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2014/01/22 15:04

【バルト海帝国への道程 カール10世とカール11世の統治】
・1654年クリスティーナ女王が退位し、従兄のカール10世グスタヴが即位。翌年、アメリカの植民地がオランダに占領される。ポーランドとの戦争勃発。

・1657年、デンマークのフレデリック3世(文人王)が宣戦布告して第一次デンマーク戦争が始まる。(デンマーク側の呼び方はカール・グスタヴ戦争)

戦争の背景:デンマークは失地回復を狙い、スウェーデンは戦争で多忙
戦争の経過:大艦隊がないスウェーデンはドイツ経由で北上。秋にはユトランド半島の主要都市も攻略。氷上進軍。

結果:1658年にロスキレ講和条約が締結。ボーンホルム島やトロンヘイム等がスウェーデンに割譲、スウェーデン史上最大の領域獲得となる。他に、スウェーデン軍のデンマーク駐留を認める。

が、1658年第二次デンマーク戦争が始まる。ロスキレ講和条約はいわば休戦条約。戦争の背景は、59年にスウェーデン軍がコペンハーゲンを急襲するも失敗、オランダがデンマークの援助をするなどして、結果、コペンハーゲン講和条約を結び、デンマークはボンホルム島とトロンハイムの返還を受けた。


・1660年、カール10世がイェーテボルィで急死(熱病でポックリ、38歳)。息子のカールが4歳で王位を継承する(幼年王)。

・1666年ルンド大学が設立される。(正式な開所は68年)
・1672年カール11世が親政を始める。フランスと同盟を結ぶ。

・1675年デンマークとスコーネ戦争が勃発、4年後ルンド講和条約をもって終結。同年9月、スウェーデンとデンマークの防衛同盟が成立、クリスチャン5世の妹ウルリケ・エレオノーラ(Dの王女)とスウェーデン国王カール11世との婚約が成立。

・1680年、大貴族による顧問団支配が終わり、カール11世の絶対王政が確立。父王に習い「王領地回収」を本格化する。

・1682年、インディールニング制という一種の屯田兵制が導入される。ロシアのピョートル1世が即位。

・1693年、国会がカール11世を絶対王だと公式に認める。カールの妃で後のカール2世の母ウルリーケ・エレオノーラが死去。
・1697年カール11世が死去(41歳)、カール12世が即位する(15歳)。カール11世死後まもなく、王宮が消失する。

【軍人王カール12世の時代】
・1699年デンマークのクリスチャン5世が死去し、フレデリック4世(文武王)が即位。

・1700年スウェーデンはイギリス及びオランダと同盟を結ぶ。
 7年戦争より規模の大きかった(大)北方戦争が始まり、ポーランド・ザクセン軍がリヴォニアのスウェーデンは軍を攻撃する。デンマークがホルシュタイン・ゴットープを攻撃、スウェーデン軍はデンマークのシュラン島に上陸。
 デンマークは講和を請う。カール12世がナルヴァでロシアに勝利する。

・1707年スウェーデン軍がモスクワを目指して進軍。
・1708年カール12世はコサックの体調マゼッパと同盟を結ぶ。翌年、カール12世はポルタヴァでロシア軍に大敗。その後ロシアと敵対するトルコに敗走。
 更にデンマークのフレデリック4世がスウェーデンに宣戦布告する。

・1710年、ヘルシンボールィの戦いでデンマークがスウェーデン軍に敗れる。これが両国の間におけるスコーネでの最後の戦いになった。
 ペストがスウェーデンとフィンランドで猛威を振るう。

・1716年、カール12世がノルウェーを攻撃、クリスチャニアを占領する。18年に新たな攻撃を開始し、前線を視察していたカール12世はフレデリクスハルドで戦死する。

・1720年、妹のウルリーカ・エレオノーラが退位し、夫のフレードリク1世が即位。新憲法が公布され、スウェーデン議会の権限が拡大される→自由の時代(1720〜1772年。絶対王権からの自由、議会中心)

・1721年ロシアとニスタット講和条約を結び、スウェーデンはバルト海南東岸の領土を失う。

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