近代から現代
2014/01/19 18:24

【社会民主主義】
 元来、第二インターナショナルの有名な党であったドイツ社会民主党などのマルクト主義に立脚する主張を指した語。ついで、第一次対戦の勃発、第二インターナショナルの崩壊、ロシアでの十月革命の成功を経て、マルクト主義の立場をとる共産主義者の主張と区別するため、議会を通じて、斬新的に社会主義に到達しようとする様々な改良主義的社会の主張の総称。

【議院内閣制】
 議会の信任を内閣存立の必須条件とする制度。下院(衆議院)の多数を制する政党が内閣を組織して、その内閣が議会に対し連帯して責任をとる。特にイギリスで発達(ウォルポールの時代18世紀半ばに習慣化)。
 内閣の連帯責任制、政党内閣制、議会多数勢力の意志の反映などが特色。米国などの大統領制とは対照的。

【オーランド諸島】
 フィンランド南西、ボスニア湾口にあり、同名の主島のほか約6500の小島よりなる諸島。「オーランド」というのはスウェーデン名。人が住んでいるのは約150。主島南部の港マリエハウンは漁業、海上交通の要地。
 古来、ロシア、スウェーデン間の係争地で、1809年ロシア領。1921年以降フィンランド領。

【産業革命】
 1770年代から1830年代にかけてイギリスで典型的にみられ、19世紀末までに今日の全主要工業国が経験した生産技術上の急激で連続的な発展、およびこれに伴う社会・経済上の大変革。資本主義体制が確立された。

【労働組合】
 労働者が労働条件の維持・改善および社会的地位の確立をはかるために組織する団体。労働運動の組織的基礎となる。職種別・企業別・産業別・一般組合などの形態があり、また単一組合と連合体との別がある。

【世界恐慌】
 資本主義が発展し、国際分業と貿易に基づく世界市場での各国の結びつきが強化されるに伴い、資本主義諸国を世界的規模で連鎖的に襲う過剰生産恐慌。

【冬戦争】
 1939年から翌年の三月まで行われたソ連とフィンランド間との戦争。別名「第一次ソ芬戦争」。ソ連は「フィンランド内抑圧されている人民の為、親ファシストである現行フィンランド政権を打倒する」との名目のもと、約45万人の兵力と豊富な航空機、戦車、火砲を持ってフィンランド領へ侵攻を始めた。対するフィンランドは軍の装備が貧弱で兵力は劣勢であった。
 しかし、直前の大粛清により弱体化したソ連軍は士気も作戦能力も劣悪だったことに対し、フィンランド側は防御側の有利と冬季の利点を最大限に生かしたゲリラ作戦で長期へともつれ込む。その後、ソ連は開戦前の要求を上回る領土割譲を条件に講和を提案し、国力の限界に達していたフィンランドはこれを受諾。モスクワ講和条約が結ばれ、戦争は終結。

【国際連盟】
 第一次大戦後、アメリカ大統領ウィルソンの首唱により、ヴェルサイユ条約の規定に従って1920年1月に成立した、世界平和の確保と国際協力の促進とを目的とする諸国家の国際組織。
 加盟国50ヵ国余りに達したが、アメリカは当初から不参加、日本は33年3月満州問題が原因で脱退、のちドイツ・イタリアもこれにならい、一旦加入のソ連もフィンランドとの戦争の際除名され、有名無実となる。本部はスイスのジュネーブ。

【ファシズム】
 第一次大戦後に現れた一党独裁による国家主義的・全体主義的な政治理念。また、その政治体制。自由主義・共産主義に反対し、対外的には勢力圏拡大のための侵略政策をとる。
 イタリアのファシスト党(ムッソリーニの指導下)に始まり、のとドイツ、スペインなどに広まった。

【鉄のカーテン】
 社会主義のソ連・東欧諸国が資本主義の西欧諸国に対して自己防衛のために障壁を作っているとして用いた語。チャートル(英国の政治家)が1946年3月に初めて演説中に皮肉って使った。北はバルト海のシュチェチンから、南はトリエステまで鉄のカーテンが下されていると述べ、冷戦状態の到来を予想した。

