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夜は長い。
たったひとり、人知れず夜を眠らずに過ごすようになってから嫌という程そう思った。以前は作業を中断するのがもどかしくて、寝なくてもいい身体になりたいと考えた事もあった。今思えば随分と贅沢な、うらめしい望みである。


「はぁっ、はぁ…っ……」

粘着質な水音だけが静かな部屋に響く。昨日干したばかりのさっぱりしたシーツにぽたぽたと染みを作っていたが、あまり気にはならなかった。どうせ睡眠には使わないのだから。

月明かりも殆どない暗闇が、乾いた瞼の裏に浮かぶ夢想をさらに背徳的にさせる。なんだかもどかしくなって、中途半端にくつろげていたズボンを片手で床に脱ぎ捨てた。

浅ましい。きたない。
昼間に彼女に会って、あれだけの罪悪感を覚えて、それでもまだ惰性で快楽を追っている――いや、エスカレートして、いる。

左手に持つ柔らかなカーディガンを鼻に押し付けて、呼吸を少し整えてから一気に吸い込んだ。途端に脳内が、洗剤でも香水でもない、甘美な香りに犯されていく。まるで媚薬のようなそれに腰が痺れて、たまらずどろどろの性器をぎゅううと握った。これだけで達してしまいそうだった。

(名前の、匂い……名前の…)

彼女はこの生地に触れ、袖を通し、半日着ていた。そう考えただけでどうしようもない位に脳が沸騰する。

抑えるようにしていた右手を緩め、またゆっくりと上下に動かし始めた。はぁ、はぁ、と犬みたいに呼吸する開きっぱなしのだらしない口から唾液がたれて、綺麗な色のカーディガンに染みを作る。

気持ちいい。

(俺は最低だ…彼女ので、こんな、こんなに……)

そろそろ限界が近くなって、手の動きを早めていく。背中を丸めて夢中になっていると、柔らかな香りが掠めて、我慢できずにその布地を噛んだ。彼女のものに俺の唾液が染み込んでいくのを感じながら、それにもまた興奮して射精した。

吐精はだらだらとやたらと長く続いた。カーディガンに唾液のほかにも白濁をつけてしまったのがぼうっと視界に映る。


自慰によって眠れた症例もあるらしいが、俺には特に効かないようだ。






○月□日
彼女が忘れていったカーディガンで、した。最低だ。



○月〇日
色々と付着させてしまった彼女のカーディガンを、こっそりと下洗いしてから洗濯機に入れた。彼女はよく物を忘れていくから、洗濯物に混じっているくらい不自然じゃないだろう。まだ誰も起きていなかったおかげで、俺は人目も気にせず洗濯機の前で罪悪感に打ちひしがれることができた。これがもし誰かに知られたら、変態などと罵られても否めない。昨夜なんてとにかく夢中になって、結局二回もした。…若さとは恐ろしい。眠気を誘うという名目で、自慰が日課にありつつある。
昨日は頼み損ねてしまった「それ用の雑誌」を、恥を忍んでようやく借りた。クロウは少し笑いながら貸してくれたが、その時に「昼間からすんなよ」と言われた。冗談だとしても余計なお世話だ。
しばらくDホイールに乗っていない。感覚を忘れてしまう気がして不安にもなるが、今の状態で乗ったりしたら事故に遭うのは目に見えている…。久々にエンジンだけかけると、不機嫌にくすぶっているような音がした。
夜に雑誌を開いてみた。薄暗い部屋で見ると写真がぼやけて、ふと名前を重ねてしまってからの事はもう、思い出したくない。
追記
すっかり忘れていた洗濯機をさっきあけた。やばい。



○月*日
どうやらああいった柔らかい布地のものは、それ相応の洗い方をしなくてはならなかったらしい。そんな知識は男所帯に縁があるはずもなく、カーディガンをすっかりボロボロにしてしまった。…俺の罪過を象徴するようでいたたまれない。もうそれは、安っぽい洗剤の匂いしかしなかった。
ガレージの皆に謝罪と相談をしたところ、やはり買い直して謝るのが良いだろうということで、今日は滅多に行かない服屋に行くことになった。服(しかも女物だ)は全く分からないのでアキに同行してもらったのだが、何故かジャックも偉そうについてきた。暇だったようだ。
俺は同じ服を探そうと思っていたのだが、二人は違ったらしい。名前にはどれが似合うだのセンスが何だのと二人で始終討論していて、店員の気まずい視線は俺が一身に受けていた。
ああでもないこうでもないと言いながら、五軒目にしてようやく二人が納得のいくものが見つかった。俺でもつい頷いてしまうくらいとても彼女に似合いそうな、ライムグリーン色のシンプルで品の良いカーディガンだ。情けない事に手持ちが足りず一度は諦めたが、アキが自分も名前にプレゼントがしたいと言って半分も出してくれた。…有難かったのは確かだが、男として少し、悔しくなくもない…
とりあえずは、何時間もかけて選んだあのカーディガンを、彼女がまたガレージに忘れていかない事を祈るばかりだ。



