それはとても甘い毒 | ナノ

※夏油視点



 悟とは出会った時からなぜか馬が合って、昔から二人でよく連んでいた。悟と私が二人でいるとまず喧嘩で負けるようなことは無かったし、悟と組んでする仕事は不思議な程に上手く行った。いつしか私達二人を指して、周囲が勝手に“最強”と言うようにまでなった。子供みたいだと呆れられてしまうかもしれないが、悟と一絡げにそう呼ばれるのが私は嫌いではなかった。私にとって悟は、たった一人の親友だと言える存在だと思う。
 もう長いこと同じ月日を共にしている親友のことを、私はかなり理解していると自負していたが、思い上がっていたのかもしれないと思わざるを得なかった。彼女と出会ってからの悟は、これまでおよそ見たことがない悟ばかりだったからだ。それか、よく言われる恋は人を変えるというのは、あの悟にも例外なくあてはまることだったのだろう。

 悟が彼女を見つけた日のことを、私は今でも鮮明に思い出せる。
 その日は組の大事な会議に向かう途中で、私は悟と共に部下が運転する後部座席に乗っていた。悟は会議とかそういう類のものに出席するのをあまり好んではいなかったが、幹部になってしまった以上、果たすべき責務を甘んじて受け入れていた。いつもと同じように悟はつまらなそうに欠伸をしながら、スモークガラスの向こう側に映る景色をぼんやりと眺めていたが、何か気になるものがあったのか、不意に背もたれに預けていた背中を起こすと姿勢を正した。

「……停めて」
「え?」
「車。停めろ」
「ど、どうかしたんですか?
 何か五条さんの気になるものがあったんなら、後で適当な奴に様子見に行かせますんで」
「いいから、停めろっつてんだよ!」

 最初は呟くように静かに伝えられた要求に運転をしていた部下がそれとなしに難色を示すと、悟は声を荒げた。それまで比較的静かに座っていた悟の突然の剣幕に部下は気圧され、言われるがままに車を急停止させた。派手なブレーキ音をたてて車が停車すると、悟は当然のように後部座席から降りようとする。同乗していた部下は、悟が会議に出席しないつもりだとわかると今度はわかりやすく動揺した。

「五条さん、ちょ、会議はどうするんですか……!」
「間に合ったら出るよ。
 傑。悪いけど、後は頼めるか?」
「そんなに、大事なことなのか?」
「うん。この機会を逃したら僕、多分一生自分を許せない」
「……仕方がないな、わかったよ。何とかしておく」
「サンキュ。埋め合わせは絶対するから」

 悟は街で見かけた何かから目を離すまいと、視線をそちらへ向けたまま私に問うた。いつになく真剣な面持ちの悟に、止めても聞かないだろうことは容易に予想がついた私は、この後の会議のことを多少心配しつつも悟の好きなようにさせた。車を降りた悟はその何かを追いかけ、あっという間に悟の背中が街の喧騒の中に消えていく。まさかその時は、悟が街で見かけただけの女を追いかけて行ったなんて思いもしなかったから、後で会議をすっぽかした理由を尋ねた時にちょっとした嫌味を言えば、悟は訳の分からないことを言っていた。

「それにしても、あんなに必死な悟は初めて見たから何をしていたのかと思えば……、一目惚れした女を追いかけていたなんてね」
「悪かったって。まぁでも、僕もオマエも、何もなくて良かったじゃん。
 日頃の行いってやつ?」
「悟がそこまでするなんて、相当タイプだったんだろうね。上手くいったら、今度私にも紹介してよ」
「オッケー。
 んー、そりゃまぁ可愛いとは思うけど、別にタイプではないんだよね」
「……?
 一目惚れなんだろう? それなのに、タイプじゃないってことはないだろう」
「あー……、うん。まぁ普通はそういうことになるのか」


