大人とコーヒーブラウン

*リクエスト:ルドガー夢/夢主不在


「だからね、ルドガーくん。君はとてもずるい男だって言ったんだ」

小テストの用紙や書類が山積みになっている薄明るい窓辺。その隅にある、この研究室には不釣り合いなコーヒーメーカーで本格エスプレッソを作る男が背を向けたまま言った。豊かな香りを漂わせる豆はアメリカンをベースにしたブレンドなのだと何度か自慢されたが、そういったものは自宅で楽しむからこそ旨いのだという自論をもつルドガーは今日もインスタントコーヒーを啜っている。
大きく無骨な手に丁度良いサイズのマグを置くと、ごほんとわざとらしい咳をひとつして口を開いた。

「…また不動先生は、よく分からないことをおっしゃいますね」
「だからホラ、紳士ぶっちゃって。俺の情報網を舐めてもらっちゃ困るよ」

じっくりと淹れた濃厚なコーヒーをマグに移し、向かい合うデスクに座った不動は意味深な笑みを浮かべる。獲物を狙った捕食者の眼というよりは、からかうのに恰好の対象を見つけた男子校生に近い表情である。不動がこんな顔をしている時は大概、都合のいいことが起こるなんて期待はしないほうがいい。

ルドガーはこの男――年下のくせに平気で馴れ馴れしい口をきく不動『先生』――に、何となく逆らえない。不動は教師としては珍しく、博士号をあっさり取得してのち海外に渡り、そこの研究室でも若くして数々の実績をあげ散々にもてはやされ、そしてまたあっさりと帰国し何事もなかったかのように教師になったのだそうだ。いつだったか、教師になった理由を問うてみると「若い女の子がいっぱいいるところで働いて死にたいから」と返ってきたのには呆れたが。とはいえ所謂天才と呼ばれる人間はたいがいに人格に問題があるものだ。ルドガーはそうどこかズレた部分で納得していたし、また研究者の端くれとして尊敬もしている。人間的な事は別として、ではあっても。

「二年C組の苗字名前ちゃん。勉強はできるし人望もあり、しかも中々の美少女ときたもんだ。…はぁ、そんな素敵な子も男の趣味はいまいちだねえ」
「…アンタ、どこでそれ聞いて」
「俺の方がかっこいいしモテるのになーヒューヒュー不動先生やけちゃうーー」

頬杖をつきニヤニヤと、そしていかにも面白くなさそうに話す不動にルドガーは確信せざるをえなかった。この男はどこまで知っている…。いやしかし、どうやって知ったというのだ。
ルドガーは体裁を整えるための言葉を頭の中で必死に絞り出していた。

「あの…言っておきますがね、あれは向こうがあれこれ言ってくるだけであって」
「へえええ、君にそんな気はこれっぽっちもないと?ふーん」
「ええ、冗談にもなりませんよ。我々は教育者なんですから」
「……することしたくせに」
「ぶはっ!」

つい噴き出してしまったコーヒーが机の上の紙類にかからなかったのは幸いである。ゲホゲホと咳き込んでいると、不動が汚いなあと笑いながらハンカチを差し出した。ルドガーの記憶が正しければそのグレー地のチェック柄は三日前から見覚えがあるので、それを受け取ることはジェスチャーで遠慮を示した。代わりにティッシュを一気に二、三引き抜いて机に押し付ける。
落ち着け。動揺すればそれは相手の策略に嵌まったも同然だ。

「いや、あれはですね、その」
「ちゅーしてきたのは向こうからで、自分はその不意打ちを受けただけだから仕方がなかったと?」
「…ええ、まあ」
「それだけ?」
「……?それだけ、というのは」
「分かってないなあ。君、あんまり恋愛経験ないでしょ」
「余計な世話です」

不動は大きく溜息をついて、やれやれというように煙草に火をつけた。因みに校内は禁煙である。この不動さえあの厳格な理事長は苦手なようで、白衣に染みるこの匂いを消すのも骨が折れると以前ぼやいていた。
不動はふぅーと白い煙を吐くと、机のガタつく引出しから灰皿を取り出して燃えた先をそこに落とした。

「まんざらでもなかったくせに」

ルドガーの眉のあたりがピクリと動いたのを、不動は見逃さなかった。コーヒーをまたひと口飲む。目線は互いに合わせないままだ。

「君の冗談ひとつ無いくそ真面目な授業を同じくらい真面目に聞いて、テストはいつも一番。おまけに毎日のように授業の質問しに来てさ。知ってたんでしょ、告白される前から」
「…教師が、生徒に対してそんなことを考えるのは」
「なに?教育者たる者聖人君子であれと?」
「私は屁理屈は好きじゃない」
「俺は大真面目さ、普段の君と同じくらい」
「………」
「君はずるい。大人だから教師だからって、彼女のことに関して考えないようにしてるしちっとも向き合わない。かといって突き放すこともせず、自分を慕ってくれてる彼女にそのままでいてほしいとすら心のどこかで思ってる」

不動はまた一度煙草をふかすと、灰皿にそれを押し付けた。

「…本当はどう思ってるのか知らないけどさ。このままだったら教師以前に男して、ねぇ」

どうかと思うんだけど。
始業五分前を告げる鐘が鳴る。不動は頭をかきながら面倒そうに椅子を引くと、匂い消しの清涼剤を軽く白衣にスプレーした。ルドガーはそれを視界の隅の収めながら、卑屈な笑みを浮かべた。コーヒーはもう冷めてしまっている。

「…ご忠告どうも」
「なあに。さて授業だ、君は…メーカーに残ってるの、よかったら飲んでよ。長いコーヒーブレイクを楽しむのもいいもんだ」
「遠慮しておきます。まだ仕事もあるのでね」
「…相変わらずつれないねぇ、君」

不動は学生名簿を取ると、欠伸をしながら研究室の扉を開けた。この時間帯に眠くなるのは生徒だけではない。


出たすぐのところで、一人の女生徒がノートをかかえて壁にもたれていた。不動が担当している授業の生徒ではないが見覚えはある。女生徒はハッと顔をあげると、気まずそうに俯いてすみませんと耳を赤くして言った。

不動は優しく微笑み、恋する少女の柔らかな黒髪をくしゃくしゃと撫でた。


「行っておいで。今なら美味しいコーヒーが飲めるよ」











‐‐‐‐‐‐‐‐‐
end
2011.06.07



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -