これだから女ってやつは!

*リクエスト:万丈目夢


その俺の名を呼ぶ声が聞こえた時――いや、奴が後方から走ってくる音がした時には、俺の全防衛本能は即座に「逃げろ」と言った。授業が終わったばかりでまだ騒がしい教室の中、昼休みに賑わう生徒達の間をすり抜けるようにして出入り口へとダッシュする。必死の形相であろう俺を皆が「また始まった」とでも言うような、呆れるというよりは寧ろ恒例行事を楽しむような表情を一様にしているのは気に入らないが、この際そんな事はかまうものか。今一番大事なのは、ここで何とか奴から逃げきり、『いつもの』平穏な昼休みを確保することなのだ。…そう、たったそれだけのはずなのだが。

「万丈目、くーん!」

――その忌々しい声と共に、腰に強烈なタックルがキメられた。突然の衝撃に必然的に俺は前に倒れ込むことになり、ノートだの文房具だのをばらまきながら情けない格好で派手に転ぶ。またこのパターンか。ああ、出口まであと三メートルだったのに…。

「ああ万丈目くん、今日もこの細い腰が素敵だね、たまらないよ!万丈目くんの匂いがするうう」
「ええい、離せこの変態!いつもいつもいつもしつこくまとわりつきやがって!自分の星に帰れ!」
「きゃあ、万丈目くんに変態って言われちゃた!嬉しいもっと言って!」
「……ハァ」

この女生徒は苗字名前。…簡潔に言えば、紛れもない変態である。


きっかけは些細…でもないかもしれないが、でもこんな事になるなんて思いもよらなかった。時は一週間前に遡る。俺はいわゆる告白というものをこの女にされたわけだ。そりゃあとんでもない女からでない限り、好意を伝えられて気を悪くする男はいない。この時点ではまだこいつは、告白の言葉を言う時なんてそれはそれはしおらしかったのだ。しかし俺には天上院くんという想い人がいるわけで、彼女以外の誰かとどうこうなるだなんて妄…考えるはずもない。そんな事を伝えて当然丁重にお断りした。
そうしたらこの女は泣き出し、ならばせめて友達になってほしいと言う。この女は幸か不幸か容姿もそこそこ良くて(言うまでもなく天上院くん程ではないが)、さらに上目遣いと涙目のコンボで懇願されて、少しも絆されないでいられるだろうか?…いや、俺が悪かった。この性悪女の本性を見抜けなかったのが決定的な敗因だ。

それで…つい『友達』の申し出を承諾してしまってからは、もう見ての通りだ。この過度なスキンシップにはすっかりうんざりしている。

「ねえ万丈目くん、購買行くんだよね?私も一緒に行くよ!」
「来なくていい!貴様と一緒にいると運気が下がるっ」
「そんな冷たいこと言わないでよこのツンデレさん!友達でしょ?」
「…っ、コラ腕を掴むんじゃない!邪魔だ!」

まるでひっつき虫…というより、呪いのようだ。誰か俺に恨みがあるのか!ならば頼むから償わせてくれ。そして今すぐこの疫病神を払ってほしい。こうベタベタされるものだからとうとう変な噂まで立ちはじめたらしい、ふざけるな。もしそれが天上院くんの耳にでも入ったらたまったものじゃない。昨日なんて十代が「お前って意外とああいうタイプが好きなんだな」とか抜かしやがるので鉄槌を下してきたところだ。聞くのも馬鹿馬鹿しい冗談である。

購買は今ピーク時なのかがやがやと生徒で溢れている。目的は皆ドローパンだろう。なんとか人混みをかきわけながらワゴンに近付いていくと、それに合わせて苗字も俺の制服の裾を掴んでとことこ付いて来る。お前はどこぞの小ガモか。いい加減巣に帰れ。いっそ思い切り振りほどいてやりたいが、この混みようではとてもできないだろうし、身長の低い苗字がここで一度転べば本人はまあどうでもいいが他の人間にも迷惑だ。癪だが俺の慈悲深さに感謝するがいい。ワゴンまであと少し、手を伸ばせば何とかパンに届く距離だ。このままさっさとドローして、人混みに乗じて撒いてやろう。
どのパンにしようかとワゴンを睨んでいると、向かい側から聞き覚えのある声が聞こえた。間違いない。バッと顔を上げると、そこには愛しの天上院くんがいた。…ああ、今日もなんて美しいんだ。そういえば今朝もあいつから逃げるのに忙しくて挨拶すらできなかったのだ。でもここで出会えるなんて!運命か。運命なのか。嬉しそうな顔でパンを手に取る姿はまるで天使…いや女神だ。こうなるとこんなワゴンが非常に邪魔であるが、これはこれで距離感がさながらロミオとジュリエッ

「やった、万丈目くんのパンもーらった!」

――はっと我にかえり横を見ると、そこには俺が手を伸ばしていたパンを横取りしてにへらと笑う苗字がいた。馬鹿、それは俺の…!

