縁側から見える景色が、いよいよ夏らしくなっていた。
暑いのは好きではないが、夏には夏の風流がある。
部屋にいる彼女に届くように、初夏の詩を一句詠んだ。
今度こそ、お気に召すだろうか。
自分でもいい出来だと思ったが、彼女は部屋から出て来なかった。
彼女はいつもそうだ、僕が詩を詠んでも反応した覚えがない。
初めて会ったとき、文系銘刀だと言ったら、彼女も文系なのだと嬉しそうに言っていたのに。
僕の詩が気に入らないのか、彼女は僕がこうして縁側で一句詠んでも、何も返してこなかった。
初期刀の歌仙兼定は、私と同じ文系だ。
私も大学では国文学を専攻していたし、昔の文学を美しいと思ったりもした。
けれど、私と彼では根本的に趣味が合わない。
彼は雅だ風流だと言っているが、私は装飾過多は好みではないのだ。
素朴な表現や、素直な心理表現が好みな私にとっては、彼の好むものは遠回しすぎて伝わりにくい。
自室にいると時折彼が一句詠んでいるのが聴こえるが、その度に私は彼との趣味の違いを感じていた。
もちろん人には好みがあるし、自分の考えを押し付けるのはいいことではないので黙っていた。
そんなある日のこと。
次郎が、私が就任して一年の祝宴をしようと言い出した。
私は別に、そんなことを祝ってくれなくてもいいのだが、多分次郎もお酒を呑みたいというのも本音だろうから受けることにした。
そして、夜。
大広間は短刀脇差を除いた面子で、盛り上がりも最高潮だった。
次郎のテンションもいつも通り高く、驚くことに普段は大人しい刀剣まで饒舌になっているようだ。
これは断らなくて良かったな、と思っていたら、突然加州清光が叫んだ。
「どうかしました?」
「歌仙が倒れた。
下戸の癖に呑みすぎだよ」
見た目年齢的には年下である加州にこんなことを言われるなんて、全く雅でないのでは。
歌仙がお酒に弱いのは私も知っていたし、今日も度数の低いお酒をちびちびやっているのかと思いきや。
「歌仙、酔ってしまったなら部屋で休んでください。
お酒に呑まれて周りに迷惑をかけるなど、雅じゃありませんよ」
雅じゃない、という言葉にかろうじて反応した歌仙の腕を自分の肩に回して立ち上がった。
「主、俺が連れていくよ」
「いえ、すぐに戻ってきますから」
各々楽しんでいるようだし、水を差すのも良くないだろう。
「ほら歌仙、立ってください」
「あ、主………」
部屋を出ると、見事な上弦の月が浮かんでいた。
縁側で一人月見酒というのも、風流だったかもしれない。
「歌仙、月が美しいですよ」
月や花などの、自然の美しさは好きだ。
そういえば、歌仙はそういったものには興味がないのだろうか?
「………主、君は………月を美しいと感じるのだね」
「え、ええ………歌仙は、そうは思いませんか?」
唐突に話し出した歌仙は、夜風に少し酔いが覚めたのか、ようやく完全に自分の足で立った。
「いや、僕も月は美しいと思うよ………君が好むもの、初めて知った」
「………そうでしたっけ」
「君は、いつも僕が美しいと思う詩に、共感してくれなかった。
僕はいつも、君が好むものを知りたいと思っていたよ」
聞いてくれれば、いつだって教えたのに。
言いかけてやめた。
彼は、遠回しで奥ゆかしい風流を好む文系だ。
直接聞いてくるわけもない。
「私は、飾らずとも有りの儘に美しいものに感動を覚えますね。
他にも、美しくはなくても、人の感情は全て趣深いものと思います」
「そうなのか………最初から、花や月の美しさに、同意を求めれば良かったんだな………」
「そういうことに、なるのでしょう」
歌仙の部屋に着いてしまった私たちは、何となく歩を止めたまま。
「今日の僕のことは、忘れてくれ………
全く以て、雅じゃない」
お酒に呑まれたのはともかく、少し赤の残った頬で月を背にする歌仙は美しく見えた。
けれど、それは私だけの秘密にしておこう。
「………今度、二人だけでお花見をしませんか」
「風流だね………喜んでお受けするよ。
僕はもう休む、いい夜を」
「おやすみなさい」
私はもう一度、月を見上げた。
月がゆっくりと満ちていき、また欠けていくように、私たちもゆっくりと歩み寄ればいい。
二人の距離が少しだけ近づいた、そんな夜の話。
fin.