硝子玉のような大きな瞳が、キラキラと水色に透き通るように煌めいていた。柔らかなブロンドと滑らかな白い肌よりも華奢な肩や細い指先よりも、目が離せなかったことを覚えている。まるで贅の限りを尽くした人形だ、と瞬きすら忘れるうちに、鈴の鳴るような、と表現されるような涼やかな声で「お人形さんみたい」と呟いた彼女を、よく覚えている。
まるで自分の心を読まれたかのように思えて、思わずその美しい瞳を睨んだ。その言葉が自分に向けられていたことに気付くのに、時間がかかった。
「ごめんなさい。あんまり綺麗だったから。でも、顔に似合わずそんなに感情的になるなんて、びっくりした」
彼女は目を細めて、意地悪く笑った。まるで可憐な顔をして、そんな風に笑うのこそ思ってもいなくて、驚いた。
「お互い様だ」
そんなようなことを答えたのだと思うが、その記憶はもうない。ただ、その時にはもう、お互いになにかを感じていたことだけは確かだった。

彼女はよく、瓶に入った飴玉を光に透かして眺めた。いつまでも飴玉をその細い指につまんで眺めているのを見ていたら、勝手にその小瓶を見せつけてきた。透明で、鮮やかな飴玉が光に透けていて、それはまるで彼女の宝物のようだった。彼女はその瓶を軽く揺らして、中の飴玉を転がしてみたり、つまみ出してずっと眺めていたり、それから小さな口に放り込んで、時には赤い舌で出迎えるようにして、うっとりとその甘ったるい味と香りを楽しんだ。それは決まって彼女一人の時で、そして俺と二人きりの時で、まるで秘密の儀式のようだった。
いつしか一度だけ、飴玉を差し出されたことがある。俺の瞳の色と同じだと笑って、まるで人形のような顔で笑って、だからあげると言った。自分の瞳のような、と言われたものを自身の口に含む趣味はないと断った。甘いものがそもそも苦手だった。彼女は、そう、とその飴玉をかざして呟いて、それから思いついたように、大切そうに勿体振るように、口に含んだ。
いつしか一度だけ、飴玉を無理やり奪ったことがある。どうしてだったかなんて覚えていない。きっと理由など大したことではなかった。ふっくらとした赤い唇を舌でこじ開けて、溶けかけた飴玉を唾液ごとすくい上げて奪った。甘ったるい味と匂いと、彼女の瞳のような蒼だったことを覚えている。奪った飴玉は、すぐに噛み砕いた。

「まるで悪魔ね」

数年ぶりに会った彼女は、血まみれの俺の姿を見て、まるで天使のように微笑んだ。
研究者の一人が秘密裏に研究を進めていたそのアトリエを殲滅することが俺の仕事だった。コードネームを与えられての初仕事だ。組織内で進めている研究の一部を許可なく個人で進め、さらに人体実験まで行っていることで釈明の余地はなくなった。難しい仕事じゃない。組織の人間といえど所詮はただの研究者だ。思ったより人数が多く血は浴びたが、だたそれだけのことだった。全ては計画通り、想定の範囲内だ。人体実験にされていたモルモットが、彼女だったこと以外は。
「なんて顔」
俺はその時どんな顔をしていただろうか。もう俺たちは子供ではなく、背は伸び筋肉がつき、性に囚われる肉体になっている。なっているはずなのだ、例外なく。冷たいコンクリートの部屋で、鉄の柵の中で飼われるように柔らかなドレスを着せられた彼女は、以前見た彼女と全く変わらなかった。大きな瞳、華奢な肩、小さな手、細い脚、鈴のような声。立ち上がった彼女の顔は、俺の腰の高さから俺を見上げている。
「天使と悪魔ってね、悪魔の方が断然美しいのよ」
立ちすくむ俺を前に彼女は落ち着き払って言った。
「善人は見た目で判断しないってことらしいの。悪魔は、人間を誘惑して誑かさないといけないから、愛してしまうほど信仰してしまうほど、ただただ美しいのですって」
人の気配が近付いてくる。ドアの陰から飛び出てきた何かを、振り向かずに打った。触るなと叫んでいたような気がした。思ったよりも距離が違くて、彼女のに血が飛んだ。拭ってやろうと思って、自分の手が血にまみれていることに気付いてやめた。
「ジン、私もあなたもきっとそれね」
彼女はこんな時ですら真っ赤な飴玉を口に含んで、うっとりと瞳を閉じた。

