日刊ラブレター


*夢要素ほぼ皆無



酸素を喉いっぱいに吸い込むように欠伸して、目尻の涙を拭いながら扉の錠を外す。この仕事はガレージで一番早く朝を迎えた人間がすることになっているが、大抵は遊星がこなしている。それは彼が朝まで作業する癖や、寝ても目覚めの良い体質からすれば自然な結果だが、理由はもうひとつあった。

扉を開けると、朝の清涼な空気と優しい陽がガレージに入り込む。そこから数歩踏み出した所には、遊星達が住むことになった時にはすでに設けられていた簡素な郵便受けがある。剥がれかけた白のペンキから鈍い金属が覗いているそれは、過去の遺物として懐かしまれているのだろうか。今現在の科学技術からはかけ離れて見えるアナログな時計を扱う店に隣接するには、充分に自然に思えた。
そうは言ってもこの家は新聞を取っていないし、広告だの依頼だのは全てパソコンのメールに来る――つまり郵便受けは殆どインテリアに近い。

しかしそれでも遊星は毎朝その中身を確認する。彼にとっては、とても重要な意味があるのだ。

そこを覗けば今日も封筒がひとつ入っている。取り出してみると、今朝は若干いつもと様子が違っていて遊星は首を傾げた。封筒は見慣れた茶色のもので、切手や消印をはじめ差出人の名前もない。“不動遊星様”とだけ書かれている。それはいい。
ただ、いつもより封筒のサイズが大きめで一部が僅かに膨らんでいる。膨らんだ部分に触れるとごわごわとした感触が指に伝わった。布、だろうか。

好奇心で、封筒の口を浮かせて中身を盗み見ると、遊星はギクリと固まった。封筒を慌てて閉じ、改めて瞼を下ろして一度ゆっくり深呼吸をする。どんなに落ち着こうとしても嫌な汗が垂れてきそうだった。

『彼女』は自分に一体何をしたいのか。遊星が理解に苦しむ事は少なくない。




薬缶にマグカップ四杯分の水を目分量で入れて火にかけると、遊星はダイニングテーブルの椅子を引いてそこに座った。
手にある封筒には不思議な存在感があり、開けるのは少し恐ろしくあったし、また酷く億劫でもあった。これでも慣れたものなのだ。

そろそろと封筒に手を入れて、中にある布をゆっくり引っ張り出す。この家には存在しない筈の香りが微かに広がった気がした。
青い布だった。あまり柔らかくはない質で、色も大分褪せている。見覚えがありすぎた。どうやら見間違いではなかったようだ。

きちんと広げてみると、それは紛れもなく遊星の下着だった。




――拝啓 不動遊星様
お早うございます。今朝も私の手紙を読んで下さっているのですね、大変嬉しいです。昨日は早めにお休みになったようでしたが体調は―――

冒頭はいつもの長ったらしい朝の挨拶だったので、遊星は軽くそれを読み飛ばしていく。便箋の一枚目はそんな事と、あとは季節の変わり目だから風邪を引きやすい事など、そのくらいの内容らしかった。
二枚目には走行だのデュエルだの、そんな言葉がちらちら視界を掠っていった。とても、素敵でした。――という最後の一行だけきちんと読んだ。遊星はどこかが変にこそばゆくてたまらなかった。

そして三枚目、流れるように動いていた瞳が止まった。女の小さな字は、便箋の幅いっぱいを惜しむように綴られている。


――さて、今日はもうひとつお話があります。
あまりに無防備だと思うのです。世の中にはどんな人間がいるか分からないでしょう。あなたが私を分からないように、私もあなたが分からないように。ただでさえ人目に触れる方ですから、たった洗濯物を干す場所さえ選ぶ必要があるのです。つまりどこかの変質者に盗られる事のないよう、つい三日前に見かけた分の下着だけ私が預かっておきました。何故三日間も預かっていたかというと、この布きれにあなたの性器が収まっていたことへの愛しさと感傷に浸っていたかったのです。
下着は二回洗いました。柔軟剤とアイロンで丁寧に仕上げてあります。柔軟剤は最近発売されはじめた―――


