恋人である歌仙兼定と月を見ていたら、「愛しているよ」と言われて大爆笑してしまった。
「何がおかしいんだ」
分かりやすく機嫌を損ねる歌仙は、私が何故笑ったのかわからないらしい。
「装飾過多なはずの貴方が、分かりやすく情熱的に言ってくれたのは助かったけれど。
愛している、だなんて」
言いながら思い出し笑いさえこぼれてくる。
「だから、何がおかしいんだ」
「わからないならいいわ」
私は、その言葉のあまりの白々しさ、軽薄さ、薄っぺらさ、虚しさ、その他諸々を笑ったのだが。
「愛してる、なんて言って美しいのは物語の中だけよ」
もし共感してもらえないのなら、想像してもらえればわかるはずだ。
恋人に、本気で、愛してるだなんて言われたら。
それはそれは嘘くさすぎて、きっと誰でも笑ってしまう。
それは、相手が本気で言っているかどうかは関係ない。
何百年も生きている彼が言ってもそうなのだ、過去の恋人に現世で言われていたら、私は笑い死んだかもしれない。
「うふふ、ねぇ歌仙。
そんな言葉は、ホルマリンにでも浸けて、ぷかぷか浮いたり沈んだりするのを、眺めているくらいが丁度いいのよ。
取り出すことも、触れることもできずに、ただ眺めているだけ。
そうしたらきっと、この世の何より美しいわ」
「ホルマリン?」
「防腐剤よ。
例えばあの花を、綺麗なうちに摘み取って、そのままの姿でずっと大事に仕舞っておけたなら、風流じゃない?」
「どこが風流なんだい。
花は散るまでが美しいんじゃないか」
「そんなことないわ。
女を花に例えるのは、見頃が一瞬っていう共通点があるからよ。
茶色くなって地面の土にこびりついた花弁なんて見たくもないわ」
真っ赤な花のような、愛という言葉を、青白い液体に漬け込んで、透明な劇薬越しに眺めたなら。
それはきっと、心を奪われるような美しさだろう。
花も、蝶も、愛も、歌仙も。
いつの日か、劇薬越しに眺めてみたい。
美しいものは全て、濃密な毒の中で永遠に生きながら永遠に死んでいく。
そんな未来が、あったなら。
恍惚とする私を、歌仙が青い顔で見つめていた。
私のこういう面を見るのは、初めてではないくせに。
きっと彼も何だかんだ、理系の感性が新しいのだわ。
愛してると言われて、大爆笑する私の感性が。
fin.