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厳しい訓練に耐え解散式の夜を迎えたあの日から、もう2年が経った。その後迷わず調査兵団を志願し入団したシャオリーは、奇跡的に大きな怪我も負うこともなく、今日この日まで生き残っている。
彼女は立体機動や対人格闘術の才は人並み以下だったが、訓練兵時代、座学はトップの成績を誇っていた。頭の回転が早くその時に応じて適切な判断を下せる彼女は、その頭脳をハンジ分隊長に見初められ、度々巨人の生態実験に付き合わされている程だ。
壁外調査へ向かう道すがら馬の背に揺られながら、シャオは前を行く兵士長と分隊長の背をぼんやりと眺める。
(足手まといにならないか不安だなぁ)
前を行くのは人類最強として名を馳せるリヴァイ兵士長と、巨人の研究者としても活躍するハンジ分隊長。
「うるせぇガキ共め…」
「あの子達の羨望の眼差しも…あなたの潔癖すぎる性格を知れば幻滅するだろうね」
群衆の歓声を受け舌打ちをし、リヴァイは不意に後ろを向いた。
突然向けられた鋭い視線に、ぼんやりとしていたシャオは慌てて姿勢を正し、手綱を強く握り直す。しかしその反応は遅かったようだ。
「随分余裕じゃねぇか…間抜けなツラしやがって」
「すっ、すいません」
蔑むような目を向けられ、ガクッと肩を落とし項垂れるシャオを見つめ、リヴァイは盛大にため息を吐く。
緩くお団子にまとめられた彼女のミルクティー色の髪と、眉の上で切り揃えられた前髪のせいか、彼女は実年齢よりも更に幼く見えた。
「解ってるだろうな、今回お前は金魚の糞みてぇに俺の後についてろ。戦闘になったら俺の指示に従え」
「はぁ、しかしまた何で私が?」
リヴァイが率いる班は精鋭で固められる筈なのに、自分のような平凡以下の消耗品がこんな所に配置される意味が解らず、シャオの頭上には沢山の疑問符が浮かんでいる。
理由を知っているハンジはニヤニヤと笑みを浮かべ、二人のやり取りを愉しげに傍観していた。
リヴァイは視線を前に戻し、淡々と質問に答える。
「…戦闘力はヒヨコみてぇなもんだが俺はお前の頭を買ってる。地理にも詳しい…作成予定の順路より適切なものがあればすぐに教えろ」
「わかりました」
キョトンとしながらも素直に頷くシャオが可愛くて、ハンジは身悶える。
(〜〜リヴァイ!何だよその下手クソな嘘は!!)
腹を抱えて笑いたいところではあるが、そんなことをしたら人間だというのに項を削がれるだろうと、ここはぐっと堪える。
いつのことだったか。もう半年ほど前のことだろうか。
巨人の生態実験の結果を披露したいという理由でハンジはシャオを部屋に招いた。シャオは平凡な兵士だったが、その類稀な頭脳と彼女の持つ優しい雰囲気が印象的で、調査兵団の中ではそこそこ目立つ存在であった。
ハンジの演説を嫌な顔ひとつせず受けとめ、熱心に相槌を打ち、時偶控え目ながらも自分の意見も述べてくる彼女は同性で一番話しやすい存在だった。そのせいでついつい長話になってしまうのだが。
『でねでね、面白いのはここからでーー…』
白熱する巨人談義に釘をさすかのようにトントンとノックの音がこだます。
此方が返事をする前に扉をバンと開け中に入ってきたのは、自分は今不機嫌だと顔に書いてあるような表情のリヴァイ兵長。
『あれリヴァイ、どうしたの?』
『…肥溜めの中で頭イカれちまったらしいな、クソメガネ。上でエルヴィンが待ちくたびれてる』
『あーっそうだった!結果報告するんだった!』
こうしちゃいられない!と机に広げていた資料をワタワタとまとめ始めるハンジを、傍らに立っていたシャオが手伝う。リヴァイはそれを呆れた様子で眺めていた。
リヴァイが、肥溜め、と称するのは紛れもなくハンジの部屋だが、その部屋がいつになく片付いているのに気付く。(それでも潔癖症のリヴァイからすると汚いのだが。この部屋を掃除するのは至難の技だろう。)
『おい、ハンジ…お前が部屋を片付けるとは明日槍でも降ってくんのか?』
『え??私片付けなんてしてないよ』
『…だよな。お前がやるわけがねぇ』
悪びれもせず答えるハンジを見て頭痛がしたが、それでこそハンジだとリヴァイは思う。頭の中は巨人でいっぱいのマッドサイエンティスト。頭はキレるが超がつくズボラ。女だというのに風呂に入るのを忘れる程。
酷いときの彼女の体臭を思い出し苦々しい顔をするリヴァイに、視線はデスクに向けたままでハンジは言う。
『片付けならさっき、シャオがしてくれてたよ』
言いながらハンジが指差したのは、傍らに立つ華奢な少女だった。リヴァイの射抜くような視線を受け、シャオは慌てて敬礼をする。
リヴァイは小柄だが、自分よりも更に視線が下にある少女を黙って見つめていると、ハンジが機嫌良く話し出す。
『シャオはさ〜私の話をちゃあんと聞きながら整理整頓もしてくれる出来た娘なんだよ〜!リヴァイもお嫁にするならこういう子にしなよ!』
ハンジが鼻高々にシャオを紹介すると、彼女は困ったように眉を下げて笑う。
『シャオ…』
そしてリヴァイがポツリと彼女の名を呟けば、彼女は姿勢を正して二度目の敬礼をした。トン、と心臓の前に置かれた右拳は小さい。
『シャオリー・アシュレイです。お会いできて光栄です、リヴァイ兵士長』
背筋をぴんと伸ばして自己紹介をした後、彼女は目を細めて人懐っこい笑みを浮かべた。
『シャオと呼んでください!』
普段兵士達に尊敬と畏怖が入り交じった目を向けられているリヴァイにとって、彼女の屈託のない笑顔はかなりの攻撃力を誇った。虚を突かれて何も言えなくなっているリヴァイを見て、勘が鋭いハンジは何かを察したのか、一人でいそいそと部屋を出ていこうとする。
しかし扉まであと一歩のところでリヴァイに腕を掴まれた。
『…テメェ一人で何処行きやがる』
『決まってるだろ、エルヴィンの所さ。貴方が呼びに来たんじゃないか』
『俺も行く』
『いいよー結果報告だけだし。それにさぁ、エルヴィンと私のお喋りに付き合うよりシャオとお喋りする方がきっと楽しいよ?』
『俺も同席するべき話だろ。仕事だ』
さっさと行くぞ、と身を翻すリヴァイの耳が赤かったのをハンジは見逃さなかった。おやおや、この人もちゃんと男の人だ、とハンジは結論付けた。
リヴァイはそれはそれは女性にモテる。
人類最強という肩書きを背負い日々命懸けで闘う姿を見て、惚れない女はいないだろう。彼が告白されている現場をハンジは何度も目にしたし、実際に付き合った女も何人かいるようだが、リヴァイが本気で恋をした女は誰一人としていない。
大概はしつこいから仕方なく、とか、体の相性がよかった、とかそういった理由で交際に至っていた。二人とも歴とした大人であり兎や角言う筋合いはないので口出しはしなかったが、いつかリヴァイには幸せになって欲しいとハンジは密かに願っていたのだ。
その願いを叶える相手が、もしかしたらシャオかもしれない。
そう思うだけでワクワクして、徹夜明けも何のその、ハンジの目はきらきらと輝いていた。
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