06.暁
完全にやってしまった。
「アーシャ……悪気はなかったのだ。許してほしい」
「許す? 仰る意味が解りかねます」
私はパルス王国の王太子、アルスラーンである。現在は仲間と共にルシタニアの追手から逃げている最中で、夜明けと共にニームルーズ山中にあるカシャーン城塞を目指すことになっていた。
「アーシャが怒るのも無理はない。本当にすまなかった」
「……怒ってません」
「怒ってるではないか」
「怒ってません!」
彼女は同じ旅の仲間であるアーシャ。もうすぐ出発前だというのに、彼女を怒らせてしまった私はどうするべきかとおろおろしていた。
――時は数分前に遡る。
「殿下、御髪が乱れております。よろしければ結い直しましょうか?」
彼女の問いかけで自分の髪がほどけかけていることに気づく。
「本当だ、すまない。お言葉に甘えることにしよう」
こうして髪を結い直してくれたまではよかった。問題はその後である。
「アーシャのような姉がいたらよかったのにな……」
「あら、殿下の姉君ならば私は姫様になりますね」
小さな独り言のつもりだったのに本人から返事が返ってきて飛び上がる。彼女は繊細な声の演じ分けができるのだ、もしかしたら耳も凄く良いのかも知れない。
「なんだ、聞こえていたのか。照れ臭いな」
「私には身に余る光栄にございます」
「そんなことを言うな、もしそなたが本当に姉であれば嬉しいよ」
彼女は気立てがよく、頭も良い。もしも本当に姉であったなら、きっと私も誇り高かったであろう。
「有りがたきお言葉。まあ姉というには些か歳が離れすぎていますけどね」
今考えれば、この時点でヒントはあったのだ。疑問を持たなかった私は大馬鹿者である。
「? そうだろうか。四、五歳差なんて珍しくもないと思うが」
そう口にした瞬間、アーシャがふと真顔になると同時に、後ろでダリューンとナルサスの吹き出す音が聞こえた。あれ?
「……………………殿下。恐縮ながら申し上げますが、私は二十六にございます」
「二十六歳……えっ!?」
さあっと血の気が引いていくのを感じる。だから二人は笑っているのか。てっきり十八、九ぐらいかと……
「す、すまないアーシャ! そうとは知らず失礼なことを」
「……いえ、全て私の顔が悪いのです」
――そして冒頭に至ると云うわけだ。
未だにダリューンは肩を震わせて笑っているし、もはやナルサスは大笑いを隠す気がない。
「よかったではないかアーシャ。まだまだ若く見えるということだ」
笑いを我慢しているのか若干顔をひきつらせながらダリューンが励ます。
「うるさい。流石に十近くも年下に見られるのは嬉しくないわよ」
ごもっともだ。実際の年齢に比べ、ここまで年下だと思われていたのだ。舐められていると判断されても仕方ないだろう。
「ああ、アーシャ。何と言ったらいいか……本当にすまない」
「別に、気にしてません」
「……すまない」
結局出発してからもアーシャは不機嫌なままで、アルスラーンは人を見かけで判断してはいけないとしっかりと胸に誓うのであった。
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