放課後、校舎裏。自分だって呼び出されたことはあるが、こんな人気がない上に薄暗い場所を選ぶのは気が利かない。女子が自ら呼び出すのならまだ譲るけれど、男子が女子を呼び出すには配慮が欠けている。そもそも彼女を呼び出すなんて空気の読めないやつのすることだ。そんな頭はきっとないのだ。告白の場所の定番というだけでこの場所を選んだことだろう。
その場所で、男はそわそわと落ち着かない様子で立っていた。真面目そうな男だ。すらりと背が高く、今こそ緊張で強張っているが、造形としては涼しげな顔立ちをしている。二年生にして生徒会副会長を務めるその男は、目立ちはしないがオールマイティーに全てをこなし、密かに生徒に人気を誇っている。
ジャリ、とこちらが踏み出すのと共に鳴った小石の音に、男がバッとこちらを向いた。背筋が伸びる。しかし、その照れたような嬉しげな表情はこちらと目が合った途端に崩れた。
「なまえなら来ませんよ」
悲しみと、戸惑い、そして思案。
「どうして」
ほう、頭のいい男だ。逆上はしないか。
「いや、振られるんだろうことはわかっている。でもみょうじさんは、それでも伝言を頼むようなひとには思えなくて」
「あんた、本当に好きなんだな」
だったら尚更、彼女をここに来させるわけにはいかない。
「その通りです。なまえなら断るにしても必ず来る子ですよ」
なまえはそういうひとだ。目立つタイプではないのは彼女も一緒で、だからこうして呼び出されることも多くはないけれど、今までだってそうしてお断りしてきた。断るなら、それでいいのだ。断るかどうか、明らかではないから、ここに俺がいる。
「何も言わずに引いてくれませんか、先輩」
にっこりと笑ってみせる。あんたが書いた手紙なら、丸ごと俺が燃やしてしまった。もちろんなまえがそれを知る前に。
「みょうじさんは、知らないのか」
怒りと、それから同情の滲む目が気に食わなくて、俺は笑みを崩さないまま答えない。
彼は小さく息を吐いて、諦めたように足を踏み出す。
「君は言わないのか」
「何を?」
「彼女に、自分の気持ちを」
「あんたの知ったことじゃない」
すれ違いざまにそれだけ会話して、彼は俺の脇を抜けた。当然の疑問だろう。でも、きっとあんたになんかわからないよ。
微かに振り向き、彼の背中を眺める。凛と伸びた背中だった。変な気を起こすなよ、と釘を刺そうとして、やめた。多分、彼はそういう男ではない。

「あ、ヒロ」
「景光いたー」
教室に戻ると、へらりと二人が笑って迎えてくれた。夕日の教室に、二人が眩しい。
「どこ行ってたのー?」
「ちょっとね」
「また女子の呼び出しか?」
「おー、隅に置けないねえ」
「ハマチューの手伝いだよ」
俺が適当に誤魔化しながら鞄を持つと、俺の席に座っていた彼女とその前の席に座っていた零も自分の鞄を持って立ち上がる。俺たちは特に約束もしていないのに、明確な用事のない限りこうして三人一緒に帰る。暗黙の了解。そして、昔からの癖のようなもの。
「ヒロ、今月入ってもう何人目だ?」
「だーから違うって」
「ほー、俺に嘘はつけないぞ?ハマチュー職員室で見たけど暇そうだったし」
ハマチューこと浜中は、社会科とこのクラスを受け持つ担任だ。毎週水曜は一人で準備室に篭って明日の準備をしているくせに、こういう時に限って違う動きをしてくれる。
「ゼロこそ、全然俺らに言わないけどすげー告られてんじゃねーの」
「ないよ」
「んなわけあるかよ」
「ないんだよ」
「え、まじで?」
零は複雑な表情で苦々しく頷いた。あれだけ学校中の女子にちやほやされていて、告白されないなんてことがあるのか。
とんとんと階段を降りながら話を続ける。
「零は完璧過ぎて、告白とかじゃないんだよ。それに、告白なんてしようものなら抜け駆けだーってなるんだって。みんなの降谷くんなの」
「は。何それ」
「女子にはあるのよそういう、ファンの掟みたいなの」
「あー、ありそうだな。すげーな、アイドルじゃん」
