べべべ別に生き遅れとかそんなんじゃない
「まーたアーシャ様はだらしない格好をして!」
「うわ、エラム」
「うわじゃないですよ全く。何ですかこの散らかりようは。ほら一先ずはこれを着てくださ……あっ、また蓋開けたままインク放置してる! あれほど止めてくださいと言ったじゃないですか」
さっきからくどくどエラムは私のお母さんか。何なんだ。確かに少し散らかってるかもしれないけど、昨夜は調べものがあって書物を広げてただけだし。うん普通に汚ないな。近頃エラムのお小言が、前にもまして増えてきた気がする。
でもそれは、殿下が王都エクバターナの奪還を果たし、平穏であることの証なのかもしれない。
「あー、はいはい。わかりましたよー」
「返事は一回でいいです。というか絶対わかってないでしょう!」
「うるさいな片付ければいいんでしょー」
「とか言って大半を片付けるのは私なんですからね! もう」
ぶつくさ文句を言いつつも、毎回エラムは手伝ってくれる。兄が王宮を追われ山に隠居していたときならともかく、今では彼が私の面倒を買って出る必要などないというのに。私は多少の申し訳なさを感じつつ、彼の優しさに甘えてしまうのだ。
「……何にやにやしていらっしゃるんですか」
どうやら無意識の内に顔に出ていたらしい。若干の気恥ずかしさを覚えつつ、平静を装って答える。
「んー? エラムは優しいなと思ってね」
彼は兄ナルサスに仕える侍童であり、妹の私はあくまでおまけだ。とか言いつつ彼は私に対しても誠実で、多少のわがままにも付き合ってくれる。なんだかんだで兄妹揃って頼りっぱなしで、感謝してもしきれないくらいだ。
「………………意味もなく優しくしてる訳じゃないんですけど」
考え事をしていたら彼の言葉を聞き逃した。「ごめん今なんて?」と聞き返すと「何でもありません!」と思い切り顔を背けられる。
……何でだ。
思いの外早く片付けが終わったので、二人でお茶でもしようかということになった。私が多すぎてもてあましていた焼き菓子も一緒である。
「これなかなか美味しいですね。どうされたんです?」
料理上手な彼のことだ。ひっそりと闘争心でも燃やしているのかもしれない。
「この間貰ったの。確か正門のそばのお店だと言ってたような……」
「なるほど、ありがとうございます。こちらは陛下からですか?」
「あー、確かに陛下にはよく戴くけど今回のは違うよ。縁談の相手から貰ったやつ」
彼の目が大きく見開かれる。私もいい歳だし、そんなに驚くことはないだろう。いや、寧ろ売れ残り扱いされてたのかな。ちょっと傷ついた。
「…………そうでしたか。贈り物を戴くということは上手くいっていらっしゃるのですね」
だからこの世の終わりのような顔をするのはやめろ。お姉さん悲しい。
「うーん、そうでもないけど。そろそろ腹をくくらないとね」
実際、送り主と上手くいっているかといえば微妙である。どうやら私を通じてあわよくば……とでもいうような横島な考えを持っていそうな感じだ。まあもうしばらくは様子見、というところかな。
「エラムはさ、気になる子とかいないの? ダリューンとこの侍女とかどう? 可愛いよ」
それきり彼が黙ってしまったので話題を変える。もう十七歳だ。気になる子の一人や二人くらいいるだろう。
「お慕いしている方はおりましたが、失恋してしまいました」
あ、これダメなやつだ。もっと楽しい話をするつもりだったのにエラムの顔がどんどん曇っていく。
「そっかあ。うん、そういう時もあるよね! エラムならきっといい出逢いがあるよ」
自分で言いながら頭を抱えたくなった。今すぐ時間を巻き戻したい。もっと他に話題あっただろ、私の馬鹿。
「いいんです。元から私とは釣り合わない御方でしたので」
「そんなこと言わないの。もっと自分に誇りを持ってさ」
エラムの思い人とは誰なんだろう。彼は顔だって悪くないし、性格も申し分ない。口振りからして身分の高い方なのかな。
「いっそ告白しちゃうのはどう? その気がなくても、相手は嬉しいと思うよ」
うつむいていた彼がはっと顔を上げる。
「アーシャ様は、もし、もしも私に告白されたら嬉しいですか?」
「エラムに? それはもちろん」
落ち込んでいた彼の表情がどんどん明るくなっていく。よし、何とかいい空気になってきた。頑張れ私。
「エラムみたいな素敵な人に告白されたら、そのまま惚れちゃうかもしれない」
私の言葉を聞いた彼がガバッと立ち上がった。どうやら元気になったみたいだ。よかった。
「あの、アーシャ様、聞いてほしいことが……」
「ん? 何でも言ってみなさい」
何だろう。他にも相談とかあるのかな。彼には迷惑をかけてばかりだし、私が力になれることなら頑張ろう。
「私、ずっと前からアーシャ様をお慕いしておりました」
「…………………………………………………へ?」
我ながら情けない声が出た。いやまてまてまて彼は今何と言った?
「んんんん? 何だって?」
「お慕いしております」
聞き間違いではなかった。驚きのあまり立ち上がる。後ろで椅子の倒れた音がする。いや、そうじゃないだろ。エラムが私を? だって、そんな、まさか。
「エ、エエエラムどうしたの? 冗談キツいよ」
「冗談なもんですか。貴方の明るく優しいところ、兄弟揃って頭の良いところ、朝に弱いところ、自分に無頓着なところ………とても言い切れませんが、エラムはそんなアーシャ様のことを好いております」
「あ………え、っと」
何か言おうと口を開くが、喉はからからで言葉が出ない。
「………私に告白されたら惚れてくださるんじゃなかったんですか?」
彼の深緑にじっと見つめられる。顔が熱い。かつては私より低かった身長も、今では抜かされてしまった。何で気づかなかったんだろう。今更ながら、彼はとっくに、だって、いつのまに、こんな。
「っー!」
「申し訳ありません。やはり困らせてしまいましたね」
「食器を片付けて来ます」と彼が部屋を出て行く。
なんだこれ、反則だ。そうして一人残された私は、彼が戻ってくるまでになんとか心を落ち着かせようと焦るのだった。
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