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「…誰だ?」
かぶき町の外れにある橋の上。
乞食僧に扮した桂小太郎は、胡座をかいて座る自身の前に立ち塞がった人物に、低くそう問い掛ける。
深く被った編笠で相手は見えないが、ただならぬ雰囲気を醸し出す男に、桂は眉を寄せる。
「ククク…ヅラぁ、相変わらず幕吏から逃げ回ってるよーだな」
頭上で聞こえたその声には覚えがある。
随分長い間聞いていなかった声だ。
僅かに緊張を解すと、桂は深く溜め息を吐く。
高杉晋助。
自分と同じく攘夷浪士だが、その活動は過激で危険きわまりなく、最も幕府から嫌われている男だ。
「なんで貴様が此処にいる?」
余りにも残忍な遣り口は、攘夷党を率いる桂でさえ嫌悪感を露にする。明らかに邪険にするような口振りが可笑しかったのか、高杉は喉をならして嗤った。
「祭りがあるって聞いてよォ、いてもたってもいられなくなって来ちまったよ」
三日後に鎖国解禁二十周年の祭典がターミナルで開かれる。それには珍しく徳川将軍も参加するらしい。天人が蔓延るこの世の中では最早お飾りの将軍様だが、立場上は江戸幕府を治める征夷大将軍である。
江戸のトップが民衆の前に姿を現すなんて話を聞いて、黙っていられる訳がない。
「祭りの最中将軍の首が飛ぶようなことがあったら、幕府も世の中もひっくり返るぜ」
面白ェだろーな、と笑いだす高杉を、編笠を上げてまじまじと見上げる。
…変わってしまった。あの頃の高杉はもういない。
そう思うと何ともやるせなかったが、彼の身に起きた悲痛な出来事を知っている身で何も言うことは出来ず、桂は唇を噛む。
ふと、高杉は笑みを消し、青い空を見上げて呟くように言った。
「なぁ、お前真選組に女がいるのは知ってるか」
その一言で桂の脳裏にはすぐソーコの姿が浮かんだ。最近顔を合わせてはいないが、此方を見る目はいつも厳しく無表情で、刀やバズーカを向けてくる。あの子が笑ったらどんな顔をするだろう、と興味を持って近付いたりしたが、向う側にシャットダウンされてしまった。
「あいつに似てねェか…エンに」
「……!」
そう言われて桂の脳内で辻褄が合った気がした。
敵ながら何故あんなに気にしてしまうのだろうと、我ながら不思議に思っていたのだが。
エンに似ているのだ。
攘夷時代、男の中で紅一点、肩を並べて闘った少女。
短い黒髪はいつもふわふわ跳ねていて、よく馬鹿にされていたが、白い肌に大きな瞳、華奢な体躯は美しく、荒れ狂う戦場では一際輝いていた。派手な着物を羽織り、怖いものなどないように果敢に敵に挑んでいった。
ソーコとは違い喜怒哀楽が激しく、大口を開けて笑ったり、大粒の涙を流して泣いたりもした。
言われてみれば髪の色や表情が違うだけで、顔の作りはそっくりだ。
言葉を失った桂を見下ろし、更に高杉は続ける。
「前料亭で幕吏十人をぶっ殺した時になァ、鉢合わせたんだよアイツと…生きてやがったんだ。しかも幕府の犬になってな。迎えにいってやんねーと…アイツ、また泣くだろ?」
「…それは違うな、高杉。見ただろう?エンは俺達の前で…」
言いかけた所で、その先を制すかのように刀の切っ先が喉元に向けられる。
煮えたぎるような怒りを込めた瞳が桂を見下ろしていた。
エンは、戦で殺された。
しかも、桂や銀時、高杉の目の前で。
見せしめにされた。
あのくるくる変わる表情が無となり、光を映さなくなった濁った目は此方を見つめていて、大量の血飛沫と共に首が跳ねられた。
高杉の慟哭は空に吸い込まれていった。
幼馴染みで、恋人になった女を、目の前で殺された高杉の叫びは、時が経った今でも鮮明に思い出せるのだ。
彼女が着ていたような派手な着物を身に纏った姿を目にしただけで、高杉の時間はあの日から止まったままだということを予感させた。
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