それはとても甘い毒 | ナノ

!ふわっとした知識で書いているヤパロ(893パロ)です。





 当時私が住んでいたのは、都内のどこにでもあるなんの変哲もない安アパートだった。そこに住んでいるのは、家賃が安いという理由でここを東京での住まいに決めたであろう普通の人ばかり。それは勿論、最寄り駅から電車で15分ほどの池袋でしがないOLをしている私を含めてだ。
 そんなところに明らかに平凡とは違う人物が引っ越してきたのは、夏の茹だるような暑い──1歩外に出れば溶けてしまいそうな午後だった。





 ピンポーン

 チャイム音に目を覚ました私が、ベッドのヘッドボードに置いてある目覚まし時計で時刻を確認すると、ちょうど正午を過ぎたころだった。
 さすがにそろそろ起きなくてはいけないなと思いつつ、一度開けた瞼をゆっくりまた閉じる。それなりに忙しく毎日を過ごす社会人となってからは、こうしてお昼過ぎまで惰眠を貪るのがすっかり土曜日の日課となってしまった。

 ピンポーン ピンポーン

 オートロックがついていないアパートには、セールスなどの勧誘がたまに来る。いつも居留守を使っているから、実害にあったことはない。セールスマンはこれが仕事なのだ。自らの懐を冷やしてまで、彼等の営業成績に貢献してあげるつもりはない。しかし同じように食べるために働いている彼等に、今までこれといって腹を立てたこともなかった。数回押されるチャイムを無視して彼等に直接対峙さえしなければ、変に彼等を怖がる必要はないのだ。

 ピンポン ピンポン ピンポン ピンポン

 今日のセールスマンは、いささか諦めが悪い。
 一週間が七日ある内の二日しかない、せっかくの休日。束の間の安息の時間を邪魔されては、少しばかり苛立ってしまうのもしょうがないだろう。
 どこもかしこもコンクリートで覆われた大都会東京の八月は暑い。今日の最高気温が何度だったかチェックはしていないけど、冷房の効いているこの部屋とは違って、外にいれば汗が噴き出してしまうのは避けられないだろう。執拗なチャイムの音に、さっきまでまどろんでいた私の意識はすっかり冴え渡ってしまった。心地よい睡眠の時間を邪魔され、突然の来訪者に対して私は少し意地悪な気持ちになる。炎天下の中、汗まみれで働いているセールスマンの苦渋に満ちた顔を、ここは一つ拝んでやろう。

「今日は休日だし、やっぱりどこか出掛けているんだよ。
 悟、もう諦めな」
「えー、やだ。
 超悩んで選んだお土産まで持ってきたのにさぁ。そりゃないだろ」
「また出直せばいいさ。機会ならこれからいくらでもあるんだ。そうだろう?」
「んー……、まぁそれもそうか」

 ドアスコープから見えた男の人二人は、その出で立ちからしてセールスマンにはとても見えなかった。私が予想したとおり外は暑いのか、彼等はシャツの胸元をぱたぱたさせていて、その動作になんだか言いようのない色気を感じる。
 出来ればドアスコープ越しにそんな彼等をもう少し眺めていたかったが、薄いドア越しに聞こえてきた会話から判断するに、二人はすぐここを立ち去るつもりでいるらしい。私は自分が起きたまんまのパジャマ姿なことも忘れ、つい煩悩から、先程まで全く開けるつもりの無かったドアを簡単に開けてしまっていた。

「あれ? いたんだ。
 あははっ。今起きたって感じだね。
 こんにちは。いやこの場合、おはようが正しいか?」
「ごめんね。
 悟が何回もチャイムを押すから、うるさくてきっと起こしてしまっただろう」

 目の前に立つ二人はタイプこそ違うけれど、芸能人と言っても通じそうなくらい、それぞれがとんでもなく整った顔立ちをしていた。おまけに、日本人女性平均身長くらいの私が見上げなければならないほど、2人とも身長が高い。ドアスコープ越しではスタイルまではわからなかったけれど、顔がいい上にモデル顔負けのスタイルだなんて……、控えめに言って最高では? 神に誓ってもいいけれど、2人とも絶対に知り合いではない。知り合いなら忘れるはずがないからだ。
 こんなに端正な男の人にはそうそうお目にかかれない。セールスではなさそうだけれど、いっそセールスでも構わないと思った。こんなにいい男の営業成績にならば、貢献してもいいだなんて思ってしまう。
 
「い、いえ。大丈夫です。あの、何か……?」
「ちょっと仕事の関係でこの辺に住まなくちゃいけなくなってさ、隣に越してきたんだ。
 お隣さんに挨拶しなきゃなって思って。
 僕は五条悟。
 あ、これ僕のお気に入り。僕、夏はこればっかり食べてるんだよね。
 よかったら君も食べて。えーっと」
「苗字です。苗字名前」
「これからよろしくね、名前」

 言われてみれば確かに、はっきりしない意識の中で、がたがたという大きな物音を聞いた気がする。なるほど、隣がやけに騒がしいとは思っていたけど、あれは引越し作業の音だったのか。それにしても、この前急に隣人が引っ越したというのに、今度は別の人が引っ越してくるとは、なかなかに忙しない。

 よろしくと言って、私にあんみつの“みはし”の紙袋を手渡したのは、白い髪の方のイケメン、もとい五条さんだった。私は愛想笑いをしながら、心の中で密かにガッツポーズをする。どっちもかっこいいことには間違いないけれど、どちらかといえば五条さんの方が、私のタイプだったからだ。