そこまで読んだ時、ピィィィと薬缶が沸騰を知らせる音が部屋に響き渡った。遊星はハッと顔を上げ、手紙は二つ折りにしてテーブルに置くと急いでクッキングヒーターのスイッチを切った。湯は溢れなかった。心臓が妙に早鐘を打っていたが、ほどなくそれが引いていく。

ふぅと息をつくと、自分の左手が下着を持ったままだった事に気がついた。下着に愛用も何もないが(確かこれは三枚で千円とかのセール品だ)、そこそこ履き古したはずのそれがいつもより柔らかな感触であるのは遊星にも分かった。
下着を恐る恐る鼻に近付けてみると、たしかに柔軟剤らしい香りがする。花ともシャボンとも遊星にはよく解らなかったが、成る程いい匂いではある。それなりに名が知れると誰かが下着を洗ってくれるのか、とぼんやり考えた。遊星にとってはその程度の事だった。

上から階段を降りる足音が聞こえてきた。薬缶の音で誰かが起きたらしい。手にしていた下着をくしゃくしゃにポケットに突っ込んで、何食わぬ顔でコーヒーを作り始めた。

「相変わらず遊星は早起きだね。おはよう」
「おはようブルーノ。今コーヒーを淹れる」
「うん、ありがとう」

ポットにドリップ用の容器をセットして湯を注ぐ。気泡が混ざり合う気持ち良い音と共に、安物のではあるがそれなりに良い香りがした。
遊星はコーヒーを淹れる事に関してはあまり上手い方ではない。本人は丁寧にやっているつもりでも、加減というものがいまひとつ掴めなかった。そもそも遊星は旨いコーヒーを知らないし、大してそれを飲みたいとも思わなかった。遊星にとってコーヒーはカフェインを摂取するための飲み物である。

「ねぇ遊星、これなに?手紙…みたいだけど」

薄めになってしまったコーヒーをマグに注いでいた遊星が振り返ると、ブルーノが興味ありげに手紙に視線をやっていた。ブルーノは多少世間知らずな所はあるが、他人の手紙を勝手に開くほどではなかったらしい。
ああそれか、と返事をしながらマグを渡した。好奇心と期待が混ざったようなブルーノの視線に、遊星は片眉を下げて少し笑った。


「ただのファンレターだ」





クロウとジャックを起こしてくる、と言って二階に上がったものの、遊星はまず自室のドアを開けた。三人の中で彼の部屋は一番狭いが充分だった。いつも作業は下でするから、ベッドさえ置ければ問題はない。
遊星の部屋には、所々に落ちているネジだの何だのを除けば、ベッドと小さな机だけが置いてある。どちらも備え付けのものだった。机には申し訳程度の椅子もあるが、活用したことはない。

ガラリと机の引き出しを開けると、そこには所狭しと便箋や封を切られた封筒、あとは遊星には覚えのない自分の写真などが溢れていた。もうすぐこの引き出しは使えなくなるだろう。
遊星は今日の分を無造作に入れて、引き出しを閉めた。
中を一度も整理していないのもあり、奥の方で紙が詰まってしまっているようだったが、この引き出しが隙間程度に開きっぱなしになろうが中の紙が破れようがどうでもよかった。読み返すような事もこの先ないだろう。

ポケットに入れていた下着を取り出すと、丁寧にかかっていたアイロンはすっかり取れてシワだらけになっていた。遊星は特に何とも思わず、ベッドの方にそれを放り投げた。あれは今日シャワーを浴びた時の替えにでもすればいい。

遊星は大きく伸びをした。さて、二人を起こしに行かなければ。部屋の扉が音をたてて閉められ、僅かに開いたままの引き出しと一枚のトランクスがそこに置き去りにされる。

遊星の平和な朝は、今日もこうして始まっていく。




手紙の最後――『彼女』の熱烈な愛の告白は、今日も遊星に読まれることはなかった。













‐‐‐‐‐‐‐‐‐
end
2011.02.12



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