 それから、悟はすぐに行動を起こした。
 両手の指に足らない程の数しかいない組の幹部は親父の屋敷の一室を借りて住んでいる者が多く、悟も例外では無かった。突然引っ越したいと言い出した悟に親父がなんて言うか私も心配したものだったが、悟が親父のお気に入りだからか、屋敷を出る悟に親父からのお咎めは無かった。むしろ今まで女にだらしがなかった悟を知る親父は、お前もようやく腰を落ち着ける日が来たかと喜んでいたという。親父以外の組の内部の人間の中には、悟の衝動的に思える行動を良く思わない、というか心配する者も多かった。それというのも、悟が新居に決めた物件は所詮どこにでもある安アパートで、仮にも組の幹部である悟が住むにはセキュリティ面に不安があったからだ。悟本人は組の内部からの反対も何処吹く風で、どんな手を使ったかを私も詳しくは聞かなかったが、彼女の隣人を追い出すことに易々と成功した。そして、1Kの手狭な部屋に新しく居を構える手筈をあっという間に整えてしまった。
 全ては悟の計画通りに進んでいるかのように思えた。一つも手抜かりが無いようにと、悟は丁寧に事を進めていた。だからなのか悟にしては時間がかかったように思えたが、悟は見事彼女を手中に収めることに成功し、遂には共に暮らし始めるようにまでになった。

「時々怖くなるんだよね、今のこの状況が幸せすぎて」
「驚いたな。
 君でもそういう普通の感情を抱くことがあるのか」
「えぇ。傑まで、僕を何だと思ってんの?」
「いや、真面目な話、悟は女性に本気になれない性分だとずっと思ってたからね」
「マジになれないっていうか……、いつも違和感みたいのはずっとあったんだよ。何か違うなって。
 それで毎回テキトーになっちゃってたんだけどさ」
「ふぅん? じゃあ彼女が、悟のずっと探し求めてた人ってこと?」
「うん、間違いなくそう。
 でもその事をわかってるのは僕だけっていうのが、時々寂しく感じてたんだけど――、昨日さ、名前が言ってくれたんだ。――って。
 名前は何となく言っただけかもしれないけど、マジですげー嬉しかった。だからいつもより燃え上がっちゃって、危うく遅刻しそうになったんだけどさ」
「何となくでそんな事は言わないだろう。
 全く。仲が良いことは良い事だと思うけど、程々にね」
「オマエに言われなくてもわかってるって」

 いいや、わかってないよ。かねてから悟の彼女への傾倒ぶりに少しの危うさを感じていた私は言い返そうとしたが、結局言い返すことは出来なかった。あんまり幸せそうに顔を綻ばせる悟を見たら、何も言えなくなってしまったのだ。悟はいい加減なところもあるが、女関係を仕事とはきっぱり切り離していた。だから、女のために会議をすっぽかしたり、女が理由で遅刻しそうになったりというのは、これまでの悟からしたら本来全く有り得ないことだった。今でこそ大した問題は起きていないものの、私にはどこか言い知れぬ不安があった。でもまさか、このまま何事も起きなければいい――そう思った次の日に、女が悟のもとからいなくなるとは、さすがの私も予想していなかった。




 出社する時間になっても事務所に来ない悟を心配して、私は電話をかけた。だがいつも大体3コール以内には電話に出る悟がなかなか電話に出ない。


「悟。良かった、繋がって」
「…………傑、」

 やっと出たかと思えば、電話口から聞こえたのは今にも消え入りそうな悟の声だった。
 電話の向こうの悟の様子が気になり、居ても立っても居られなくなった私が悟のマンションに向かうと、私を迎えた悟はただ一言「名前がいなくなった」と言った。本当にこれは悟の口から出た声なのかと疑ってしまうくらい、弱々しい声だった。そんなことは今までに一度だってなかったし、実際にそうはならなかったが、悟が泣き出すんじゃないかと私が一瞬思ってしまった程だった。
 意気消沈としている悟に戸惑いながら、私は悟が彼女と共に暮らしていた部屋に入った。ダイニングテーブルの上には、白い紙きれが一枚と悟が彼女に買い与えた携帯が置いてあった。紙には”ごめんなさい”と一言書かれていた。

「……君には、もっといい女がいるさ」
「……いねぇよ」
「そんなことないさ。
 あの子に似た感じの可愛い子ならそれこそ沢山いそうじゃないか」
「だから、いねぇって!」

 なんてありきたりな慰めの言葉だろうと思いつつも、現にそう思ったからそのありふれた文句を親友に投げかけると、悟は声を張り上げて、ついでに拳でテーブルまで叩いた。悟の反応に思わず面食らってしまった私を見て、悟がはっとして慌てて言う。

