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遊星はよく分からない奴だ、何を考えているのかいまひとつ掴めなくて奇妙な感覚を覚える時さえある――そんな事をあいつが、今ではお偉いキング様とやらがそういえばいつだったか言っていた。そうでなくとも伊達に長い付き合いをしていないわけだから、遊星がそういう人間なのは何となく知っているつもりだ。理解しているかどうかは別としても。というか、遊星は無口な方だが手先は器用だし気も利くいい奴なんだ、基本的に。

久しぶりに見かけたラリーに遊星の近況を聞くと、少し肩をすくめながら「大丈夫だと思う」と答えが返ってきた。この頃どうも体調がおかしいらしいと風の噂で聞いていたものだから心配していたが、無事でなによりだ。

ただ、名前がさ。
唐突にその名前を出されて、自分でも何かが胸につかえたのが分かった。どうして、そこで名前が出てくるんだ?強張った表情を誤魔化すように笑っても単純な頭はいたく正直で、話の後に残ったのは教えてもらった事実と言葉にしがたい不安感だけだった。

そうか、最近あいつが来ないと思ってたら、遊星のとこにいたのか。






「…クロウ!久しぶり」
「よぉ」

昔は電車が通っていたらしい線路や砂利道をがしゃがしゃ音を立ててホームへ歩いていると、名前がひょっこり顔を出してきた。

「あらクロウくんたら、見慣れないマーカーが新しく付いてるわねぇ。今の流行りなのかしら?」
「ぁ、う……まあ気にすんなよ」
「身長も随分とお伸びになって」
「厭味かそれは!」

たわいなく話しながらホームに上がると、名前が間近までつかつかと迫って俺の真正面に立った。口元は笑っている、けど、その目はやめてくれ。

「な、んだよ、顔が近…っい!」

瞬間、瞼の裏で星が弾け飛んだ。デュエルに鍛えたらしい指の力で繰り出されるデコピンはかなり痛い。名前は怒った時によくこれをつかう。

「ってぇ〜…おい、久しぶりに会ったんだしよ、もう少しこう」
「ばかじゃないの」
「、は?」
「ばか、クロウのばか」

知らない間にこんなの付けてこないでよ。名前は小さな声でそう言って俯いた。
唇を噛むのは悲しい時。小さな時からこいつの癖は何でも知ってる。しかし、だからといって対処がうまくできるわけじゃない。謝る言葉を探っても探っても、名前にはいつだってそうだった。

「悪かったって、もう付けねぇから。これ以上やったらモテなくなっちまうしな」
「ばか」
「へいへい知ってるよ」
「…元々モテないくせに」
「るっせ」

ガキ共にするみたいにわしゃわしゃ髪を撫でると、名前はそっぽを向いてもう一度悪態をついた。ある程度は予想していたけど、これほどとは思っていなかった。嬉しいんだか悲しいんだか。

「だからさ、そういう顔すんなよ。んな面が見たくて来たんじゃねえし」
「……ん」
「あとさ、最近うち来てねぇだろ。遊星の事もあるだろうけど、たまには顔見せろよな」
「…うん、そうだね」
「あ、いやほら、ガキ共が会いたいってうるさいからよ…俺は別に、」
「あはは、分かってるよ」

細ぇ。
口元に指をあてて笑う名前の手首は、以前よりも色白で痩せているように見える。でも、何でだよどうしてだよ、と質問する事をどうしてか頭は避けていた。こんな時は臆病丸出しで聞けやしない。だって、まともに食っていないとか、そんな理由もあるかもしれないけどそれだけじゃない。そう、名前はまるで、
遊星に吸い取られてるみたいなんだ。


「…でも、やっぱり伸びた」
「へ」

ごちゃごちゃ考えていたせいて、つい何だか間抜けな声が出てしまった。慌てて視線を合わせたけど、何か気付かれた様子はない。

「身長。なんだかんだ言ってクロウも一応成長期なのかなあ。昔は私の方が高かったのにね」

名前は楽しそうに笑って、身長差を測るように手を行ったり来たりさせてから、そのままさっき俺がしてやったみたいに俺の髪を撫でつけた。突然の事にかああと顔を熱くなって、とにかく無性に恥ずかしくて、お前こういうのやめろよなと腕を掴む。やっぱり細い。それでも名前は、人の気も知らないまま相変わらず憎めないニコニコ顔で。くそ、馬鹿はどっちだよ。

引き寄せたのは殆ど衝動的なものだった。無意識だったのに、ちょっと力を込めれば簡単に折れてしまいそうな腕の扱いは丁寧だ。名前は目を見開いて小さく声をあげたが、一番びっくりしているのは俺だ。ああ、やっちまった、つーかどうしろって言うんだよ、心臓が勝手にばくばく鳴って俺を置き去りにする。胸元にかかる体重がなんかもう一杯一杯だ。なあどうしてそんな顔、あーもう分かんね、それより早く手を放せって、

もしこんなところを


「―クロウ、か?」

頭が真っ白になるってのはこういう事か。サーッと何かが急に引いていって、混乱した中でも咄嗟に体を離した行動は多分正しい、と思われる。ざりっと塵だらけのコンクリートを歩いてこちらに来る足音の方を向けば、予想するまでもない声の主がいた。

