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神社へ続く、長い石階段。



色とりどりの提灯が、遠く上の方で揺れている。



毎年行われるこのお祭りは、私にとってとても馴染み深い。



けれど今年は、はしゃぐ気分にはなれないまま、習慣的に足を運んでしまった。



本当なら、今日は初めてできた彼氏と一緒にここへ来るはずだったのに。



元々、私から告白して始まった関係。



きっと向こうは、暇潰しか、誰でもいいから彼女が欲しかった、くらいの気持ちだったのだろう。



私のことを特別好きなわけではなかったのは、なんとなくわかっていた。



それでも私は彼が好きだったから、振り向いてもらえる様努力したし、気を使ってきたけど、やっぱり終わりは来た。



向こうからして見れば、特に好きでもない女と夏を過ごすのは気が乗らないということだろう。



それでも、浮かれて母に浴衣の着付けを頼んでしまった手前、別れたとも言い出せず、一人浴衣姿でお祭りに来てしまった。



階段を登りきると、周りは友達や恋人と楽しそうにしている人ばかりだ。



こんな場に、浮かない表情で歩いている人なんていない。



やっぱり、来なければ良かった。



虚しさが募る一方だ。



大人しく帰ろうと、今登ってきたばかりの階段へ足を向けた瞬間、金魚すくいが目に入った。



帰る前に一度だけと、別段好きでも得意でもない金魚すくいに向かったのは、後から考えれば、まるで運命だった。



「一回、お願いします」



呟く様に言いながら、相手の顔も見ず百円玉を差し出し、代わりにポイを受け取った。



集まったり、散らばったりを繰り返す金魚を少し眺めて、水中にポイを沈める。



一瞬掬い上げられた朱の金魚は、数回跳ねて薄い紙を破り、水の中へと戻っていった。



「惜しかったな、もう一回やるか?」



「いいです」



「掬えなくても一匹はサービスするぜ」



「……いいです」



元々飼えるほどの用意はないし、金魚がほしいわけではなかった。



何より、こうして大きな容器を泳ぐ金魚たちを見れば綺麗だと思えるが、小さな袋に、一匹だけ詰められた金魚は悲しい。



今は特にそう感じるだろう。



「祭りなのに、随分つまらなさそうな顔だな」



金魚すくいのお兄さんの立ち入った発言に、私は初めて相手の顔を見上げた。



白い浴衣のその人は、髪も肌も真っ白な、現世離れしたような美しい人だった。



浴衣を止める帯だけが赤く、まるで何かの生き物のようだと思ったが、その『何か』は思い出せない。



「ちょっと、店番を頼まれてくれないか。



どうせ客も少ないし、すぐに戻る」



私に断る間も与えず、お兄さんはどこかへ行ってしまった。



見たところ働いているのは一人のようだし、お手洗いか何かだろうと待っていたら、お兄さんはりんご飴を持って現れた。



男性にしては随分甘党だなと思っていたら、お兄さんはなんとそのりんご飴を私に差し出した。



「金魚の代わりだ、受け取ってくれ」



「そんな、いただけませんよ」



「いいんだ、誰も来なくて退屈していたからな。



それに、断られても俺は甘いものは好きじゃない」



「……じゃあ、いただきます」



毒々しい程に赤いそれをありがたく受け取り、少し舐める。



別に涙でしょっぱい、なんてこともない。



それはそれは、甘かった。



「……変わらないんだな、君は。



気持ちを表に出すのが下手だ」



まるで古い知り合いのようなお兄さんの言葉に、私は大きな違和感を覚える。



私とお兄さんは、知り合いなんかではない。



こんなに綺麗な人を、一度見たら忘れないはずだ。



「……どこかで、お会いしたことがありましたっけ」



「いいや、ただの人間として出会うのはこれが初めてだ」



ただの人間、なんて、随分おかしなことを言う。



夏の暑さに、やられてしまったのだろうか。



普通ならさりげなさを装って撤退してもいい頃だが、何となくその台詞を自然に受け止めてしまった私も、暑さにやられているのかもしれない。



「じゃあ私とお兄さんは、前世か何かで知り合いだったんですね」



「ははは、まぁそうだな。



君はいつも、周りに隠して一人で傷付いていた。



それを察して声をかけるのが、俺の仕事でもあったんだぜ」



優しい人だ。



きっと私が一人でお祭りなんかに来ていることから何かを察して、面白い話をしてくれているつもりなのだろう。



嬉しいけれど、見ず知らずの人を巻き込むのは、この辺りでもう充分だ。



「……ふふ、素敵な話をありがとうございました。



……私、もう帰ります。



りんご飴、ごちそうさまでした」



そう言って、返事を待たずにお兄さんに背を向けた瞬間、お兄さんが後ろで言った。



「俺の名前は、鶴丸国永だ。



もしこの名前で何か思い出すことがあれば、また今度、この神社を出て左手にあるカフェに来てくれ。



そうしたらその時は、君が今日落ち込んでいた理由も聞かせてほしい」




私は思わず振り返った。



白い浴衣によく映える、赤い帯。



この人は、鶴によく似ている。



そして、私の口からは勝手に言葉が紡がれる。



「驚かせるのは、やめてくださいね」



自分で発した言葉に、私も驚き、鶴丸さんはもっと驚いていたが、すぐに優しく微笑んで言った。



「さて、それはどうだろうな」



ああ、何だか覚えている気がする。



大きな日本家屋での生活、私が惹かれた真っ白な人、その人にかけられた水鉄砲。



私の記憶ではないけれど、心のどこかに。



「……明日、カフェに行きます」



あの頃そのままの気持ちではないけれど、彼は私にとって大切な人だ。



「先に言っておきますけど……愚痴、長いですよ」



「何時間でも聞くさ。



……明日、待ってる」



虚しい気持ちはどこかに消えていた。



昨日までの彼氏を忘れることはできないけれど、もっと長い時間を一緒に過ごした人との記憶を、思い出さなくては。



今度こそ、忘れてしまわないように。



そんな大切だったはずの日々を抱き直す、夏の夜。

fin.



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