それはとても甘い毒 | ナノ

 五条さんはそれから度々、作りすぎたと言って手料理を分けてくれるようになった。一度は美味しそうな食べ物の誘惑に負けてしまったけれど、さすがにそう何度もご馳走になるわけにはいかない。私は彼の誘いを毎回断ろうとした。けれど軽いノリながら、どこか有無を言わせない五条さんの強引さに、最後に折れてしまうのはいつも私の方だった。
 今では決まって夕方近くになると、五条さんから今日のメニューの連絡が来るようにまでなった。それを私も毎日楽しみにしてしまっている始末だ。

 こうして私の部屋で小さなテーブルを二人で囲むのは、一体もう何度目になるんだろう。世間一般的に見たら、“怖い人”である五条さんを捕まえて、こんなことを言うのはどうかと思う。けれど長い脚を窮屈そうに折り曲げてフローリングに座る五条さんは、なんだかとっても可愛らしい。そんな五条さんの姿に、私はなぜか毎回癒されていた。
 職業が職業だから、最初こそ警戒をしてはいた。けれど今は、私が五条さんに対して恐怖心を抱くことは、ほとんどなくなっていた。

「ほんと、なんで作るもの全部、こんなに美味しいんですか……」
「名前って毎回超うまそうに食べるよね。
 そんなに幸せそうな顔されると、僕も作り甲斐があるよ」

 お肉が食べたいと言った私に、五条さんが今日のメインに作ってくれたのは生姜焼きだった。親戚の料理上手なおばちゃんが作ってくれる生姜焼きが今まで一番だと思っていたけれど、五条さんが作ってくれた生姜焼きは、驚いたことにおばちゃんのものより美味しかった。生姜焼きのタレに何を使ったら、こんなご飯がいくらでも進んじゃうような味になるんだろうか。

「この生姜焼きのタレのレシピ、教えてください」
「えー、別にそんなん知らなくてよくない?
 だって、名前が僕のお嫁さんになってくれたら、これからもずっと食べられるよ」
「……」

 五条さんは、さらりととんでもないことを言った。
 まさかタレのレシピを聞いてこんな返答が返ってくるとは、誰が予想しただろうか。どう返事をしたら正解なのかがイマイチ判断がつかなくて、私は沈黙を貫いた。何も言わない私に、五条さんもそれ以上何も言っては来ない。けれど、綺麗に微笑みかけてくる彼とこれ以上目を合わせ続けていられなくて、私は食べかけの料理に慌てて視線を移した。
 
「そういえば、名前って今彼氏とかいるの?」
「……逆にいると思いますか?」
「いーや? 100パーいないでしょ。
 僕が知る限り、ほとんど毎日ご飯は僕の作ったの食べてて、外食もしない。
 土日は寝て過ごすのが殆どで、デートに行く様子も無いもんね。
 これでいたら超びっくりなんだけど」

 思い出したように尋ねる五条さんに、私が問い返すと、五条さんは軽く笑いながらあっけらかんと答えた。五条さんが言ったことは、実際全部がその通りだった。しかしそれが紛れもない事実であっても、私に恋人がいるなんてありえないと言い切った彼に、少なからずむっとした。私は出来心から、ちょっとばかり彼に反抗してみたくなった。

「そんなこと言って、私に遠距離の彼氏がいたらどうするつもりですか」
「…………は? いるの?」
「え?」
「だから、遠距離の彼氏」

 少しの沈黙の後、彼が私に向けた目は、今まで一度も見たことが無い鋭いものだった。私を糾弾すらしているように思える、刺す様な視線が痛い。思えば、五条さんの怖い部分を垣間見るのは、初めて会った日に彼が部下の人に向けた冷たい視線を見て以来だった。
 五条さんのいつもの態度からして、すぐにはったりだと見抜かれて笑われるとばかり思っていたのに。予想していたものとは随分違っていた彼の反応に、私は酷く戸惑っていた。戸惑ったのは、何も彼の反応にばかりではない。さっきから、どうも胸が締め付けられるように痛い。
  
「……いたら、どんなに良かったかって思いますよね」
「なんだ。あー、良かった。
 嫉妬でどうにかなりそうだった。
 まぁでもマジな話、名前の自堕落な生活態度を知らなかった頃は、彼氏ぐらい普通にいると思ってたけど。
 だって、こんなに可愛いんだし」
「べ、べつに人並みだと思いますけど」
「えー、そう? 可愛いと思うけどな。みんな見る目がないんじゃないの?
 それか僕のために、そのへん神様がうまく計らってくれたのかな」

 先程の“お嫁さん”発言しかり、五条さんはこうして、ストレートな口説き文句を度々吐くようになった。こういうのは、困る。五条さんは冗談を言うような口ぶりで、顔色一つ変えないで言うものだから、本気かどうかもよくわからない。もしこれが冗談では無かったとしても、どこからどう見ても普通な私みたいな女を、どうして彼が気に入ってくれたのか、その理由もよくわからない。
 色んなことが気になりながらも、私は彼に何も聞かなかった。五条さんもあくまで好意を伝えてくるだけで、それ以上私に何かを求めることは無かった。