○月▼日
渡したいものがあると朝食を作りながらメールをしたら、名前はすぐにやって来た。いや、もしかするとメールは見ていないかもしれない。ともかく本当にすぐ来たのだ。
どうやら徹夜で仕事をした帰りで、道中に限界がきていたらしい。朝の挨拶も禄にせず、彼女が口を開いてまず言った言葉は「ごめん、ベッド貸して」だった。時間は早朝で、例によって三人はまだ夢の中で、つまりベッドは俺のしか空いていないわけで…必然的に俺のベッドを貸すことになる。ふらふら歩き目をこする名前の手を引いて部屋に誘導しながら、内心かなり焦った。あの雑誌はベッドの下に隠してあるはずだからいい。問題は、シーツに不自然な染みが残っていないかとか、昨日のした分の名残の匂いがついていないかとか、そのあたりだ。
しかし杞憂で終わったようだ。名前は何も気にせず、部屋に入るなりベッドにダイブして、二秒後には寝息をたてていた。相当疲れていた様子で、安堵すると共に少し心配もした。
昼食は珍しくガレージの皆が揃い、起きた名前も一緒に食べた。その時に服の事を謝り新しいものを渡したら、彼女は怒るどころかいたく喜んだ。俺も嬉しい。我が家の金欠の最たる原因がやたらと自慢げだったのは、あまり気にくわなかったが。

今夜の自慰は最高に昴った。
彼女が使ったシーツを身体に巻きつけて、たくさん匂いを堪能したし性器もすりつけた。想像の中で、彼女のなかに何度も出した。背徳はもはや快感でしかなくなっている。
精液まみれのシーツを見ながら、ふとさっき思った事がある。
俺はもしかすると、彼女のことが、すきなのかもしれない。








*


窓の向こうの青空からも分かるように、今はのどかな昼下がりだ。クロウは配達で、ジャックはいつも通り。ブルーノは隣町までパーツを取りに行った。
つまり、俺は一人だ。

口内に溜まった唾液を飲み込んで、熱っぽい息をゆっくりと吐く。ソファの硬めの生地にすりすりと頬をよせると、手の中の自身が興奮に震えた。ここは、昨日名前が座った場所。彼女はスカートだったのも覚えている。

訪れる射精感に素直に従い、扱く手を早めると呆気なく達した。はー、はー、と荒い呼吸のまま精子がべっとりと付いた掌を見ると、昨日しすぎたせいか量はあまり多くない。ティッシュで雑に拭って丸めたものを投げると、すとんとゴミ箱に入った音がした。

―――どうかしている。

萎えたものを無気力にしまって、ソファに全体重を預けるように力なく横たわる。ここも後で拭かなければ。

いつまでこんな生活が続くのだろう。眠ることなく、常にどこかがうつろな頭で、快楽に溺れて自分を慰める日々が…。いっそ思い切りそこに沈んでしまいたいとすら考えてしまう。この空っぽの状態になると、何もかもどうでも良くなる。なってしまう。

陽が眩しくて、仰向けになり腕を額に置いた。静かに瞼を下ろすと、洗濯機がまわる低い音が耳に入ってきた。今洗われているシーツは、夕方にはきっと綺麗になって出てくるだろう。


ああ、こうしたまま眠ることができたなら、どれだけ幸せだろうか………






溶けるようなまどろみの中で、ギィとガレージの扉が開く音が聞こえたかと思うと、遠慮がちに静かに閉まったようだった。…夢?これは、夢か?ならば、俺は今眠っている?そうか、俺はやっと、寝ることができたのか……

誰かが階段をゆっくり降りている。俺に声をかけた。寝てるの?、と言った。この声はよく聞き覚えがある。


名前。


肩を優しく揺すられて目を開くと、仕事が忙しいはずの彼女が微笑んでいた。やはり、夢か。こんなに暖かい夢が見れるなんて幸せだ。彼女が着ている淡い緑の服が、よく似合っている。

緩慢に上体を起こして、ぐいっと彼女の腕を引いた。そのままソファに抑えつけると、弱いスプリングが酷く軋んで鳴った。名前が驚いた顔で何か言った気がしたが、俺は構わず、いつものように彼女に覆い被さる。




夢とは思えないくらいに、彼女はとても煽情的な香りがした。












‐‐‐‐‐‐‐‐
end
2011.02.21



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