでここまで来たらしい西島くんは、少し息を乱しながら病室に入ってきた。
ひょっとして、さっき看護師が呼んできたのは…西島くんを…?

そんなことを考えているうちに、西島くんはわたしのベッドまで歩み寄り、近くにあった椅子に腰掛けた。

その表情はとても複雑で、安心しているようにも、怒っているようにも、どちらにも捉えることができた。

…今は同じ捜査チームで仕事してるし、よくコンビで動いていたから…彼にはかなり迷惑をかけちゃったよね…。

申し訳なさから自然と視線は自分の手元へと下がってゆく。

「ほんと、ごめんね?あと少しで資料も完成するってタイミングだったのに…倒れちゃって…」

「そんなの気にしなくていいよ。氏の調子にまで気を回せなかった俺にだって、落ち度はあるからさ」

予想通りというか。西島くんは優しい言葉をわたしにかけてくれる。
だけど今はそれがどうしようもなく居心地悪く感じて、感情に任せて顔をあげる。
ばっちり彼と視線を合わせ、強い口調で反論することにした。

「でも、自己管理不足は否めないもの。…あー…だんだん思い出してきた…あの書類って「はい、ストップ」」


ぷにっ


わたしの言葉は、彼の人差し指に遮られてしまった。

戸惑うわたしの眼差しを真っ直ぐ受け止める彼はふわりと微笑んで、幼い子どもに言い聞かせる様に「ダメだよ」の一言。


「過労で倒れたばっかりなのに、仕事のことを考えたらダメだ。

書類とかその辺りは俺やほかの奴らでちゃんとまとめるから、安心していいよ?」


ゆっくり、ゆっくりとそう言い、「ね?」と念を押す。

そして人差し指をわたしの唇から離して彼は椅子から立ち上がった。
一方のわたしは口元に残る彼の温もりにドキドキを隠すことができず。真っ赤な顔を見られたくなくて、さっきみたいに俯いた。


「そうそう、来須課長も氏のこと心配していたよ?
君の仕事は、一日でも早く復帰出来るよう。全力で療養すること!」


「…仕事と言われたら、どうしようもないわね」


「ははっ、そうそう。その意気だよ。」

そう言って、わたし達は笑いあった。

そんな彼の笑顔を見て、改めてわたしは思う。

もう西島くんの存在は、ただの仕事仲間なんかじゃない。

それ以上に大切な存在になったんだな、と。





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西島さんは甘いマスクで油断させ、強引に誘惑する人だと思ってます。

2012.02.26


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