「悪い。八つ当たりした」
「別に私は構わないが……、大丈夫かい?」
「大丈夫に見える?」
「……いいや」

 彼女と出会ってから折に触れて悟のことをおかしいとは思っていたが、いよいよ様子がおかしい。過去に数回、悟は女に振られたことがあった。その時に悟は泣き言こそ吐いたが、態度はいつもの軽薄なノリの延長だった。こんな風に打ちひしがれることなど決してなかった。
 彼女が姿を消してからというもの、忙しい合間を縫って悟は彼女の捜索を続けていたが、うまく雲隠れした彼女の足取りさえ掴めずに月日が経過していった。多忙な日々を過ごす悟だ。彼女を探すために割いていたのは自分の睡眠時間だった。夜は組の仕事をいつも通り卒なくこなし、日中は行方をくらました彼女の捜索。彼女がいなくなってからただでさえ不眠気味なのも祟って、日に日に悟の顔色は悪くなっていった。もとより丈夫な体をしている悟だから無茶もできていたが、ある日遂に悟は倒れた。そんな悟を見かねて、親父は悟にしばらく休めと言った。少し頭を冷やせとも。悟は今、屋敷の私の部屋の隣で療養生活を送っている。

 悟が一番参っていたのは、女が自分の元から去った理由に皆目見当がつかないことだった。私も悟と同じ境遇に陥ったらかなりの混乱に陥るだろう。昨日には自分に熱烈な愛の言葉を吐いた恋人が、次の日に共に暮らしている部屋を出ていくなど、普通は考えつかない。
 私も私なりに彼女の行動の理由を考えてみた。彼女には何度か会ったことがある。見たところ、彼女はおよそ他人を騙したりすることが出来るような人間とは程遠いように思えた。そんな彼女に他の男がいて実は悟を裏切っていたとは考え辛いし、自分に惚れている悟を弄んでいたというのはもっと考えられない。そもそもこんな職業柄だ。悟を遊んでやろうなんていう女はそうそういない。となると、悟の職業に今更になって怖気づいてしまったというのが、最も可能性が高そうだった。だが、悟の話からして、彼女は付き合った時点でその覚悟は決めていると思っていたんだが。

 思案しているうちにふと、ある一つの可能性に私は思い当たった。悟は気付くはずもない。その事実を悟は知らないのだから当然だ。私の仮説が正しければ、彼女が出てったのにも一応納得がいく。
 彼女が悟との繋がりを断とうとしていることを感じ取った悟は、否が応でも彼女が悟の傍から離れないよう、悟を頼らざるを得ない状況を作った。金で雇った男に、彼女を襲わせたのだ。悟の目論見通り、彼女は考えていた引っ越しを取りやめ、他の何より悟と共に居ることを結果的に選んだ。
 このことを知っているのは、悟は私だけだと思っているだろうが、実際には違う。私が悟の秘密を洩らしたわけではない。晴れて彼女と交際することが決まった時、それはもう悟は浮かれていた。浮かれすぎて、下戸のくせに「今なら酒もいけるかもしれない」と全くもって不可解な理論を持ち出し、事務所で行われた飲み会で私が飲んでいたウイスキーを一口飲んだ。ほんの一口飲んだだけなのに信じられない程に酔っぱらった悟は、彼女との惚気話をするついでに自分がしたことを洗いざらい部下にぶちまけた挙句、幸か不幸かその出来事は記憶として残らなかった。
 悟の恐ろしさを知る部下がわざわざ悟の秘密を広めるようなことはしない。だから部下には、他言無用だと私からよく言い聞かせるだけにしておいた。
 
 彼女が事務所に悟の携帯を届けに来たあの日――、彼女は傘を忘れていた。彼女を追いかけて忘れた傘を渡そうとも考えたが、私はそうしなかった。悟に持って帰ってもらえばいいと思ったのだ。彼女が事務所から出た後、悟をこれほどまでに虜にする女がどんな女か以前から興味津々だった部下たちは、彼女についてあれこれと好き放題のたまっていた。もし彼女が、忘れた傘を取りに事務所に戻って来ていたとしたら。部下達の話から、悟がひた隠しにしていた秘密を彼女は知ってしまったのかもしれない。だとしたら、こうなった責任の一端は私にもある。
 そもそも悟が気軽に酒を口にしたのが悪いと言われればそれまでだが、自分の判断が親友が病むことに繋がったかもしれないという事実に、私は罪の意識を感じずにはいられなかった。これまでも私は可能な限り彼女の捜索を手伝っていたが、私はこの時改めて決意した。どんな手を使ってでも、悟のもとに彼女を連れてくると。

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