【マーシャルプラン】
 第二次大戦後米国の行なったヨーロッパ経済復興援助計画。
1947年国務長官G.C.マーシャルの提案で開始。共産主義勢力の拡大防止策としての色彩が濃かったため、社会主義圏は参加を拒否。このため、実質的には西欧諸国に対する軍事援助の性格が強まった。1951年打ち切り。【EFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)】
 略称エフタ。1960年、ヨーロッパ経済共同体(EEC)加盟を拒否された英国を中心に結成。加盟国は英国、オーストリア、デンマーク、ノルウェー、ポルトガル、スウェーデン、スイス、アイスランド(1970年加盟)、フィンランド、リヒテンシュタイン。
 城内関税撤廃や資本・原料の相互供与により貿易を拡大し、完全雇用の実現化を図ることを目的とし、EECと競合関係であった。しかし結合はゆるく、貿易の規模や発展性もEECに及ばなかった。
 最高機関は加盟国代表で構成される官僚理事会。本部ジュネーブ。1994年ヨーロッパ経済地域(EEA)の発足により実質的に解消。

【ダグ・ハマーショルド】
 元国連事務総長。
スウェーデン中南部の生まれで、第一次大戦中スウェーデン首相を務めたヤルマル・ハマーショルドとその妻アグネスM.Cの四男。ウプサア大学に入学し、文学士号、経済学修士号を取得。1930年に法学士となった。1954年12月20日にスウェーデン・アカデミー会員とった。
 事務総長に二期選出された彼は安全保障理事会の推薦により、1953年4月7日に開かれた国連総会において全会一致で国連事務総長に任命された。在任中は戦争回避に尽力し、国連憲章に定める目的を遂行する中で国連に与えられたさまざまな責務を遂行した。
 1961年、4回目のコンゴ訪問で搭乗機の墜落で事故死。

【グンナル・ミュルダール】
 スウェーデンの経済学者。1974年にノーベル経済学を受賞。
貨幣と経済変動の理論についての先駆者的研究および、経済現象、社会現象、制度現象の相互依存に関する鋭い分析を行なった。

【第一回国連人間環境会議】
 1972年6月5日〜16日までストックホルムで開催された人間環境問題に関する最初の本格的な国連会議。開催に因んで「ストックホルム会議」とも呼ばれている。
 スウェーデンが国連に対して、1960年代後半激化した北欧の酸性雨被害発生防止対策など、地球環境問題への対応について協議するため国連会議をストックホルムで開くよう提唱し、国連主催の会議開催が実現した。
 会議には世界各地から114ヵ国の政府代表、国連機関関係者など約1300人が参加。それぞれ直面している環境問題の実態と対応などについて報告した後、環境汚染問題をはじめ、人口、食糧、資源、クジラなど野生生物の保護問題、南北問題など広範な分野の問題について討議が行われ、「国連人間環境宣言」を採択した。

【エーデル改革】
 1992年にスウェーデンで導入された改革。「エーデル」はこの改革を研究し審議した老人委員会のエーとデルの部分を取って名付けられた。この改革では以下のようなことが行われた。

1.高齢者福祉サービスと高齢者医療サービスの総合化。医療から福祉への誘導。
2.基礎自治体レベルの権限と財源の分権化。
3.入院、施設介護から在宅介護と看護への誘導
4.医療費+高齢者福祉費の財政的節減。

【サーメ人】
 ラップランドに住む民族。サーミ人ともいう。以前はラップ人と呼ばれていたが、近年では自称である「サーメ人」と呼ばれている。
 かつては狩猟・トナカイの放牧で生活していたが環境の変化で困難になり、定住化によって異民族との混血も進んでいる。宗教は万物に宿るという精霊信仰であり、ノアイデというシャーマンを中心とする。16世紀にキリスト教の布教がラップ地区に及ぶと、精霊信仰は容赦なく弾圧され、迫害を受けた。


はい、予習課題の分はこれで終わり。あとは授業で使用したプリントで纏めます。
でも疲れたから今回はこれで。

精霊信仰とかムネキュン。

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