「おい苗字っ、それは俺のだ!返せ!」
「あっトメさん!私これ、このパンね!」

不覚だった。あろうことかこいつは自身の小ささを活かし、俺様の狙ったパンをかっさらったのだ。すぐに追いかけようと身をよじるが、どうつもこいつも自分と反対方向に向かおうとしてくるのでうまく走ることすらできやしない。対して奴は自慢の身軽さと足の速さであっという間に見えなくなった。あのチビ!
やっと人の群れから抜け出すと、自分の手が無意識に掴んでいたドローパンに気がついた。どうせならこれを潰しでもして顔面に投げつけてやろうか。急いで支払いを済ませると購買部を出た。奴の居所くらい目星がついている。…くそ、これじゃまるでいつもと立場が逆じゃないか。


「あ、万丈目くん」

息を切らす俺を見て苗字がけろりと笑ってみせたので、俺の苛立ちは最高潮に達しそうだった。この海の見える岸壁のはずれはこいつが気に入っている場所だとか以前に言っていたが、思った通りここにいた。そういえば一週間前の悪夢の始まりもこの場所だった。だが俺をあの時と同じだと思うなよ、もう情け容赦などかけるものか!

「もうっわざわざ追いかけてくるなんて、そんなに私が好きなんだね!」
「ええいわけのわからん事を言うな!妄想ならパンを返してからよそでやってこい!」
「万丈目くんが持ってるパンを自分で食べればいいんじゃないの?」
「俺はそのパンが食べたかったんだ!」
「あらやだ、万丈目くんかわいいっ」
「…っいいからつべこべ言わずに返せ!」

苗字は苛つく俺も気にしない様子でパンの袋を見せびらかすようにぴりぴりと開封していく。…おいまさか。
その意図に気付くも時すでに遅く、苗字はにんまり笑うとパンを一口かじった。

「おい貴様ああああああ!」
「あ、これステーキパンだ!すっごく美味しい、さすが万丈目くんの選んだパンだよ」
「ぐっ…」

やられた。しかもステーキパンだなんて、俺の大好物じゃないか。にくったらしく笑うこの女もそれを承知だろう。満面の笑顔でステーキパンの美味しさについて雄弁しだしたが、そんなことは俺がよおおく知っている。それはもうこいつよりずっと語ることができるくらいにな!

「…もう付き合っていれるか!俺は戻るっ」
「ていうか今回は万丈目くんが追いかけてきてくれたんだけどね?」
「う、五月蠅い!」

くそっともかくこの事は忘れてしまえ。敵は機嫌がいいようだし、せっかく手に入れた久しぶりの一人の昼休みじゃないか。校舎方面にに歩き出しながら手にあるもうひとつのパンの包装をびりびりと破くと、がぶりと思い切り喰らいついた。

「…うっ……」

口に広がる青臭い苦味。…俺はもっともおぞましいパンを引いてしまったらしい。恐る恐る手元をみれば、レタスやトマト、そして悪の根源とでも言うべきニンジンまで入っている。どうみてもお野菜パラダイスなこのパンは、間違いなくサラダパンである。最悪だ。
この世のものとは思えない不味さにむせていると、後ろからくいくいと袖を引かれた。まだいたのか豆チビ。

「ねえねえ万丈目くん、なんのパンだった?」
「ッゲホ、み、見れば分かるだろ!」
「わあ、万丈目くんの涙目初めてみた!いいねぇそそるねえ」
「黙れ、こんなことになったのも貴様のせいだ!」
「じゃあ交換する?」
「……は?」
「間接ちゅーになるけどね!」

―こいつは、自分のステーキパンと俺のサラダパンを交換しようというのか。それはまあ、有難いといえばそうだが…正直気色わるい。特に最後に言った内容がだ。いやしかし、それ以上にこのサラダパンも触れているのすら鳥肌ものなのだ。冗談ぽくニヤニヤ笑う苗字が一口だけかじられたステーキパンを目前にちらつかせてくる。…じょ、冗談でも、こいつと、こんな奴とッ…!

「………やる」
「え?」
「や、やると言ったんだ!何度も言わすな、さっさと貴様のをよこせ!」

勢いにまかせてサラダパンを押し付けステーキパンをひったくる。ポカンとあほ面になっている苗字など無視して、俺はステーキパンにかじりついた。
ひと口、ふた口、こうなればもうヤケだ。口がいっぱいになるまでかぶりついてやった。どうせこの変態はパンを交換したことをあれやこれや言うだろうが知ったことか。これは俺のパンなのだ。俺が何をしたというんだ。ただ自分のものを取り返しただけじゃないか。

詰め込んだものを一気に咀嚼すると、ほうと息をついた。妙にせいせいした気分だ。
何が間接だ、小学生でもあるまいし。

「おい、これで用は済んだだろ。とっとと俺の前から…」

手で追い払うような仕草をしながら言ったその言葉は、最後まで言えなかった。

だって。見ると、また変態らしい反応でもしていると思ったそいつが、まるで『女の子』みたいに顔を真っ赤にして、固まっていたから。つい一週間前に見た、あの表情とまるで一緒だったから。今にも泣きだしそうな顔をして、俯いていたから。なんだかよくわからないが、俺らみるみるとたまらなく恥ずかしいような気持ちになった。

「〜〜ッ、お前、その顔をやめろ!」
「…え、あ、顔ってこれは、生まれつきで、」
「いいか、金輪際俺のパンを奪ってみろ!『友達』なんかやめてやるからな!」
「な、なにそれ!待って万丈目くん、えっと、ごめんって!」

何やらわめいている苗字を完全に放って、俺はなるたけ早足で校舎への道を歩く。そのうち追いかけてこようが口などきいてやるものか。

歩きながら俺は無意識に、口元を手で覆っていた。
ああくそ、腹が立つ。パンの味がよく分からなかったのも、何故か顔が熱いのも、心臓の音がやけに五月蠅いのも。全部あいつのせいだ。疫病神め。












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end
2011.04.06



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