ある日を境に、審神者の様子が少々おかしくなり始めた。
おかしいと言っても全く些細な変化だ、時折ふっと浮かない表情を見せたり、見つめると目をそらすようになった、その程度の変化。
おそらく僕以外、気づいている刀剣はそうはいないだろう。
彼女は年若い人間にしては出来過ぎなほどに、自分の感情を隠すことに長けていた。
それでも僕は、何があったのかと聞くつもりはなかった。
僕は彼女との関係性に、根拠のない自信を抱いている。
彼女が僕に言わないのであればそれは彼女自身が選んだことで、それなら話してくれるまで待つか、それより先に解決すればいいなどと思っているのだから。
以前の僕なら、話されないのは信頼されていない証だと勝手に解釈しては彼女を傷つけていたに違いないのに。
彼女によって、随分変えられてしまった。
けれどその結果がこれなら、こんなに皮肉なことはない。
やはり一声かければよかったのだ、そうしたら審神者が僕の腕の中でこんな風に泣くこともなかったのだろう。
僕に人の心を真に理解することは、難しかった。
審神者は涙交じりの声で言った。
戦いは終わった、自分は元いた現世へ、ここでの記憶をすべて失って帰らなければならないと。
政府からそういった内容の手紙が来てしまったと。
彼女を受け止めながら、僕も頭が真っ白になっていた。
彼女は、わかっていたのだと言った。
いつか戦いが終わったら、自分は全てを忘れ日常に戻ると。
初めは、置いてきてしまった家族を、日常を思い、加州や薬研が早く戦いを終わらせ現世に帰す、と誓っていたらしい。
けれどそのうちに僕たちと過ごすことに幸せを感じるようになり、今では戦いが終わらないでほしかったと不謹慎なことを考えているのだと、彼女は言った。
初めて知った、彼女の葛藤。
最初は日常に帰れるかという不安、最近は僕たちを失う恐怖に耐えながら、主らしくあろうとしていたのだ。
年端もいかない少女に過ぎない審神者が。
彼女が僕の前でも決して取り去ろうとはしなかった主としての面は、どこかへ消えてしまっていた。
僕は彼女を抱きしめた。
まだ、僕はここにいる。
彼女に触れることも、慰めることもできる。
僕はどうするべきなのか、どんな言葉をかけるべきなのか。
もう一度読み違えている僕は、必死になって答えを探した。
そんな中、審神者が唐突に口を開き。
僕に一つの答えを提示する。
「……宗三、連れて行ってよ。
どこか、遠くに」
それは消え入りそうな声。
主としての面が剥がれたからこそ出てきたであろう言葉。
ただの少女としての、彼女の本音。
それど、僕は、その願いに応えることはなかった。
一瞬前まで正解を探していた僕は、しかしその一言で簡単にそれをやめてしまった。
「僕は、何のために戦っているのだと、思いますか」
「……何の、ために?」
「あなたが帰るべき場所を、守るためです」
僕は政府とやらに義理はない。
戦うことを拒否することだって、やろうと思えばできただろう。
それでもそうしなかったのは、彼女が帰るべき場所を、彼女が進むべき未来を、失ってはならないと思ったから。
それなのに僕が彼女を攫ってしまっては、それらがすべて意味をなさなくなってしまう。
ただしそれをそのまま口に出してしまった僕は、完全に理性を失っていたのだろう。
本心であろうと、本当は悩み迷って僕に助けを求めた審神者に、突然こんなことを言うべきではなかった。
僕がそのことに気付いた時には、もう審神者は主の顔を取り戻していて。
そうだよね、ごめんねなどと言い出すものだから。
どうしたらいいかわからない僕は、とっさに彼女をきつく抱きしめてしまった。
審神者が息をのむのがわかった。
「……貴女が正しく現世へ戻って、そうしてそこに僕もついていけるのなら、僕は迷わずそれを選びます。
貴女と離れたいとは、かけらも思っていません。
けれど、そうできないのであれば……僕は、貴女と離れたくない以上に、貴女を傷つけたくないのです。
……勝手を言って、申し訳ありません」
どれだけ伝わったかはわからない。
傍にいたいけれど傷つけたくない、こんなにも簡単なことがなぜ叶わないのだろう。
なぜ、この二つが矛盾してしまうのだろう。