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ウォール・ローゼ内のとある牧場にて。
今日もまた一日が終わっていくのを告げる夕陽を背に、一人の少女が声を張り上げて子供たちを追いかけていく。
少女はこの壁の中の女王。
つい最近まで調査兵団の兵士として、剣を握り締めて戦っていた少女。
エレンは柵に背を預け、ぼんやりと小柄な少女の姿を眺めている。
礼拝堂地下での出来事は、今は自分と彼女…ヒストリアしか知らない。あの場にいたロッド・レイスと切り裂きケニーも死んでしまった。あの時あの場所で、どんな会話が繰り広げられたのか、どんな感情のぶつけ合いがあったのかを知るのは、そして共感してくれるのは、ヒストリアだけ。
「コラー!待ちなさい!」
自分を見つめるエレンの視線には気付かず、ヒストリアは腕白な子供たちを追いかけ回し、襟首を掴み、叱りつけている。
『うるさいバカ!泣き虫!黙れ!!』
今のヒストリアの表情を見て、あの時情けなくも泣き崩れた自分に対し、大声で怒鳴った彼女を思い出し、エレンはフッと目元を緩める。
訓練兵時代、女神と称された作り物のようなクリスタは苦手だったが、自分の気持ちに正直に生きる今のヒストリアは…。
(…なに考えてんだ俺は)
そこまで思って、エレンは思いを振り払うように首を振る。
ヒストリアが王冠を被ったのは2ヶ月前のこと。今では孤児院の院長の方が板についてきている。実質、この壁を統治しているのは兵団なので、お飾りの王政であることは隠しようがないのだけれど、ヒストリアは巷で“牛飼いの女神様"と呼ばれ親しまれている。
民衆に襲いかかる巨人を葬った英雄が、これだけ慎ましく健気なのだ、民衆からの信頼が厚いのは当然のこと。
…困っている人がいたら何処にいたって助けに行くって言っていた。これがヒストリアのやりたかったことなんだ。
「あーまたサボってる!」
柵に凭れているエレンに気付き、ヒストリアは眉を吊り上げて此方に駆け寄ってくる。エレンは慌てて身体を起こすが、だれている所をばっちり見られてしまってたので時既に遅し。
「ちょ、ちょっと休憩…」
「全部運んでからにしてよ、日が暮れちゃうでしょ!?」
「ハイ…」
自分より大分背の低い同期の女子に叱られしゅんとしながらも、エレンは小麦の袋を重ねて軽々と持ち上げ、孤児院へ向かって歩き出す。線は細いがやはり男だ。
少しもふらつかずに歩くエレンの姿をヒストリアはじっと見つめ、自身も日用品が詰まった木箱を一つ持ち彼の背を追う。
「ねぇ、さっき何見てたの?」
「さっきって?」
「柵に寄り掛かって。私のこと見てたでしょう」
…気付いてたのか。隣に並びしれっと言ってくるヒストリアの声を聞き、エレンはばつが悪そうに遠くの空を眺めた。
「アイツまた怒ってるって思ったんでしょ?」
「…それは、…一瞬思ったけど」
「やっぱり!私だって好きで怒ってる訳じゃないんだから」
唇を尖らせるヒストリアの顔を見下ろすと、彼女もちょうどエレンの方を見上げた所だった。
視線が交わった瞬間、二人の心臓が軋んだ音を立てる。二人とも同じ音を鳴らしたことなんて、当の本人達は知る由もなく。
「…本当に女神様になっちまったな、って…」
「…何それ…」
意中の彼に女神様、と称され、ヒストリアは頬を染める。照れ臭くてそれ以上エレンの顔を見れず、ヒストリアは俯き、慌てて話題を変えた。
「こ、硬質化の実験は上手く行ってるんだってね!」
その話を振られて、エレンの表情が僅かに曇る。
「…あぁ、洞窟を塞げるようになったが…まだ作戦には準備がいる。急がねぇと…また…奴らが来ちまう」
奴ら、というのが嘗ての仲間であるライナーとベルトルトだということは、当然ヒストリアも解っている。彼女の親友のユミルは彼らについていった。最後に、ごめんな、とだけ言い残して。
「…どうしたいの?ライナーとベルトルトともう一度会うことになるとしたら…」
もう仲間ではない二人の名前を口にするだけで、ヒストリアの心もどんよりと濁る。今だって信じられない。あの二人が、ウォール・マリアを壊した巨人の正体だなんて。
「奴らは殺さなきゃ…ならない」
呻くように言うエレンは無表情だったが、心が血を流しているのは痛い程解った。
「…殺さなきゃいけないんだ」
いつかハンジが言っていた。確か超大型巨人と対峙した時か。人類の仇そのものだ、と。
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