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ーーー…パリン、という音と共に、注射器は粉々に碎け散った。中に入っていた薬品は地面に小さな水溜まりを作る。
この薬品は、ある巨人の脊髄液。
とても貴重な物だったのに。
「ヒストリア!!」
なんてことを、と青ざめ、ヒストリアに巨人化するよう命じた男…彼女の実父でもあるロッド・レイスは怒鳴り声を上げるが、怯むことなくヒストリアは真正面から反発する。
「黙れ!!何が神だ!!都合のいい逃げ道作って都合よく人を扇動して!!もう!これ以上…私を殺してたまるか!!」
心からの叫びと共に、大粒の涙が零れ落ちる。
ヒストリアはこの瞬間にやっと、自分という存在になれた。やっと、ヒストリア・レイスそのものになれた。
先程ロッド・レイスが注射器を取り出した黒い鞄を徐に掴み、ヒストリアはエレンの元へ走る。階段を駆け上っていくを彼女を見て、傍観者を気取るケニーは腹を抱えて笑っている。
ヒストリアは鞄の中から鍵を取り出すと、エレンを拘束している鎖を引っ掴んだ。彼女の不可解な行動を目の当たりにし、驚いたエレンは金色の目をこれでもかと見開く。
「エレン!逃げるよ!!」
「オイ!?お前が俺を食わねえとダメなんだよ!!お前は選ばれた血族なんだぞ!?」
巨人の力は王家の血を引く者でないと、真の力が発揮されない。しかし特別ではないエレンが器であり続ける限り、人類が巨人に支配される地獄は続く。
親父がヒストリアの姉ちゃん…フリーダを食わなければ。そして…俺や親父が、巨人の力をあるべき所から盗まなければ、死ななくて済んだ人達がたくさん居るのに。
戦場で失った同期、ハンネスさん…そして、リヴァイ班の四人の顔を思い浮かべ、エレンは泣きながらヒストリアに訴える。
「早く俺を食ってくれ!!もう辛いんだよ生きてたって!!」
「うるさいバカ!!泣き虫!!黙れ!!」
ゴンッ!と容赦なく思いっきり殴られ、その思いの外強い力に、頭がくらくらする。あの可憐なクリスタ…いや、ヒストリアが自分を殴ったとエレンが理解するのに数秒を要した。
「な…?」
茫然とするエレンに構うことなく、ヒストリアは背後から罵声を浴びせる。
「巨人を駆逐するって!?誰がそんな面倒なことやるもんか!!むしろ人類なんか嫌いだ!!巨人に滅ぼされたらいいんだ!!つまり私は人類の敵!!わかる!?最低最悪の超悪い子!!」
もう良い子のクリスタ・レンズじゃなくていいんだ。その役目はもう終わったのだから。
これがヒストリア・レイスだ。
これは役じゃない。私自身。
…あなたが、良いって言ってくれた、私そのものだ。
「私は人類の、敵だけど…」
ヒストリアは剥き出しのエレンの背中に、そっと手を這わせる。寒かったのだろう、エレンの背中は冷たかった。それを掌の熱で温めてやるように、ヒストリアは手にぐっと力を込める。
「…エレンの味方」
「………!!」
愛の告白のように、照れ臭そうにそう呟いたヒストリアに驚き、エレンが後ろを振り向いた瞬間、
ドンという音と衝撃と共に、眼下からは狼煙が上がる。
地面に零れた脊髄液を口にしたレイス卿が巨人化したようだ。このままではあいつに食われてしまう。エレンは未だ鍵を外そうと奮闘しているヒストリアを見下ろし、動揺しながらも声を掛ける。
「も、もういいヒストリア…逃げろ!」
「嫌だ!!」
爆風に飛ばされそうになりながらも、ヒストリアは四つん這いになり、足の鎖の鍵穴と格闘する。手先が震えて思うように動かせない。これは少し時間が掛かりそうだ。ヒストリアの体は軽く、気を抜くと吹き飛ばされてしまうので、エレンの腰に腕を回してしがみついた。
密着すると、僅かに彼の体温を感じて、ヒストリアはまた泣きそうになった。胸が苦しい。
「…私はいい子にもなれないし、神様にもなりたくない」
「………?」
囁くようなヒストリアの声を拾おうと、エレンは必死で耳を傾ける。視線は言葉を紡ぐ彼女の唇の動きを追った。
「でも…自分なんかいらないなんて言って、泣いてる人がいたら…そんなことないよ って、伝えにいきたい」
ガチャリ、と音がしてエレンの右足の鍵が外れた。
右足の自由を感じたエレンの両眼は、今度はヒストリアの唇ではなく、彼女の瞳を見つめていた。
「…それが、貴方なら。尚更だよ」
「………!」
泣き笑いと共に、ヒストリアが口にした想いの全て。
その言葉の意味を、度が過ぎる鈍感だと周囲から呆れられる程のエレンでも、何故かすぐに理解する事が出来た。
…ヒストリアは多分、俺のことを……。
いつからだ?解らない。
三年も近くに居たのに、クリスタを、ヒストリアを恋愛対象として意識したことなど無かった。…今までは。
かあっと頬が赤くなるのを感じた直後、地鳴りと共に強い衝撃が二人を襲う。
「…ヒストリア!!」
小さな体は簡単に吹き飛ばされ、宙を舞う。解放されたのは右足だけで、まだ自由に動けないエレンは、地に落ちようとしている彼女の姿を目で追うことしか出来なかった。
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