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02. 仕上げ


 監督生が透明マントで姿を消してから、ちょうど四日目の夜も更けた頃、アズールから連絡用にと渡された携帯に『最終段階に進みます』とジェイドからメッセージがあった。
 ジェイドの指示通りに、透明マントをしっかり頭から被って、監督生はオクタヴィネル寮のアズールの部屋を訪れた。監督生がアズールの部屋のドアをノックすると、ドアを開けたのは、既に寝る支度を整えたジェイドだった。

「監督生さんですね?」
「は、はい」
「お待ちしておりました。早く中へ」

 ジェイドは周囲に充分注意を払ってから、小声で確認すると、監督生をアズールの部屋へ招き入れた。

「本当に、そうしてマントを被っているとわからないものですね」

 ジェイドがドアを閉めると、監督生は透明マントを脱いだ。アズールは空間から突如として姿を現した監督生をしげしげと眺め、感心したように呟く。アズールもジェイド同様、もう寝るだけのようで、彼らしい上等なシルクのパジャマを身につけていた。
 自身が寮長であることを示す豪奢なベッドに腰掛け、アズールは監督生に傍にある椅子に座るよう勧めた。監督生はてっきり、ジェイドもアズールの横にでも座るかと思ったが、ジェイドはアズールの傍に執事のように立ったままだった。

「計画を早めます。
 ネタばらしと、その前の最後の仕掛けは、もう少し後に実行する予定でしたが……。
 このままではフロイドの身がもたなそうなので」
「ど、どういうことですか? それ!
 フロイド先輩、体調悪いんですか?!」

 切り出したアズールの言葉に、フロイドの身を案じた監督生が真っ青な顔で聞き返した。アズールは監督生を安心させるように、彼には珍しく、胡散臭くない紳士的な笑みを監督生に向けた。

「別に命に別状はありませんよ、今のところは。
 ですがさすがに、朝から晩まであなたのことを探して学園中を走り回っているにも関わらず、食欲が無いからといってろくに食事もとらない生活を毎日続けていれば……、いくらフロイドに体力があるとはいえ、体調に支障が出ますからね」
「精神的にも、そろそろ限界が近そうですしね。
 フロイド、毎晩涙で枕を濡らしているようですから」
「え……っ」
「ふふ、信じられませんか?
 後で確認するといいですよ。
 『小エビちゃん…』なんて小さく監督生さんのことを呼ぶ声も時々聞こえるので、さすがの僕も、ドッキリとはわかっていても胸が少し痛くなります」

 ジェイドはわざとらしくよよと泣いてみせたが、フロイドが心配な監督生はジェイドの演技が目に入っていない。フロイドの状態を聞き、監督生は前々から思っていたことを、おずおずと口にした。
 
「あの、フロイド先輩が私のことを、その……、私が思ってるより大切に思ってくれていることがわかったので、私としては、もう種明かしをしてもいいと思うのですが。
 そ、それに、なんだか……、フロイド先輩が可哀想です」

 ジェイドが提案した最後の仕掛けは、フロイドの前に姿を現した監督生を、幻覚だと勘違いさせることだった。
 一度持ち上げて落とすようなことを果たしてする必要があるのか、監督生は甚だ疑問に思った。ジェイドが言うには、幻覚であるはずの監督生に対してフロイドがすることを見れば、より監督生が満足いくはずだとのことだった。だからこの最後の仕掛けは外せないと言うのだが、監督生としては、先日フロイドが監督生を探している様子を見ることが出来ただけで、もうお腹いっぱい・大満足だった。

「何を言っているんです。
 この最後の仕掛けこそ、監督生さんがフロイドの愛を間近で感じることのできる絶好の機会ですよ。これを逃したら、こんなフロイドはそうそう見られるものではありません。
 あなたはこのチャンスをみすみす逃すと?」
「仮に、監督生さんが本当に元の世界に帰ろうとすれば、また見られるかもしれませんけどね」
「先輩たちはフロイド先輩のこと、大切に思ってないんですか……? これ以上ありもしないことで苦しむフロイド先輩のこと、私、見ていられません……!」
「ジェイドが言ったように、これから先、全く起こり得ないとは言い切れないではありませんか」
「ど、どういうことですか?
 アズール先輩も、ジェイド先輩も、幼馴染と兄弟でしょう? ひどくないですか……!」
「そうです。アズールの言う通りですよ。
 確かに、僕が思いついたこのドッキリの目的は、キノコを捨てられた腹いせです。ですがこれは、フロイドのためでもあるんですよ」
「意味が分かりません……!」
「ふふ。いくらキノコのためとはいえ、大切な兄弟をむやみやたらに傷つけるだけのことはしない、ということです」

 アズールとジェイドは、フロイドへのドッキリを心底楽しんでいるようだった。本当はそれだけではないのだが、アズールとジェイドの隠れたちょっとした目論見は監督生に正しく伝わることは無かった。だから、監督生には、2人が慈悲もなにもない鬼のように見えた。

