深く、まるで深海に沈んでいく感覚の中、リースは走馬灯のように自分の記憶を巡らせていた。

オルドラン城を中心としたこの平和な国の、第二王女として生まれたリース。
物心つく前に先代の王は流行病で亡くなり、母である女王が亡き王の遺志を引き継ぎ、見事な手腕で立派に統治を行い国を繁栄させた。
そんな母の背中を見て、自分も母のようにこの揺るがぬ平和を旨とした政治を。と幼きリーンも幼少のころから勉学に励んでいた。
まだ幼く、歩くのもやっとなリースはそんな母と姉の背中を見て育った。
十数年後心労で倒れ、そのまま静かに息を引き取った母の代わりになろうとリーンはいっそう勉学に励み、若いながらも女王として君臨した。
忙しく大変であるはずなのに、リーンはリースに何も求めることはなかった。
王女たる自覚を持て、などといった言葉は一度たりともリースは聞いたことがない。
自分には苦労をかけたくないという姉の気持ちを薄々感じ取ってはいたが、だからこそ一人で頑張る姉の姿にせめてほんの少しだけでも背中を支えることができたならば……
勉学は真面目に取り組んでいる…が、どうしても姉のように博識を誇るほどの学はないしダンスだってそんなに好きじゃない。(苦手ではないけれど…)
音楽は好きだから積極的に取り組んでいるけれど、馬術も護身術もそこそこ。
何か一つ抜きん出たものもなければ、姉や国の為になるようなものは持ちえない。
リースはリーンに比べて甘やかされて育ったと自覚していた。
だからこそ自分がこれまで境遇に甘えて怠ってきたせいで何もできることがないのだと、今更悔やんだってどうしようもないことを理解していても、過去の自分を叱咤せずにはいられない。

せめて自分にできることはないか……リースなりに悩み、悩み抜いてようやくたどり着いた答えが、城の外に出て自分の目で視察を行うことだった。
考えるのは簡単だが実際行ってみると、今まで不自由なく城の中で過ごしてきたリースにとって外の世界は未知のもの。
姉に外へ行く、なんて言ったら叱られるのはもちろんのことお仕置きされるのは目に見えていたので護衛にも内緒で一人で出てきた。
物心ついた時から必ず誰かがリースの傍に一人は控えていたが、今はたった一人。
初めての世界で初めて一人きりで、初めての体験を行う――姉の為と意気込んで出てきたが、今リースを支配するのは未知なるものへの恐怖だった。
もしリースが城下へ、外の世界へ行ってみたいと願うことが一度でもあれば、ここまで不安に怯えることもなかったであろう。
しかし満たされた環境で、(姉よりも)自由な生活を送ってきたリースは、別に禁じられてもいない外に出る必要性を感じられなかった。
真面目に取り組む母と姉の背中を見て、そういったことに興味を持つことを無意識に避けるようになっていたのだった……

町は賑わっており、みな簡素な服を着て忙しなく市場を歩き回っていた。
静かな城内で貴族と使用人、兵士しか見たことがないリースには大勢の人で溢れかえる賑やかな市場ですら恐れを感じた。
人に触れないよう身を縮こまりながら、大通りを抜けて人気の少ない静かな町外れまで一時間かけて通り抜けた。
さすがにこれ以上足を踏み入れるのは、今日はもうこれ以上出来ないと判断しリースは元来た道を先程よりも少し早い足取りで戻る。
行きは歩くだけで精一杯だったけれど、帰りになる頃には幾分か余裕が生まれていた。
素通りするだけだった出店を覗いたり、品物に触れてみたり…それぞれについている価格の相場すら分からないけど、いつの間にかリースが抱いていた恐怖は嘘のように溶けて消えていった。
通りを歩く人全て、笑顔であることがこの国の…リーンの手腕を物語っていた。

「あの、すみません…」

「はいよらっしゃいお嬢さん、何か欲しいものはあるかい?」

「いえ今は持ち合わせがありませんので…少しお伺いしたいのですけれど、あなたは今何か不満をお持ちですか…?」

「なんだお嬢さん藪から棒に……そうだなあ、かみさんのいびきがうるさくて堪らないことかねえ!」

「あらやだ店主さん!そんなこと言って、奥さんに知られても知らないよ!」

「うちのかみさんはこえぇからなあ!あ、あとお小遣いを上げてほしいねえ!」

「そりゃあんたの稼ぎしだいさね!」

「違えねえ!わはははは」

「…あ、あの…ありがとうございました。
また…手持ちのあるときに立ち寄らせてもらいます」

「おう、またぜひ来てくれやお嬢さん!」


店主と他のお客との会話についていけず後にしたが、思っていた答えと違っていたのでリースはあと数件同じように訊ねた。
しかし返ってきた答えといえば「子供が増えて家が狭い」だの「かみさんが怖い」ばかりで、予想していた答えとはまるきり異なっていた。
焦れて最後の一人には直接的に聞いてしまったのだ。
国に対して不満はありますか?と……それに対しての答えは「特にない」だった。

「税も高くないし、昔みたく戦争もねぇ。
何も不自由しないし、リーン様はよく頑張ってると思うぜ?まだお若いってのにすげえなあ!」

…そうか、そうだったのか。
何も不満がないから自分達の家庭の愚痴しか出てこなかったのだ。
母は、姉は間違ってなかった……みんな今の政治を受け入れてくれている…!
やっぱり今日思い切って行動して良かった。
自分の足でないと分からない貴重な経験を得ることができた。
まるで初めてのお使いを完遂させた子供のように、リースは心躍らせながら城に戻った。

……すっかり忘れていたが、勝手に無言で城を抜け出したリースをリーンと侍従長が目を吊り上げて部屋で待ち構えていたことは言うまでもない。
あの時の二人は本当に怖かった…!
長時間に渡るお叱りを受けて沈むリースを、リーンはギュッと抱き締めた。
良かった、心配したのよ、リースの身に何かあったのかと……リーンの震える声に、リースも声を震わせながらひたすらごめんなさいを繰り返した。


……



「……さま、…様!」

「あ…っ、う」

「リース様!ご無事ですかリース様!?」

「、ルカリオ…?」


水底から引き揚げられる感覚がして、気が付いたら私は地面に膝をついて座り込んでいた。



(彼女が外に飛び出したきっかけとなる昔話)




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