それはとても甘い毒 | ナノ

「おかえり〜」
「あ、ありがとうございます」

 ひらひらと軽く手を振りながら、私に向かって笑顔で”おかえり”と言う五条さんに、お礼を一言述べて軽く一礼する。
 “おかえり”に対して、“ありがとうございます”を返すのは我ながら妙だとは思う。でも、他にどう返していいかわからない。“ただいま”と言うのは、私と五条さんの関係を考えたら馴れ馴れしすぎる気がするし。

 私の部屋は、2階建てのアパートの2階にあった。
 毎日会社から私が帰宅する頃に、なぜかいつも五条さんは2階の外廊下にいる。
 佇んでいる五条さんを見るといつも思う。こういうなんて事ない日常の風景の中だと、五条さんの見た目は派手すぎる。普通の人では着こなせないような服もなんなく着こなしてしまう、すらりと背が高い五条さん。この美貌である。モデルか何かだと告げられても、誰もがきっと何の疑問も無く信じてしまうだろう。そんな彼が似合う背景は、少なくとも立派とは言い難いこの安アパートではないはずだ。まるで一人だけ別世界から来たように、彼は見慣れたありふれた景色の中で一人だけ、激しく浮きまくっていた。

 隣人とはいえ、生活時間帯が合わなければそうそう会うことは無いだろうと思っていたから、五条さんとの度重なる遭遇は意外だった。実際に、私が学生時代に住んでいたアパートでは、隣の部屋の住人とは滅多に顔を突き合わせることはなかったくらいだし。
 でも、五条さんとの関わりといえば、毎日交わす挨拶くらいだった。まぁ一般的と言えるレベルのご近所付き合いだろう。
 たまに五条さんが「疲れた顔してんね。なんかあった?」とか言って話を振ってくることもあったけれど、それもそんなに高い頻度では無かった。多分その理由は、私の態度がいつまでたっても他人行儀の域を出ないものだったからだ。
 いくら五条さんが超絶タイプのとんでもない美形であっても、彼の職業を考えれば、私が彼と一線を引いて付き合うのは当然のことだった。

「ずーっと気になってたんだけどさ、いつもそれなの?」

 今日はやけに視線を感じるなと思ったら、五条さんは私の持つ何かを気にかけていたようだった。バッグの奥底に沈んだであろう鍵を探す手を止め、五条さんの大きな目の視線の先を辿ってみる。彼が見ていたのは、私の腕にかかっている白いビニール袋だった。

「名前って、自炊とかしないタイプなんだ」
「あー……、学生時代はしたこともありましたけど……、一人だとやる気起きないっていうか。
 料理する時間があるなら、他のことに宛てたいって思うんですよね」
「でも、さすがに毎日コンビニで飽きないの?」
「まぁそれは仕方がないので、あきらめてます」
「ここだけの話さ、僕、結構料理うまいと思うんだよね」
「へ、へぇ」

 いきなり何を言っているんだと疑問には思っても、心無しか少し得意げな顔をして語る五条さんの意図するところが私にはわかりかねた。
 最近は料理男子なんて言葉を聞くようになったとはいえ、やはり男性で料理が出来ると言うのは貴重だろう。こんな見た目をしている五条さんが料理をするなんて、それはちょっと反則な気がするなぁ。女はギャップに弱いというのはよく聞くことだけれど、まさにそれだ。

「下っ端のころはよく料理作らされてたからさー、マジでそこら辺の女より上手だよ」
「それはすごいですね」
「ちなみに、今日買ったのってなに?」
「1/2日分の野菜がとれるスープですけど……」
「オッケー。なら問題ないね。
 最近してなかったんだけど、今日久しぶりに自炊してみたんだ。でも久しぶりだからか、加減わかんなくてさ。多く作りすぎちゃったんだよね。
 良かったら食べてくんない?
 ちょっと待ってて」