「では、僕の『黄金の契約書(イッツ・ア・ディール)』で明日の朝まで、あなたから声と表情を奪います」
「あの……、声と表情を奪う必要って本当にありますか?」
「当然です。
 あなたが演技できればそれが一番いいんですが、残念ながらあなたは正直な人だ。普段ならそれも美徳かもしれませんが、人を騙すには向きません。
 あなたの反応を見たら、最後の最後でフロイドが勘づく恐れがありますからね。大根役者でいられるより、喋らない人形の方がよっぽどいい」
「人形って……」
「24時間経てば、自動的に声と表情はあなたに返されます。声と表情が一日使えなくなるのですから、対価は1週間のディナーの提供くらいにしておきましょうか。
 しかし、24時間経たない内に、種明かしのタイミングがあると思いますから、その時になったら、ジェイドが僕が持たせた契約書を破る……。この手筈でいきましょう。
 監督生さん、頑張ってくださいね」

 アズールの契約書にサインをした監督生は、アズールがかけた魔法によって声と表情を奪われた。
 アズールの部屋を出る前に、再び透明マントを被った監督生は、ジェイドと共に兄弟の部屋を訪れた。時刻は既に0時近いためか、壁を背にして横向きに寝ているフロイドからは規則正しい寝息が聞こえる。
 脱いだ透明マントをジェイドに渡してから、監督生は、フロイドのベッドに近づき傍らにしゃむと、フロイドの寝顔をじっと見つめた。貝殻のシャンデリアから放たれる優しい光に照らされたフロイドの頬には、まだ乾ききっていない涙の跡が見て取れた。

「おやおや。フロイドったら、また泣き疲れて寝てしまったようですね。
 アズールならまだしも、僕の兄弟はこんなに泣き虫ではないはずなんですが……。
 では、僕は寝た振りをしていますので、監督生さんは頃合いを見て、フロイドを起こしてください。
 フロイドが貴女に気付いてから、僕を起こすようなら、計画を進めます。もし僕を起こさなければ、その時は適当にやってください」

 監督生は顔に落ちかかっている髪をよけてから、フロイドのシーグリーンの髪を撫でる。サラサラとした触感が心地よかった。監督生としては、そのままもう少しその触り心地を楽しんでいたかったが、監督生がフロイドの髪を撫で始めてからすぐに、フロイドが目を覚ましたためそれは叶わなかった。
 最初はうっすらと開けられた瞼が、ぼんやりとした視界に映る人影を認めた瞬間、ぱちりと開かれる。

「こ…えびちゃん……?」

 自分のベッドの傍らにいるのが監督生だと理解したフロイドは、ガバッと上体を起こした。そして左手を伸ばすと、監督生の頬に触れた。左手が監督生に触れた瞬間、フロイドは自分でも知らないうちに涙を流していた。涙は留まることを知らず、フロイドの頬を音も無く伝い続ける。フロイドは流れ続ける涙をそのままに、しゃがんでいた監督生を抱き上げ、ベッドの上に乗せた。監督生が確かにここにいることを確認するかのように、フロイドは監督生の身体をぎゅうっと抱きしめ、自身が付けた愛称で監督生に呼びかける。

「小エビちゃん、」

「小エビちゃん……」

「どこ行ってたの。小エビちゃんのこと、オレずーっと探してたんだよ?
 オレ、小エビちゃんが元の世界に帰っちゃったかと思ったぁ」

 泣きながら、自分の名前を痛々しいほどに愛おしげに呼ぶフロイドを前にして、監督生は泣きたくなるほどフロイドが愛おしくなった。アズールに魔法をかけられていなければ、この場で泣き出していたかもしれない。
 しかし、今の監督生は声を出すことも出来なければ、フロイドに笑いかけることも出来ない。監督生の正直で素直な反応は、魔法で封じられている。今、監督生に出来ることといえば、自分を強く抱き締めるフロイドを、フロイドより大分弱々しい力で抱きしめ返すことくらいだった。
 しばらく監督生を抱き締めていたフロイドだったが、監督生が戻ってきた喜びをいの一番に片割れと共有しようと、監督生をそっと離した。そして、もう眠っている(フリをしている)片割れの肩を大きく揺する。

「ジェイド! ジェイド起きて!」
「フロイド……、どうしました?
 おや、僕としたことが。また、本を読んでいる最中に眠ってしまったようです。電気を消すのを忘れていましたね。キノコの本を読んでいるといつもこうだ」
「そんなこといーから! 見てよ!
 ほら、小エビちゃん! 小エビちゃんが帰って来た!」
「――なにを言っているんですか?」
「ジェイドこそなに言ってんの。
 小エビちゃんだよ! オレのベッドの上にいるでしょ?」
「僕には、フロイドのベッドしか見えませんが……。
 きっと、フロイドは疲れているんです。
 もう今日は眠った方がいい」
「なに言ってんの? ジェイドおかしいんじゃねぇの」

