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そんな中、颯爽と風を切って飛んでいく、小さな影があった。
その少女は迷うことなく、真っ直ぐに目標を絞っていた。
「ヒストリア…!?」
名を呼んでも、ヒストリアの耳には届いていないようだ。
(団長…わがままを言って申し訳ありません)
本体がそこにあることを、父親がそこに居ることを、この空中でただ一人、ヒストリアだけが知っていた。何故ならその欠片に近付く度に、幼い頃の父親の記憶が、鮮明に脳裏に過るから。
幼少期のロッド・レイスが、巨人を駆逐するために奮闘していたこと。巨人の力を継承した弟・ウーリ、そして娘であるフリーダ。
『僕ならきっと大丈夫だよ兄さん』
『私に任せて父さん』
二人とも口々にそう言いながらも、初代王の思想に乗っ取られ、巨人を駆逐することが叶わなかったこと。
父親が、巨人を倒すために人知れず奮闘していたこと、ヒストリアは今になって思い知った。
(私…これが初めてなんです。親に逆らったの…)
私にエレンを食べさせようとしたのも、一重に人類の自由のため。
それを思うと、ぼろりと大粒の涙が、ヒストリアの頬を伝った。
(私が始めた親子喧嘩なんです)
近付いてくる破片に狙いを定め、ヒストリアはブレードを握る手に力を込める。
(それなら、私が…終わらせなきゃ)
ーーー…さよなら。
心の中で別れの言葉を呟いて、ヒストリアは巨人の破片に刃を立てる。
項を削がれる父親の姿が、ヒストリアの脳内に浮かんだ。
止めを刺した瞬間、辺りは閃光に包まれ、巨人の姿は靄の中へ消えていく。立体機動を解いたヒストリアの身体は、みるみる高度を下げていく。
それを発見したのはシャオだった。
「ヒストリア!!」
このままだと落ちてしまう。シャオは慌てて立体機動を駆使し、ヒストリアへ近寄っていく。意識がないのか呼び掛けても反応を見せない。
(下に回るしかない!)
シャオは一度立体機動を解き、一気に高度を下げる。苦手であるこの浮遊感に眉を顰めながらも、民家の屋根にアンカーを刺し、落ちてくるヒストリアの身体をキャッチした。
「ぐぇっ!!」
…だが、想像以上の衝撃を受け止めきれず、シャオはヒストリアと共に地上の荷馬車の上に落下した。ヒストリアは軽いから、と油断していたのだろう。いくら軽いとは言え、あのスピードで落ちてくる人間を華奢な体躯で受け止めるのは難しかったようだ。
突然空から女の子が二人落ちてきて、住民達は騒然とし、周囲を取り囲む。
「い…痛ぁ…!!」
体の至る所を打ち、シャオの目は涙で滲んでいる。しかし、声を出せて泣けるということは大事には至っていないと判断し、シャオは痛みに耐えながら安堵する。荷馬車に積まれていたのが藁でよかった。ちょうど良いクッションになった。運が良い。
「う、うーん…」
「!ヒストリア!?」
腕の中のヒストリアが身動ぎをしたので、シャオは慌てて耳元で呼び掛ける。彼女は眉を顰めた後、ゆっくりと瞼を上げた。
朝日を浴びて光るスカイブルーの瞳は、心が凪ぐ優しい笑顔を捉えた。
「シャオさん…?」
「よかった!気がついたんだね」
目の前で笑いかけてくれるシャオに頷いてみせ、ヒストリアは状況を把握しようと辺りを見渡した。自分達は荷馬車の上にいる。空中でロッド・レイスを葬った後、ここに落下したのだろう。自分の下敷きになっているシャオが助けてくれたようだ。後で御礼を言わなきゃ、と心に決め、ヒストリアは立ち上がる。
何故、後で、なのかというと。
「オイ大丈夫か!?」
「怪我をしているのか!?」
「君があの巨人に止めを刺したんだな!?」
「兵服がないようだが…所属は?」
自分を取り囲む、沢山の民衆の姿がそこにあったから。
シャオさんに御礼を言うのも、甘えるのも、後から好きなだけすればいい。
この状況下で自分が今やるべき事は、ただ一つ。
凛とした表情で、神々しささえ感じる年端のいかぬ少女を前に、群衆は言葉を失った。静かになった街の片隅で、ヒストリアは背筋をぴんと伸ばし、声高らかに宣言する。
「私はヒストリア・レイス。
この壁の真の王です」
…歴史が動く瞬間を、シャオはこの目で見た。
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