後半戦
2014/01/24 15:45

【19世紀後半のスウェーデンとその社会】
・1872年オスカル2世が即位。
・1876年、首相制が導入される。
・1879年ストリンドバリが『赤い部屋』を著す。

・1885年、防衛革命が行われる。アウグスト・パルメが社会民主主義紙をストックホルムで創刊する。
・1889年スウェーデン社会民主労働者党が結党される。

・1905年、ノルウェーが独立。
・1907年オスカル2世が死去し、グスタヴ5世が即位。
 セルマ・ラーゲルレーヴが『ニルスのふしぎな旅』を著す。


『19世紀後半の民衆運動』
@宗教運動:信仰復興運動
<背景>…情報源の多様化→価値観の多様化、個人の選択が広がる
<経過>…外国からの布教(スコットランドより、ロセニウス達、日曜学校、教区を越えた活動)

1848年:同国初のルーテル派ではない、バプティズム派(国と教会が一緒になるのはおかしい、とか言う人たち)の教会が設立される。→各方面より迫害→これに対する民衆の反発、外国からの非難

1860年:国教以外の宗教への改宗を認める。(キリスト教の中の宗派で)

<結果・意義>…民衆の心の勝利。(ただし限界もある)

A禁酒運動:ジャガイモの登場。17世紀中頃に伝わり研究対象に。
リンネの評価「見栄えが悪く、花も黒っぽく咲き、毒性もある。食用として不適切」

ポメラニア戦争参加兵士が持ち帰り、食料となることが分かる。さらに、酒になる。が、グスタヴ3世期で焼酎が国の専売→国民反発

カール14世ユーハン時代:上流階級「禁酒運動」

1853-54年国会:家庭での焼酎製造禁止
   1870年代:アメリカの自由教会運動が伝来、完全禁酒。9年後、国際禁酒団体がスウェーデンで組織される。

<結果・意義>
政治社会を根底から覆すものではなかったが、少人数で組織を作り活動できることを学んだ。(協同社会)

問題点:飲酒する者がいる限りこの運動は続く、政治課題にもなるが解決策なし

1922年:禁酒法の導入に関する国民投票
賛成:49% 反対:51%

B労働運動:様々な民衆運動の中で、最大規模かつ政治・社会的に大きな影響を及ぼした。
<経過>…土地を所有しない農民→都市の最底辺で、労働を売って賃金を得る生活。戻れる故郷もない。
<意義・結果>…非力な人が結集→組織化→国家と対決→主張が認められる。「自分たちの手で社会を創る」


【ノルウェーの独立と第一次世界大戦】
<前史>
1380年:デンマークと同君連合
1397年:カルマウ連合王国成立
1814年:デンマークとの連合を解消され、スウェーデンと連合。

1871年:スウェーデン=ノルウェー新連合法がノルウェーの国会で否決される。
1873年:ノルウェーの首都クリスチャニアに設置されていた総督府が廃止され、代わりにノルウェーの首相制が始まる。(スウェーデン側の譲歩)
1881年:ノルウェーで「副王」制度が廃止される。(スウェーデン側の譲歩)
1891年:スタング政権がスウェーデン人外相の存在を認めるが、議会反対。独立の声が高まる。

1905年:N国会は独自の領事制度設置を可決→国王拒否権→内閣、総辞職を申し出る→国王「認められない」→N国会に総辞職を申し出る。(6月7日)

N国会の対応
@「国王が内閣を形成できない場合には、その憲法上の権能は効力を停止している」
A「オスカル2世はノルウェー国王としての務めを全うしていない」
→スウェーデンとの連合は解消される。(やや強引だが)

その後、国民投票で連合解消が決まり、王政の国に。王はデンマークの王室から呼び、ホーコン7世に。

【北欧と第一次大戦 -中立の試練-】
1912年:北欧三国(S、N、D)が戦争に備えて中立の確認を行う。
1914年:6月にサアエボ事件、7月第一世界大戦勃発
    12月、Sの呼びかけで北欧三ヶ国国王会談がSのマルメで開催(首相、外相同席)

1916年3月:北欧三国首相、外相会談(コペンハーゲン)
   9月:北欧三国首相、外相会談(クリスチャニア)

1917年:ノルウェーのクリスチャニアで3国王が会談。
   11月、ロシア革命勃発。北欧三国会談。

1918年:第一次世界大戦が終わる。

メモ
「グスタヴ5世」
親独傾向…「中立だからスウェーデンは襲わないでね」とヒトラーに手紙を出したことがある。

「古い類の同盟ではなく理解と愛に満ちた同盟を!」など。

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