ナポリタン
2014/01/22 17:58

【ナポレオンの登場とスウェーデン -グスタヴ4世の時代-】
・1796年グスタヴ4世(18歳)の直接統治が始まる。父の政治体制を引き継ぐ(絶対王政)
・グスタヴ4世はバーデン公の息女フレデリカと結婚(夫婦仲が良い)

・1799年フランスで統領政府が成立、ナポレオンは第一統領。
・1804年ナポレオン皇帝即位。グスタヴ4世はこれを認めず、秋にはナポレオン・フランスと断交。

・1805年スウェーデンは中立を捨てて、第三回対仏大同盟に参加する。翌年大陸封鎖。
・1807年コペンハーゲンがイギリスの砲撃を受ける→Dは最終的に仏と同盟を組む。

ロシアがナポレオンと協議し、対仏大同盟から離脱(ティルジット条約締結)。
<密約:ロシアがフィンランドの自由処分権を得る>

ポメルンがフランス軍に占領される。ロシアはスウェーデンにナポレオンと和解することを勧告→スウェーデン拒否、つまり仏と露の敵となる。

・1809年、クーデターによりグスタヴ4世が逮捕・監禁され、最終的に退位ささられる。その後彼はグスタヴソン大佐と名乗って流離う。(スイスで心臓麻痺のため死去)
 6月6日、カール公が政体書を受け入れ、カール13世として王位に就く。9月17日、フレデリクスハムンにおいてロシアとの平和条約が結ばれ、スウェーデンはフィンランド全土を失い、約100年間フィンランドはロシアの大公国となる。

・1810年フランスとも講和を結び、ポメルンの返却を受ける。
 スウェーデンはイギリスに宣戦布告。
 スウェーデン王にするはずだったデンマーク人王太子カール・アウグストが落馬事故で死去。6月20日の葬儀に伴い、王国元帥だったフェルゼンが民衆に撲殺される(毒殺ではないか?という噂で疑いが掛かっていた)。12月には正式に疑いが晴れて埋葬される。

・スウェーデンでは後継者選びが本格化し、軍人ムルネルの思いつきでナポレオンの元右腕であったベルナドッテが浮上する。国会で次期王位継承者に選出され、11月にカール・ユーハンと改名。カトリックから新教にも改宗した。妻はナポレオンの元恋人デジレ。


【ベルナドッテ王朝 -19世紀のスウェーデン-】
・1814年デンマークとキール講和条約を結ぶ。Sはノルウェーを獲得し、Dはポメルンを得る。が、プロシアに攫われる。 ノルウェー人は講和条約に反発し、独自の憲法(エイツヴォル憲法)を制定し、独自の国王を選出。Sは軍事的圧力をかけ、最終的には8月のモス条約により、「スウェーデンがノルウェーの独自憲法を認め、ノルウェーはカール13世を国王に選出し、スウェーデン=ノルウェー連合王国が成立する」。

・1818年カール13世が死去し、カール14世が即位する(ベルナドッテ王朝が始まる)。
・1825年、詩人テグネールが『フリチョフ・サガ』を発表する。
・1833-34年、コレラが流行る(ストックホルムで死者約3000人)。

・1844年カール14世が死去し、息子のオスカル1世が即位する。(改革意欲はある)
・1853年ストックホルムとウップサーラ間に電話線が開通。ストックホルムでガス照明が利用される。

・1855年クリミア戦争に際し、S・Nが親英・親仏の立場をとる協定を結ぶ。
 クリミア戦争=ロシアvsトルコ(+英・仏)

・1859年オスカル1世死去。息子のカールがカール15世として王位に就く。
・1864年ノルウェーで国歌「Ja,vi elsker dette landet」が初めて公の場で披露される。

・1867年ノーベルがダイナマイトの特許を取得。
・1872年カール15世が逝去し、弟のオスカル2世が即位する。

 19世紀前半のスウェーデンは、当時の先進国から距離的に離れ、かなり孤立した農業国家であった(貧困と停滞の時代)。18世紀後半に起こったイギリスの産業革命の流れは、ゆっくり北上し、スウェーデンに到達したのは19世紀半ば。そして、19世紀後半のスウェーデンは村落共同体が急速に解体し、その人口が都市に流れ、新しい階級である「労働者」が増大した。19世紀末にスウェーデンには農業国家から工業国家へと変貌したのであった。


あー疲れた。今回はここまでー。
おんなじ名前が付いててややこしいね。カール多過ぎww

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