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*現代パラレル
漫画版弟(17)/アニメ兄(19)






正直、見ているだけでも良かったんだ。
同じクラスにも関わらずあまり話したことはないが、ふと見えるあの笑顔に何度心臓が跳ねただろう。今日は挨拶できたとか、何回目が合ったとか、そんな程度の事で動悸が起こるオレは病気かもしれない。ましてや「おつきあい」なんて別次元の話なわけで……ほんの少し夢見ないわけでも、ないが。
いや、オレはけっして小心者なんかじゃない。ないといったらない。ただなんというか、こういう想いは密かに温めて育てるタイプなだけであって……

でもやはり、今自分におかれている状況は未だ信じがたかった。


「不動くん、重くない?」
「いや…大丈夫だ」

右、左、初めて二人分の体重が乗せられた自転車のペダルを勢いにまかせて交互に沈ませる。ある程度スピードに乗った車体はそれほどぐらつく事はなく、オレと苗字の体を順調に運んでいる。

オレの家に向かって。

「本当にありがとう、こんなに親切にしてもらって」
「……構わない。それよりしっかり掴まってろ、落ちるぜ」

風を切る音の隙間から無邪気な笑い声が聞こえて、腹のあたりに回された手が少し力をこめたのが分かった。
不動くんて、優しいね。
その言葉と、後ろから伝わる確かな体温に、オレはかぁっと頬が熱くなった気がした。馬鹿かオレは。聞こえなかったふりをして、腰を僅かに浮かせペダルを踏み込んだ。こまめにメンテナンスされた自転車は今日も好調なようである。



事の経緯はこうだ。
苗字は最近デュエルモンスターズに興味を持ったものの、デュエルを趣味とする人が身近にいなかったらしい。そもそもデュエルは相手がいなければつまらないし、ひとりで一から学ぶのも大変だろう。そんな中でオレがデュエルをやっているという噂を聞いて話しかけてきたというのが、今日の昼休みの出来事だ。
元々あまり人付き合いが得意なわけでもなく、苗字に話しかけられたというだけで心臓が硬直するような思いがした。多分うまくは話せなかった。正直会話の内容すらそんなに覚えていない。
しかしオレはあろうことか、戸惑いと嬉しさにかまけてつい言ってしまったのだ。

余ったカードならたくさんあるから、よければうちに来ないかと。


(…馬鹿だ……)
火照ったような頬を冷やす風に目を細める。オレには心地いいくらいだが、苗字は寒くないだろうか。さっき後ろでくしゃみをしていたような気がしないでもない。本格的な冬はこれからである、風邪でも引いたら大変だ。家に着いたらまず、暖かいコーヒーでも淹れようか。兄貴のように旨くはできないだろうが。

もうすぐ緩やかな傾斜に差しかかる。ここを真っすぐに下れば、小さな我が家だ。
ペダルから足を浮かせ、いつでもブレーキをかけられるように両手を緊張させる。
彼女がうしろで少し笑った。気がした。



アパートの裏にある駐輪スペースに自転車を止め、降りた瞬間に思わず溜め息をもらしたのは二人同時だった。

「…っはあ、すごかった!二人乗りって初めてしたけど、こんなにスリル満点だったんだね」
「…そうか」

いや、そうかじゃないだろ。何というかこう、大丈夫だったかとか、寒くなかったかとか、気の利いた言葉は言えないのか…

「二人分の体重で、自転車漕ぐの大変だったよね。ありがとう」
「いや…そんなことはない、オレは、その、…楽しかった」

オレがそう言うと、苗字は一瞬きょとんとしてから、「不動くんて面白いんだね」とクスクス笑った。ようやく自分の言ったことの意味が分かって、恥ずかしさに顔がみるみる熱くなる。それに気付かれないように俯いて自転車のキーを取り付けようとするのだが、手が少しかじかんでいるせいかもたついてしまった。
…いや、冷静になるんだ。考えてみれば、今この状況に何の問題がある。彼女を家に呼んだことに関しては下心もやましい動機もないはずだ。たぶん。それはまあカードを二人で見ていたら偶然に手が触れ合うかもしれないし気がついたら顔が近かったりするかもしれないし万が一もしかしたら彼女がオレにずっと秘めていた想いを