ほんとほんと、と解せない顔の零を他所になまえはけらけらと笑う。眉目秀麗、才色兼備な零は一見近寄り難いらしいのだ。そんなものは周りの理想であって、そして零の処世術であって、本当のところはマッチョだし小学生だが、案外それに気付く人は少ない。
「だからみんな景光の方が声かけやすいんだよ。零が目立ってるけど、景光も何でも出来るし、優しくて格好いいし」
みんなちゃんと見てるよね、と彼女は笑う。昇降口には傾いた太陽の光がたっぷりと注がれて、靴を履き替えた俺たちを照らす。彼女の栗色の長い髪が、零の透けるような色素の薄い髪が茜色に染まる。
「もっかい言って」
「え?やだ、そう言われると恥ずかしい」
「確かに景光何でも出来るし、優しくて格好いいし、完璧じゃん」
「お、何だゼロ、俺だけ褒められて拗ねてるのか?」
「違うよ、本当のことだなあと思ってさ」
棒読みで言った零の頭をがしがしと撫でる。零は俺のことが好きだし彼女のことが好きだ。そしてその感情に未だ、違いはないと思っている。自分のこととなるととても鈍いから、きっとまだ気付きはしないだろう。どうか気付かないでいればいい。
「零ちゃんは可愛い顔してっから、女のみならず男にまでモテるし安心しろー?」
「ヒロっ!それは言うなって…!」
「え?何?」
「この間ゼロ、呼び出されて浮かれて行ったら相手が男の先輩で」
「だー!やめろってば!」
俺の口を塞ごうと絡んでくる零をすり抜けて続けると、なまえはうん?と首を傾げた。
「喧嘩でもしたの?」
「え?いや、それが本当に告白だったんだよ」
「断ったの?」
「断ったよ!相手は男だぞ!?」
零が噛み付くように答えると、なまえはきょとんと零を見つめて、それからうーん、とまた首を傾げてから、そっか、と笑った。
「お前も呼ばれてたじゃん、この間」
自分から話題を逸らしたいのか、零は彼女に話を振る。先週も、彼女は隣のクラスの男子に呼び出されていた。結果はもちろん丁寧にお断りしていたのを知っている。
「え、バレてた?」
「俺らに隠し事は無理だろ」
「だよねー。普通に断ったよ」
三人肩を並べて校門を抜ける。
「何で?」
零が何でもないように彼女に尋ねた。少しだけ緊張の色が見えるのは、俺だけだろう。
「割と仲良かったじゃん」
その男とは、委員会が一緒になったとかで時々一緒にいるのを見かけることがあった。俺たち二人といる事の多い彼女にしては、仲の良い方だったろう。
「嫌いじゃないけど、別にそういう意味で好きでもないし」
なまえはリズムよく二、三歩前へと進んで、それからふわりとスカートの裾を翻してこちらを振り返った。
「二人がいるからいいの」
夕日が沈む前の強い光が彼女を照らす。一瞬、その笑顔に俺も零も見惚れた。
「三人が一番落ち着く」
ふふ、と笑って、それに零が安心したように笑い返した。そう、俺たちは三人が丁度いいのだ。今までだってそうだった。これからだってそうだと、なまえも零も信じていることを知っている。

その後、地元の駅に着くと零はバイトがあるからと別れた。高校へ入ってから早々に零はバイトを始めた。相変わらず文武両道でトップを保ちながらもバイトまでするなんてどういう生活をしているんだと思う。その体力を野生児だと俺たちは笑うけど、もちろんその努力を尊敬した上でからかっている。平気で無茶もするから、それを止めるのが俺と彼女の役目だ。
「零、多分駅裏のカフェバーでバイトしてると思うんだよねえ」
「そうなのか?」
「最近、近所のお姉さんたちの間で話題なの。そこのカフェバーに可愛い顔のイケメン店員が入って人気なんだって」
金髪で褐色の肌で可愛い顔したイケメンなんて零しかいないでしょ、と彼女はくすくすと笑う。今度サプライズで行っちゃおうか、なんて話をしながら歩き出す。
夕日は電車に乗っている間に暮れてしまって、世界はもう薄い闇に覆われていく。
「なまえ、さっき何考えてた?」
「さっき?」
「ゼロが男の先輩に告られたって話の時」
「ああ」
あの時、零は話題を逸らすのに必死で見逃したけれど、俺はそれを見逃しきれなかった。なまえが何を思っているのか、少しでも多く知りたい。出来ることなら、零よりも、という浅ましい思いも否定できない。
「零が、相手が男性だから断ったっていうのがさ、じゃあおんなじ人柄で女性だったら可能性はあったのかなって」
街灯に照らされた彼女の目元にまつげの影が落ちる。それは、あれだけ女子に好感を持たれる男が誰も選ばないことへの単純な疑問だろうか。それとも別の思いから何かを探っているのか。
「例え女子でも、ゼロは断ってたと思うけど」
「そっかー。理想高そうだもんなあ、零」
「そうかもなあ」
なまえは、先述したように目立つタイプではない。けれど、よく見れば顔立ちや身体の造形は整っているし、例えば制服をきちんと着ているところだとか、いつも綺麗な指先だとか、凛と背筋の伸びた姿勢だとか、そういうところで目を惹くのだ。俺や零が身近な女子の中でそれ以上を見つけるなんて出来そうにない。
「ていうかね、違うの、男だからとか女だからとかっていうのが、いまいちピンとこなかっただけ」
ほら、そういうところだよ。能天気なようで考えていて、妹のようで姉さんのようで。どうにも、俺も零も追いかけるほうが性に合っているらしい。
「女子に告白されたことあるのか?」
「ないよ。でも、多分この子は私のこと好きなんだろうなって子はいるよ」
誰かと尋ねると、うちのクラスの女子だった。入学早々に零に告白し、先月俺に告白した女だ。顔が可愛いがどうにもどちらを好きとも思えないわりに必死だったのは、そういうことか。一時期なまえとはべったりだったけれど、学校行事の合宿の後からやんわりと俺たちのところに戻ってきていたのはそれに気付いたからだろうか。じゃあ、地道にアピールをする男たちのことなど知らず存ぜぬでいたのは、フリだったということだろうか。
「…案外聡いんだな」
「小賢しいというの」
「褒めてるのに」
「嘘だあ」
ああ、嘘だ。しかし、その狡さまで、より一層好きだ。
でも、じゃあ、そうか。
俺は、足を止めてなまえの手を取る。
もうとっぷりと日の暮れてしまった人気のない住宅地。角を曲がれば、もう彼女の家はすぐそこだ。彼女はどうしたのと立ち止まって俺を見上げる。
「なまえ。目、閉じて」
「え。何、こわ」
「怖くない、怖くない」
なまえは渋りながらも、思ったよりあっさりと目を閉じた。丁度俺を見上げたまま。
月明かりで肌は青白い。微かな風にさらりと髪が揺れて、甘い香りが微かに鼻先を掠める。なんて無防備な姿なんだろうか。
彼女は自分に向けられている好意に、どこまで気付いているんだろう。それでも尚、気付かないフリを続けるんだろうか。
俺はそっとその柔らかな頬に触れると、疑いもなく緩く閉ざされた唇に自分のを重ねた。びくりと、一瞬なまえのまつげが揺れる。しかしその瞼は開けられることはなく、じっと離れるのを待っていた。ほら、そうやって君は抵抗もせずに受け入れる。
髪を撫でるようにして手に力を込める。逃げられないように腰に手を回し、唇の隙間からぬるりと舌を滑らせた。咄嗟に体を離そうとしたなまえの背中をブロック塀に押し付けて、舌先でなまえの舌を舐め上げ絡ませる。彼女は律儀に瞼を閉じたまま、息苦しそうに微かに眉を顰める。俺のシャツの裾を掴む手に、力がこもる。
その様子に満足して、ぺろりとなまえの唇を舐めると唇を離した。
「じゃあ、また明日」
なまえの髪をもう一度撫でて、にこりといつものように微笑んで、別れた。なまえはそれに何も返さず、じっと俺を見ていたけれど、そんなことは気にも留めないフリをして背を向けた。
さあ、この絶妙なバランスで保っているトライアングルを、君はその器用なバランスで保ってしまうんだろうか。




(それでも俺は気付いてしまう)





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