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目と目が合った時、この子は心を失った訳ではないと思った。きっと何か理由があって、戦っているんだと思った。
私達が壁の外の巨人を倒そうとしているのと同じように。
◆◇◆◇◆◇
鎧の巨人がその姿を現したのとほぼ同時に、ウォール・マリア内地側に“獣の巨人”が出現した。
多数の無知性巨人を引き連れた獣の巨人は、調査兵が立っている壁に向かって岩を投げ付ける。
「投石来るぞ!!」
「伏せろぉおおお!!」
その悲鳴と共に、大きな揺れが兵士達を襲う。
獣が投げた岩は門を塞いだ。馬が通れない程度に。エルヴィンには奴の戦略が手に取るように読めた。まず馬を狙い、包囲する。我々の退路を断ち、ここで殲滅するために。
壁の上で横並びになり、調査兵達は皆緊張の面持ちでエルヴィンの指示を待つ。その中に、シャオの姿もあった。
鎧の巨人も獣の巨人も、目にするのは今回が初めてだ。しかしロッド・レイスの時のように、その姿をスケッチしたいとは思わない。
ただただ、恐ろしかった。
眼前に迫る脅威に足が竦んでいる。
「お、居た居た。シャオちゃん無事か?」
いつもの調子でそう問い掛けながら、スヴェンがシャオの元へ駆け寄っていく。今回の作戦では、シャオはスヴェン班の一員だ。シャオだけではなく、フリッツ王政打倒時にリヴァイ班として行動していた104期兵達(エレンを除く)は、今回スヴェン班に属する。
質問には答えず、シャオは上の空でスヴェンを見上げた後、ウォール・マリア内地側の草原を指差す。彼女が指差した先には多くの無知性巨人と、投石の力を持つ獣の巨人……そしてもう一体、見慣れない巨人の姿も目に入り、スヴェンは目を細める。
その奇妙な姿の巨人は四足で、背中に荷物を運ぶ鞍をつけている。
「……何だ、あのヘンテコな巨人は?」
「あの“四足歩行型の巨人”も知性を持った巨人だと思われます。恐らくあれが敵の斥候……私達の接近にいち早く気付き、ライナー達に伝えた……」
視力が悪いスヴェンは、珍しい巨人を捉えようと必死に目を凝らしていたが、左下から聞こえる固い声に思わず顔をそちらに向ける。
スヴェンが好きな可憐な笑顔は鳴りを潜めている。
強張ったその表情からは極度の緊張と恐怖が伝わってきて、その痛々しさに眉を顰めた。
「もっと居てもおかしくはありません、敵の規模は予想以上に……「まぁまぁ落ち着け、考えるのは団長の仕事だ。俺達は指示を待とう……な?」
優しい声で宥めながら、ポン、と華奢な肩に手を置く。彼女は震えていた。
ーーー……壁を登ってくる鎧の巨人を見下ろし、エルヴィンは思考を張り巡らせる。
ウトガルド城の襲撃と同じく、奴がまず狙うのは馬。敵の主目的はエレンの奪取であるが、そのためにまず我々から撤退の選択肢を奪う。依然、巨人の領域であるウォール・マリア領から、我々が馬なしで帰還する術はない。馬さえ殺してしまえば退路を閉鎖するだけで我々の補給線は断たれる。
1週間でも1ヶ月でも、動ける者が居なくなるまでただ待てばいい。
まさに今、敵の大型巨人が隊列を組んで動かないあたり、それ自体が檻の役割を担うものだと確信できる。
何より今危惧すべき課題は、ライナーとベルトルトに為す術なく馬を殺されること。……ならば。
深く息を吸い、エルヴィンは列の中央で総員へ向けて叫ぶ。
「ディルク班並びにマレーネ班は、内門のクラース班と共に馬を死守せよ!!
スヴェン班並びにハンジ班は!!鎧の巨人を仕留めよ!!各班指揮の下“雷槍”を使用し、何としてでも目的を果たせ!!」
遂に、新兵器をお披露目する時が来た。
雷槍の訓練は何度もしたが、実戦で使用するのは今日が初めてだ。これは鎧の巨人を倒すためだけに造られた武器なのだから。
「今この時!!この一戦に!!人類存続の全てが懸かっている!!今一度人類に……心臓を捧げよ!!」
「「「ハッ!!」」」
調査兵団の一兵士として、シャオは今この場に立っている。恐怖心さえも味方につけ、捨て身で敵に向かっていくことだって出来る。それでも、左手につけられた指輪を見ると、シャオの決心は鈍る。
お前の心臓は俺に捧げろ、と目と目を合わせてハッキリと伝えてくれた、あの日のリヴァイの表情が鮮明に脳裏を過った。
そして立体機動に移ろうとしたシャオを呼び止めたのは、今の今まで脳裏に思い描いていた人物だった。
「シャオ!」
その声が自分の名前を紡ぐだけで、心が満たされた。たぶん、初めて名前を呼ばれた日から。
振り向いた先には、愛おしくて仕方がない、彼の姿があった。初めて彼と二人で話をした時も、その強い瞳に射抜かれたが、不思議と怖くはなかった。
兵長、と心の中で返した時、シャオの目には涙が滲む。
これが最後かもしれない。
永遠の愛を誓った相手と交わす、これが最後の会話かもしれない。
そう予感したシャオの顔は、今にも泣き出しそうに歪んだ。子供のようなその表情に、リヴァイは一度目を見開いた後、フッと口角を上げて笑う。
「……後でな」
「…………!」
彼が口にしたのは別れの挨拶では無かった。
戦いが終わったら、また会える。
一緒に帰る。
生きて帰る。
生憎こんな所で死んでやるつもりは、リヴァイには更々無かった。必ず生き残るという執念にも近い思いがある。
不意に辺りを見渡すと、蕎麦でスヴェンが腕を組んで待機している。これが普段の彼なら、お二人さ〜ん早くしろ、と茶々を入れてくる筈だが、ここで大人しくしているということは、もしかしたら奴は死ぬつもりなのかもしれない。明らかに様子がおかしい。奴は死を覚悟している。
……それなら、と。リヴァイが視線をシャオからスヴェンに移すと、彼は前髪に隠れて見えない目を此方に向けた。
「スヴェン……コイツを頼む」
「……了解」
我ながら残酷なもんだ。どうせ死ぬつもりなら、命を懸けてでもコイツを護ってくれ、と旧い仲間であるスヴェンに頼んだ。
言われた意味が解らないほどスヴェンも馬鹿ではない。しかし、スヴェンは頷いた。任せろ、とでも言う風に、しっかりと首を縦に振り答えた。
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