「…二階だから階段を上る。こっちだ」

オレは邪念を振り払うように、部屋に向かう階段を登った。


それにようやく気が付いたのは、鍵を差し込んだ時だった。
(……?)
鍵が開いている。
一体どういう事だ。せわしなく波打つ心臓の音が聞こえる。鍵の閉め忘れか?いや有り得ない。でもそれじゃあ、馬鹿な、今日は確か仕事でいないはずなのに…

「不動くん、どうかした?」
「…いや」

呆れたことに、下に止まる赤いバイクも浮かれていたせいで見えなかったらしい。鍵を引き抜いてポケットに突っ込む。
落ち着け。兄貴がいたところで何も動揺することはないだろう。冷汗と嫌な予感は気のせいだ。
それよりも苗字を待たせるわけにはいかない。オレは意を決して、扉のノブを回した。

「…、兄貴」
「……ん?ああ、お前か」
「えっ、え?あれ?」

開けてすぐの玄関で、兄貴は靴を履いていた。作業着を着ているところから察するに今から仕事場に行くのだろう。苗字がオレ達を交互に見比べながら驚いているようだが、無理もない。オレと兄貴は顔だけはよく似ている。あと髪も。あまり似ているので双子と間違われるくらいだ。

「これから仕事か?」
「ああ、少し長く休憩を貰ったから一度帰ってきたんだ。…それより、まず言うことがあるだろ」
「……ただいま」
「おかえり」

大人の余裕(これでも二つ違いである)と言わんばかりの微笑みが、これほど憎たらしく思われたことがあっただろうか。兄貴がトントンと靴先で軽くコンクリート鳴らして、工具箱を手に取る。着慣れたツナギはいつ見てもよく似合っているし、様になっている。オレが着てもこうはならないだろう。

「そろそろ帰ってくるかと思ってココアを作っておいた。今温めればすぐに飲めるし、二人分はくらいはある」
「分かった」
「ん?」
「…あり、がとう」
「ああ」

狭い玄関ではすれちがうのもやっとだ。通りやすいように壁際に寄ると、兄貴に「お客さんがいるのに悪いな」と頭をぽんと軽く叩かれた。もうさっさと行けばいい。
ともあれ、これでもう邪魔はいなくなった…と、思ったその時。

「…、君」
「えっあ、はい」
「少し動かないでくれ」

兄貴が苗字の前で立ち止まった。ただでさえ狭いのだから二人の距離がやたら近いのも自然と言えばそうかもしれないが、名前の顔が真っ赤になっているのはたぶんそのせいだ。離れろと言いたいがそんな空気でもない。
兄貴の手が苗字の耳元近くに伸ばされる。彼女がぴくっと反応するのにも大丈夫だと低音ボイスでたしなめて、その髪をやさしい手つきで梳いた。

「埃だ」
「あ…どうも、ありがとう、ございます…」
「いや。散らかっているだろうが、ゆっくりしていってくれ」


扉が閉まると、外から流れ込んできた冷気が足元をかすめていった。突然訪れた沈黙が、再び妙な緊張を連れてくる。
ぎくしゃくし始めた空気を打開すべくまずはきちんと部屋に上がってもらおうと口を開きかけたが、彼女の言葉が先だった。

「不動くんて、お兄さんがいたんだね。知らなかったよ」
「…ああ。学校であまり話題にもしないからな」
「そっか。…あ、あのさ、お兄さんはどんなお仕事してるの?」

――思いきり、ハンマーで殴られたような衝撃が頭に走った。デジャヴ現象のように、兄が誉められ自分がそれを見る感覚を思い出す。そうだ、当たり前じゃないか。オレは何を期待していたのだろう。
この、普段は人の目を見て話す苗字が、少し俯きながら話す姿を見て。気付かない奴がいるだろうか?
嫌な予感だったものはハッキリとした形を成し、まるで嘲笑うかのように体中を這い回る。ずるずると。重たく、重たく。

「…エンジニアだ。バイクが専門で、近所にある店に努めている」
「へえ、バイクかあ。かっこいいね!」

初めて見た彼女の“そんな表情”は、兄に向けられたものだった。



遠くで、バイクが遠ざかっていく音が聞こえる。














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