部屋へ入ると、彼女はベッドに横たわって本を読んでいた。お帰りなさい、と言って顔を上げる。彼女は、お帰りなさいといらっしゃいを使い分けているようだけれど、その区別は定かではない。ポケットの中から包みを出すと、ベッドの上に放った。彼女は、嬉しそうにその包みを手に取ると、早速封を開ける。
「綺麗ね」
異国へ行く度に彼女に飴玉を買ってくるのが習慣になったのはいつからだろうか。あの日、関係者全員の殲滅の命を受けながら彼女を連れ出して以降、密かに配下で使った。彼女がさらなる実験台にならないためにも、俺の任務の過失を露見させないためにも、彼女の存在はあってはならなかった。相変わらず幼いままの彼女とはいえ、組織で訓練を受けた身だ。自らを悪魔と自称するほどには、周囲を欺くことに長けていた。それをこの部屋に幽閉したのは、紛れもなく自分だった。老いを知らない彼女は、美しいまま確実に死に近づいていた。そのうち、自分で手に入れられなくなったその輝きの粒を、代わりに用意してやるようになった。
「素敵なお話を読んだの」
話す彼女のは薔薇色に染まり、まるで健康で健全な少女だ。
「飴玉は、宝石から永遠を引いたもの、ですって」
愛おしげに小瓶の飴玉を眺めて、小さな手のひらに一粒落とした。まるでお前のようだなどとは口にしなかった。同時に、きっと俺のようだとも言い換えられることを避けたかっただけだった。馬鹿馬鹿しい考えだ。彼女も、もちろん自分も、人間には永遠などもとより与えられていない。
「私たちは永遠なんて持たないけれど、でもきっと、だから夢を見たりなんてできるのね」
甘美なまま、芳しいまま、その名残だけを舌先に残して溶けて消えてゆく、その切なさも私は好きよと長いまつ毛を伏して彼女は言う。その切なさを反芻するように、満足な食事もやめてしまって、ただの砂糖の塊に、人工香料の香りに、着色されただけの鮮やかさに心を奪われたように、飴玉ばかりを口にする。限りあるそれを例えるのなら、彼女はその本当の切なさを味わうことはない。
言いたいことだけ言って、彼女ははっと小さく息をついた。
「寝ろ」
「せっかくあなたが来たのに」
「それを届けに来ただけだ」
「つれないわねえ」
彼女はぽすんとベッドに横たわる。ブロンドの長い髪が、艶やかなままシーツの上に広がる。近くへ来てとせがむのが面倒で、傍まで寄る。垂れた髪を細い指で梳いて、毛先を撫でるように弄ぶ。
「素直じゃないのは相変わらずだけど、ジンは日を追うごとに美しくなるのね。ずるいわ」
美しさとはなんだろうか。皮膚は厚くなり、カサつきが増し、シワが増え、髪は痛み、体中に生傷は絶えない。数えきれないほど人を欺き、覚えていないほど女を抱き、拭えないほど血を浴びたこの体の、何をもって美しいと言うのか。
「女はダメよ、醜くなる一方だわ」
「男も変わらねえだろ」
「少なくともジンはきっとどれだけ歳を重ねても綺麗」
「そうかよ」
彼女がもしも、年相応の体を持っていたら、どうだろうか。彼女の時が止まってからの方が長くなってしまって、想像がつかなかった。背はどれほど伸びたか、女の凹凸は生まれたか、あどけなさの抜けた顔でもやはり天使のように笑っていただろうか。悪魔のように、人を惑わす美しさだっただろうか。
思うだけ無駄だろう。
「ねえ、ジン」
幼い声には不釣り合いな、静かな話し方が、彼女の止まり切らない年月を感じさせた。
「私はね、ちょっとだけ、人間でいたかったなって思うのね」
まるで自分は人間じゃないように言った。永遠どころか、もう幾ばくかの命だというのに。
「でも、ジン、あなたがいつだって思い描く私は、一番美しい姿なのよ」
彼女は悪魔で、俺は魅入られたただの人間だったのだろうか。悪魔から永遠を引いたものが人間なのかもしれないなどと、くだらないことを考えた。悪魔の美しさが永遠とともにあるものなのだとすれば、彼女は俺にとって確かに悪魔だったのかもしれない。
「寝言は寝て言いやがれ」
「ふふ、ちゃんと大人しくしてるわよ」
彼女はそう笑って、背を向ける俺に、またねと手を振った。また、があといくつあるかもわからないが、俺はきっと飽きずにまた飴玉を渡しに来るだろう。まるでそれが彼女との契約であるかのように。

彼女は未だに、瓶に入った飴玉を光に透かして眺めている。いつまでも飴玉をその細い指に摘んで眺めて、まるで最後の味付けをするように、飴玉を買った土地の話を聞いた。透明で、鮮やかな飴玉が光に透けていて、それはまるで彼女の宝物のようだった。彼女はその瓶を軽く揺らして、中の飴玉を転がしてみたり、つまみ出してずっと眺めていたり、それからそれを小さな口に放り込んで、時には赤い舌で出迎えるようにして、うっとりとその甘ったるい味と香りを楽しんだ。それはまるで秘密の儀式のようで、彼女という悪魔の誘惑だった。
いつしか一度だけ、飴玉を差し出されたことがある。俺の瞳の色と同じだと笑って、まるで天使のような顔で笑って、だからあげると言った。自分の瞳のような、と言われたものを自身の口に含む趣味はないと断った。それを受け取るべきではないと鳴った警鐘は人間としての理性だったのかもしれない。そう、とその飴玉をかざして呟いて、それから勿体振るように自ら口にした彼女の赤い舌を見ていた。
いつしか一度だけ、飴玉を無理やり奪ったことがある。まるで夢を見ている気分になるのよ、と彼女が言った。幸福な夢のよう、と飴玉を舌で嬲りながら語った。たったそれだけのことだった。ふっくらとした赤い唇を舌でこじ開けて、溶けかけた飴玉を唾液ごとすくい上げて奪った。甘ったるい味と匂いと、彼女の瞳のような蒼だったことを覚えている。奪った飴玉は、すぐに噛み砕いた。

あの時のなまえの瞳の煌めきが、指先に乗る爪のかたちが、鮮やかな唇の感触が、安っぽいだけの砂糖の味が、消えない。



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