 目を覚ました(フリをした)ジェイドの目には、勿論監督生の姿は映っている。ジェイドは片割れの心からの笑顔を見て、このドッキリを貫く気持ちが少しだけ揺らいだが、そこはジェイドである。ジェイドはフロイドの言っていることが本気でわからないというように、聞き返した。ジェイドの表情と声からは憐憫と、本気で兄弟を心配する気持ちしか感じ取ることが出来ない。ジェイドの名演ぶりといったら、嘘に嘘を塗り重ねることに罪悪感を感じていた監督生でさえ、思わず感心してしまう程であった。

「可哀想に。
 監督生さんの幻を見てしまう程に、フロイドは監督生さんに会いたいんですね」
「幻なんかじゃねぇって! ちゃんと、ほら……、小エビちゃんちょっと来て」

 フロイドはベッドに座っていた監督生の手首をつかんで、ジェイドの前に立たせたが、やはりジェイドの反応は変わらなかった。その瞳に監督生をしっかりと捉えていながら、眉を下げ、珍しく本当に困っているかのようにジェイドは首を振った。傍から見ても、ジェイドのその表情や仕草が演技だとはとても思えない。

「フロイド、僕には何も見えません。それが答えです」
「そんな……、そんなわけねぇって」
「では聞きますが、監督生さんは、本当に、フロイドと付き合っていた監督生さんですか?」
「どーいう意味だよ」
「監督生さんに、何かおかしなところはありませんか?」

 ジェイドにそう問いかけられて、フロイドにも思うところがあった。ここにいる監督生は、見た目も、抱き締めたときに感じる温もりも、確かに監督生だということを示していた。しかしフロイドには一点だけ気がかりなことがあった。先程から、監督生は声を発さないばかりか、自分のする行動に対し、表情一つ崩さない。姿形はフロイドが知っている監督生そのものなのに、まるで感情の無いロボットのようなのだ。感情豊かな監督生には、ありえない反応だった。
 フロイドは、目の前の監督生の以前とは違うところに気付かないフリをしていた。居なくなったと思っていた愛しい女が帰ってきたのに、それが偽物かもしれないとは、どうしても考えたくなかったのだ。

「──ホリデー明けに、一度魔法医術士にみてもらいましょうか」
「もーいいよ!
 オレは頭おかしくなんかねーし……。そーいうのいーから」
 
 フロイドは、心から片割れを心配する気持ちから、魔法医術士の診療を勧めた(ように見える)ジェイドの手を振り払った。そして、ジェイドとフロイドが話している間、どうしていいかわからず棒立ちになっていた監督生の手首を掴み自分のベッドに向かった。
 ”監督生が元の世界に帰ってしまった”とここ数日間信じ切っていたことと、日頃から信頼を寄せている片割れの言葉ということもあり、フロイドはジェイドの真っ赤な嘘をあろうことか信じた。

「……おやすみなさい、フロイド」

 ベッドに連れ込んだ監督生を抱きしめて眠るフロイドを確認すると、ジェイドは憐れみをたっぷり含ませた声色で、片割れにおやすみの挨拶をした。片割れから返事は返って来なかったが、ジェイドは構わず貝殻のシャンデリアの電気を消した。

「(ほんとに、この小エビちゃんが幻なわけ……? 信じたくねぇけど、でも、ジェイドが小エビちゃんのこと見えないって言うからそぉなのかも。
 それか、元の世界に帰っちゃった小エビちゃんが心配で見に来てくれたとか? 生きててもゴーストになるって聞いたことあるし。でも触れるゴーストとか聞いたことねぇしなぁ)」

 フロイドは悲痛な面持ちで監督生を見つめながら、腕の中にいる監督生の頬を撫でた。余りのショックから正常な判断が出来ないでいるのか、はたまた片割れが自分を騙すなどとは、はなから思っていないのか――片割れの言うことは正しいのだろうというのがフロイドの判断だった。
 あんなに探していなかったのだから、監督生はきっと元の世界に帰ってしまって、戻ってくることはない。目の前にいる監督生は、余りの辛さに耐えきれず自らが生み出した幻覚で、本物の彼女ではないのだ。潤んだ色違いの瞳から溢れたのは、今度は紛れもなく悲しみの涙だった。
 監督生は、ドッキリを仕掛けている最中だということも半分忘れかけていた。目の前で悲嘆に暮れる最愛の恋人をどうにかして慰めようと、監督生はフロイドの涙を自身の服の裾で拭いた。そんな、無表情ながら自分を気遣う素振りに、フロイドは監督生の温かい優しさを思い出し、余計に涙が止まらなくなった。
 
「(頭おかしいのかもしんないけど、それでもいーや。だって、幻でもゴーストでも、小エビちゃんにそっくりなんだもん。
 小エビちゃんが傍にいないの、もう耐えられそーにないし)」

 電気が消えているとはいえ、フロイドが泣いていることは同じ部屋にいるジェイドにもわかるだろう。種明かしをするときにはジェイドからそれと分かる合図があるはずだった。フロイドに抱き締められながら、そろそろ頃合いなのではと監督生は想っていた。しかし、いくら監督生がジェイドの合図を待とうとも、その夜、ジェイドからその合図がついに出されることは無かった。


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