 初対面でいきなりの呼び捨てにはドキリとしたけれど、全然嫌な感じはしなかった。もしかしたら五条さんはすごく人懐っこいタイプか、もしくはこの見た目からわかる通り女性の扱いに手慣れているのもしれない。私は元来、割と挨拶とか礼儀だとかを大事にするタイプだったはずだし、チャラい人はどうにも苦手な部類だった。でもまぁ、そういうのが全部どうでもよくなっちゃうくらいには、とにかく五条さんは美形だった。
 もう一方のイケメンは、艶やかな黒い長髪に、黒い切れ長の瞳と日本人らしい容姿をしている。けれど五条さんが持っている色素は、日本人にはおよそ珍しいものばかりだった。柔らかそうな髪は、新雪のように真っ白。髪と同じ白いバサバサの睫毛に縁取られた目の中に光る瞳は、サファイアのようにきらきらと煌めく青色をしている。
 こんな人が隣に住むことになるなんて。安アパートにはおよそ似つかわしくない隣人の誕生に、職場と自宅の往復ばかりで無味乾燥な日々を送る私の心は踊った。



 だけどそんな弾んだ気持ちは、次の瞬間しおしおと萎んでいってしまった。

「五条さん、荷物運び終わりましたっ」
「……僕、報告要らないって言わなかったっけ。
 邪魔するなとも言ったよね」
「まぁまぁ悟。
 多分、彼のところまで伝達がきちんとされてなかったんじゃないか?
 今日の悟ははしゃぎすぎて、私でも何を言っているのか理解できない時があったしね」
「なんでそういうこと、傑は今言うかな……」

 たった今知り合った五条さんに向かって、軽くお辞儀をしながら報告をしたのは、いかにも“そういう”人だった。髪は角刈り、目元には先のとんがった灰色のサングラス、半袖から伸びる腕には鮮やかな花模様。職場がある池袋には、そういう人たちがいるという噂だけは以前から耳にしていたが、実際に私が目にするのは初めてだった。
 つまり、このいかにもな彼に“さん付け”で呼ばれた五条さんは彼より上の立場だと伺えるわけで。この二人もきっと“そういう”人だということだ。

 イケメンは何を着ても似合うなどと、呑気なことを私は思っていたが、 改めて見てみると、2人の格好はなかなかにイカつい。彼等もまた“そういう”人だとわかれば、ハイブランドっぽいギラギラした柄シャツにも妙に納得がいく。注意して見れば、そういう要素もそこかしこに散りばめられている気がした。例えば、五条さんのシャツの襟に無造作にかけられた、丸くて真っ黒なサングラスや、優しそうな“すぐるさん”の長い髪からちらりと除いた耳の拡張ピアスとか。
 ……今は見えないけれど、2人の上等なシャツの生地の下のどこかにも、花が咲いているのかな。
 

「大丈夫。ヤクザって言ったって、そんな言うほど怖くないからさ。
 相当な理由が無いと、カタギに手は出さないし。そもそも僕、男ならともかく、女には優しいしね。
 だからそんなに怯えないで。仲良くしようよ、お隣同士。ね?」
「は、はい……」

 五条さんは最初は自身の職業を私に隠すつもりだったらしい。けれど私の反応を見てそれが無理だと悟ったのか、つっこみづらいことをとても明るく、至極軽い調子で言ってのけた。そして、私を安心させるためなのか、整った顔に笑みを浮かべた。
 若干童顔な五条さんがニコニコ顔なのは、正直に言ってしまえば可愛い。五条さんの正体を知ってしまった今、その可愛さが少し不気味のような気もするけど。
 とはいえ、五条さんがどんな人であれ、彼が持って生まれた可愛さに罪は無い。可愛いものは正義という言葉があることからわかるように、可愛いものは可愛いのだ。顔のいい男の無邪気にも見える笑顔に、私は半分条件反射で頷いてしまっていた。けれど五条さんが言うように、私が彼と実際に仲良くなることは無いだろうと思う。

「悟は性格はいいとは言えないけど、腕っぷしは強いし、割りとなんでも出来る男だよ。
 だから名前ちゃんも、何かあったら悟を頼るといい」
「傑、性格悪いは余計だよ。
 大体、性格なら僕よりオマエの方が酷いだろ」

 わかりやすく顔を歪める五条さんの横で、柔らかく笑うすぐるさんに愛想笑いを返しながら、私はこれから隣人となる彼について思いを巡らせていた。
 彼が一般人であれば、キラースマイルで仲良くしようなどと言われて、チョロい私は簡単に恋に落ちていたかもしれない。しかし彼があまり関わり合いを持ちたく無いタイプの人間だとわかった今、さすがの私でも、彼とどうこうという可能性は考えられなかった。
 それに彼の方だって、こんな平々凡々とした女をわざわざ相手にはしないだろう。ヤクザというのは確かに特殊な仕事ではある。だけど水商売のお姉さんや、そういう筋のお嬢様だとか、彼と同じ特別な世界に身を置いている女性であれば、結婚は少々ハードルが高くとも、恋人にはなりたいと言う人はきっと沢山いるだろう。仲良くなんて、きっと挨拶がわりにしたただの社交辞令だ。
 そう思ってたのに。 

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