「あの、こういうの……、やめた方が」
「こういうのってなんのこと?」
「その、えっと」
「言っとくけど、名前を口説いてるのは最初から全部本気だよ」
「……」
「今まで何も言わなかったのは、からかってると思ってたから?
 嫌ならそう言って。
 まぁ言われたところで、やめてあげられるかは微妙だけど」

 五条さんは柔らかい笑みを浮かべながら、私にまるで諭すように話した。その瞳はさっきから変わらず、私だけを写している。ふと気付くと、五条さんは私を見つめていることが多々ある。今もそうだったけれど、私はその瞳を真っ向から見つめ返すことが出来ずにいた。やっぱりなんだか、五条さんの目は長く見ていられないのだ。
 嫌なんて、言えるわけがない。
 こんなにタイプの美形に言い寄られたことなんて今までに無くて、気付けば私は五条さんのことばかり考えるようになっていた。五条さんが夕飯を用意して待ってくれている日は、退社する前にしっかり化粧を直しちゃったりなんかもしている。どうせ帰るだけだからと、前は化粧なんて直さないで帰路についていたのに。
 自分が彼にどうしようもなく惹かれ始めてしまっていることに、気付かない程鈍感ではない。けれどどうすることも出来なかった。彼と深い関係になってしまったら、今まで私が当たり前に手にしていた普通の日常を送ることが出来なくなるかもしれない。彼の好意に応える勇気を、私は持ち合わせていなかった。それなのに、彼が何も言ってこないことをいいことに、ずるい私は彼を突き放すこともできないでいた。

「……なにこれ?」

 目につくようにテーブルの下から少しはみ出すように置いておいた不動産屋のチラシに、私より先に食べ終わった五条さんが気付く。
 チラシを眺める彼の顔からは、さっきまで浮かんでいた笑顔が消えている。その無表情から、彼が今どんな感情を抱いているのか、私が読み取ることは出来なかった。

「実は、近々引っ越そうかなって思ってるんです」
「……そうなんだ。
 でもなんで?」
「さすがに女の一人暮らしでこのアパートは、安全面が不安だなぁって」
「そりゃそうだけどさ。……随分、唐突だね」 
「五条さんの美味しいご飯が食べられなくなっちゃうのは、すごく残念ですけど」

 私は怖かった。五条さんがではない。これから先彼の傍にいて、変わらない自分であり続ける自信が無いことが、何よりも怖かった。
 きっと、このままではいけない。でも、今ならまだ引き返せる。彼のことは、いい思い出にすればいい。今なら多分それができる。もしかしたら彼以上に心惹かれる人は、この先の私の人生で現れないかもしれないけれど。
 私の実感は正しかった。引っ越すことを聞いた五条さんのどこか寂しそうな笑顔を見て、私まで切なくなったし、同時に、他でもない自分が彼にそんな顔をさせた事実に甘く酔いしれもした。それでも住み慣れたこのアパートを離れる決意は、揺らぐことはなかった。

 五条さんは私の引っ越しについて、あれこれと聞き出そうとはしなかった。見当をつけている引っ越し先や、時期なんかも聞かれなかった。
 だから引っ越しの話はあれで終わりだと思っていたのに、帰りがけ、振り返りながら五条さんは言った。

「生姜焼きだけじゃなくて、名前のお気に入りの料理のレシピ、今度教えてあげるね。
 引っ越し先でも、名前が食べたいって思った時、一人で作れるようにさ。
 めんどくても、コンビニばっかりじゃ栄養偏るからだめだよ」
「あ、ありがとうございます。
 嬉しいな。五条さんみたいに上手に作れるかはわかんないけど……」
「――名前が引っ越すのってさ、本当は僕から離れたいだけなんじゃないの?」
「なに言ってるんですか。違いますよ」
「名前がそうする気持ちもわかるよ。
 僕みたいな男に好かれるのって、君みたいな普通の女の子にとっちゃ、迷惑以外の何物でもないもんね」
「だから、違いますって。
 給料も上がったので、引っ越したいなとは前々から思ってたんです」

 五条さんの口調はいつもみたいに軽かった。でもその伏せた瞳から覗く美しい青は、とても哀しい色をしていた。

「名前は嘘が下手だね。……おやすみ」
 
 あんまり切なげに言うから、危うく、私の部屋を出ていく彼の背中に抱きついてしまうところだった。でも、すんでのところで留まった。
 彼が、普通の人だったなら良かったのに。幾度となく思ったことを改めて思いながら、ドアが閉まったのを確認した後、私はその場に座り込んで少し涙を流した。

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