 私が止める間もなく、五条さんは隣のドアの向こうに颯爽と消えていった。
 どうしたらいいかわからず、五条さんが戻ってくるのを大人しく自室のドアの前で待つ。すると「入らないの?」と、お手製の料理を両手に載せて出てきた五条さんに急かされる。
 ちょっと待ってほしい。私の部屋で夕飯を一緒に食べるのがさも当然のような顔を五条さんはしているけれど、そんな話いつしたっけ。そもそも、作りすぎた料理を食べて欲しいという彼のお願いに、私が首を縦に振った覚えもない。

「せ、せっかくですけど遠慮します」
「えー、なんで?
 あ。もしかして、僕のこと疑ってる?
 変なもんでも盛られると思った?」
「そんなんじゃ……っ」
「名前ってさぁ、嘘つくのが壊滅的に下手だよね。
 大丈夫。薬とか毒なんて入ってないから」

 五条さんの手の上のトマトの冷製パスタは、それはそれは美味しそうだった。ちょっとお洒落なカフェで出てきても全然おかしくない感じだ。
 仕事がなんだかんだ忙しいせいで、ここしばらく実家には帰れていない。手料理なんていつぶりだろう。
 目の前に差し出された食べ物の誘惑に、私は思わず負けてしまいそうだった。だけど五条さんから食べ物を分けてもらうなんていうのは、やっぱりいけないことのような気がした。彼は否定するけれど、それこそもし何か盛られてたりしたら、笑い事では済まされない。臆病で慎重な性格から、私は彼の要求を丁重に断ろうとした。

 けれどその瞬間、私のお腹がきゅるるると情けない音をたてて鳴った。

「あははっ。かーわい。
 お腹空いてるなら丁度良かった」
「で、でも」
「お隣さんに悪いことしたりしないさ。
 名前が心配で食べれないって言うんなら、毒見してもいいよ」
「…………そ、そういうことなら」
「ウケる。いいんだ」

 結局私は、三大欲求に数えられる食欲には勝てなかった。
 五条さんが先に食べてくれるなら、心配しなくていいのかもしれないなどと簡単に考えてしまったのだ。
 私がドアを開けて五条さんを招き入れると、彼はとりあえず玄関に上がった。でも私が靴を脱いでも、彼が私の後に続く様子はない。あれ、一緒に食べるんじゃなかったのかな。
 
「食べさせて」
「えっ」
「毒味して欲しいんじゃなかったの?
 僕、今手塞がってるからさ。
 毒味するなら良いって、言ったのは名前じゃん。僕も腹減ってるから早くして」

 それをするのは部屋の中に入ってからだと思っていたのに、五条さんは玄関先で自らが提案したことをしてくれると言う。
 五条さんはフォークやスプーンの類を一切持ってきていなかった。だから言われるがままに、思わずキッチンからフォークを取って来る。
 フォークでパスタをくるくると巻いて、随分と高いところに位置する五条さんの口元へとそれを運ぶ。
 あ、と口を開けた五条さんの青い瞳と、ぱちりと目が合って心臓が飛び跳ねた。初めて会った時から思ってた。多分私は、この美しすぎる瞳とあんまり目を合わせてはいけない。

「うまっ。僕天才?」
「自分で言っちゃうんですね」

 わざと大袈裟に驚いて見せる五条さんは茶目っ気たっぷりで、私はちょっと笑ってしまった。

「マジだって。名前も食べてみなよ。
 持ってて」

 右手の皿を私に持たせて、私が手にしていたフォークを奪った五条さん。そして今度は五条さんが、パスタを撒いたフォークを私の口元に持ってくる。「あーん」と言う妙に声が甘ったるくて若干くらくらしながら、私は素直に口を開けてそれを咀嚼した。

「ほんとに天才だ……」
「でしょ?」

 思わず口から溢れ出てしまった全くの本音に、五条さんは端正な顔を嬉しそうに綻ばせた。

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