「あ…よ、お、遊星」
「ああ。久しぶりだな」

遊星は穏やかな笑みで拳を出した。それに応じて、こちらとしては若干ぎこちない「いつもの」挨拶をする。遊星に対してこんなに気まずい思いをするなんて初めてだ。おそらく、ちらっとでも見られていた。

「誰かが来たのは分かっていたんだが…作業から手が離せなくてな、すぐに顔を出せなくてすまなかった」
「いや、別に気にしてねえし…あ、その、どうだ?調子は」
「いつも通りだ。エンジンが相変わらず上手くいかなくて詰まっている。パーツも不足気味だしな」
「そ、っか。体調は、」
「心配ない、名前のおかげですっかり良くなった」

確かに遊星の顔色は体調が悪いそれではなく、本当に、貼り付いたような"いつも通り"だ。でも何だ、この違和感。この隔てるものはなんだ。
昔から時々感じてきたあれが、今になって生々しく襲いかかってきている。

「それで…なにか用でもあったのか?」
「や、近くまで来たからちょっと寄っただけだ」
「そうか、わざわざありがとう。もうすぐ日が暮れる頃だ、外まで送ろう」

遊星はそう言うと、椅子にかけられているジャケットを取りに行きながら名前に手招きした。やって来た名前の肩に片手を置いてなにやら耳打ちした、その時、
僅かに跳ねる肩と、そこのあたりに色付く赤い跡が見えた。


「じゃあクロウ、またね!」

私もそのうち行くから、と手を振る名前に、申し訳程度に笑って手を振り返すのが精一杯だ。
名前が来るのは、たぶんずっと先になるんだろうな。そんな予感が、どこか確信的に頭をよぎった。





「言いたい事があるなら言えばいい」

前を歩く遊星が、ちらりとも振り返らずに言った。いきなり直球を投げられて思わず足を止めそうになったが、なけなしで動揺を悟られないように歩みを進め続ける。そうだ、こういう時。口にしてはいけない気がしてつぐんでいる事も、遊星はあっさり見破って踏み込んでくる時がある。

「な、んだよいきなり」
「あるんだろう」
「あー…いやだからさ、なんつーか野暮だけど……お前あいつのこと」

地上に向かう階段を上っていた目の前の足が止まって、遊星が俺に向き直る。

「それを肯定すれば、クロウは俺を許すのか?」

逆光のせいで、遊星がどんな表情をしているのかはっきりとは見えない。ただ静かに冷たい声がコンクリートに僅かに響いて、そこに吸い込まれていった。
ごくりと唾を飲み込んだと同時に、背中にひやりとしたものが伝った気がした。

「…許すとか許さないとか、そういう事じゃねえだろ」
「そうだな」

遊星はふっと笑って、再び光の方へ歩き始めた。階段のせいでそう見えるだけじゃない、こいつも…いや、俺よりも成長期真っ只中らしい。また随分と伸びやがってまあ、と心の中で苦笑いしていると、遊星が遠くを見つめるようにぽつりと呟いた。

「ああ、確かにそうだ」



見上げた空は厚い雲に覆われている。少し前までは晴れていたはずだったが、これはどう見ても一雨きそうだ。もちろん傘なんて都合の良い物は持っていない。

「…クロウは、」
「ん?」
「クロウこそ、どうなんだ。名前のこと」
「はあ!?」

じゃあまたな、と言いかけた所にまさかの不意打ちが来て、思わず動揺しまくってしまった。えぇ、つーか、遊星がこういう話を持ち出してきた事なんて俺の知る限り今まで一度だって、ない。
何なんだ一体。
俺があたふたしながら言葉を探していると、遊星がははっと柔らかく笑った。

「まあ、ずっと昔から知っているけどな。野暮な質問だった」
「お、お前なあ…」
「それに、どうでもいい事だ」
「……、?」

どうでもいい?
意図が理解できなくて呆然とする俺も介さず、というか視界にすら入っていないかのように、遊星は薄い笑顔を浮かべたまま口元だけ動かして話を続けた。

「だってそうだろう。クロウが名前をどう思っていようが、それで何が変わるわけじゃない。クロウも名前も俺も、俺達の関係も。だからどうだっていいんだ、俺には」


(――こいつ、)
遊星は理解している事を話したんじゃない、ただ悪気なんて一切無く当たり前みたいに言い切っただけだ。それは分かっていても、何故だか昔から遊星の言葉は魔法のようで納得させられてしまう。誰よりも賢くて慈愛溢れる人間が言う言葉というのは、不思議と絶対的な力があるもんだ。

まぁそうかもなと頭を掻きながら曖昧に応えて、住処の方へ歩き出した。また来いよ、と後ろから聞こえてきて返事の代わりに手をひらひら振る。本当にそう思ってんのかよ、なんて冗談でも言えない。
角を曲がったところで、遠くで雷がくすぶる音が鳴った。今夜はきっと大雨になる。

(あー、ちくしょう)

許すとか許さねぇとか、勝つとか負けるだとか、そんな事じゃないと分かってる。誰も暗黙の了解を破ったりしなかったのだから。分かってる。
分かってはいるんだ。

湿気の匂いと頭のモヤモヤが気持ち悪くて、振り切るように走った。じきに、悪質な空気のせいで有害なものになった水滴が降り始めるだろう。


雨は、もうすぐそこまで来ていた。






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