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俺は知っている。
彼女は決して、誰かを拒絶することも不安から逃避することもしない。それが長い間知る彼女であったし、なにより彼女が今なおここにいる理由に他ならない。
それが名前の最大の美点であり、もっとも愚かな部分でもある。愛おしくもあったし、ほんの僅かに苛つくこともあった。要するに、そう何となく、嗜虐心めいたものがふつと小さく沸いたりするのだ。だからそんな時は優しく笑って頭を撫ででやってやり過ごしたりする。嗜虐心というのは、どこか自虐心にも似ているのかもしれない。


「遊星」

そういえばさっきから返事をしていなかった事を思い振り返ると、名前はほっとしたように憂いだ微笑みを見せた。俺の好きな彼女の表情のひとつだ。

「そろそろお腹空いたでしょ?ごはん作ったから…あ、でもその前にシャワー浴びた方がいいかな、煤だらけだよ」

見ると、手袋や腕はすっかり汚れてしまっていた。機械熱の暑さのせいでジャケットも着れず、汗もかなりかいている。何時間作業をしていたのか空腹感もあった。自分は生きているのだなという実感をふと覚えながら、素直に頷いて手袋を外した。

「ずいぶん顔色良くなったね」
「ああ。名前のおかげだ」
「私は…大した事はしてないよ」
「そんなことない。いつも有難う」

嬉しそうにはにかんでみせて、タオルを取ってくると言って踵をかえす彼女の肩口あたりに、髪の隙間からちらりと赤い跡が見える。
俺が名前に付けた跡。

瞬間、どろりとした劣情が頭をもたげて、横着そうに身体中に広がっていくのを感じた。こんな時は不意にあるものだ。こくり、と唾液を飲み込む。随分と陽にあたっていない肌に、それは良く映えていた。

まだ足りない。

「っゆ、うせ……!?」

彼女の手首を掴んで引き寄せ、空いている方の腕を腰にまわして後ろから抱きしめた。肩に顔を埋めて息を吐く。何とも言えない煽情的な香りがした。名前が息を詰めると同時に抵抗を示すように腕に力が入ったので、掴む手にかりっとやわく爪を立ててやったら直ぐに大人しくなった。

ちゅぷ、と音をたてて肩に口付け、そのまま骨格に沿うように舌を移動させていく。首の付け根を甘噛みしてから吸うと、彼女の肩がぴくっと反応した。

「…や、っ……」

またひとつ跡を作る。唇を離すとそこが唾液に濡れているのが淫猥で、たまらず同じ場所に舌を這わせた。彼女の血を啜っているような錯覚を覚える。

(…やらしいな)

こんな、汚い感情を以前から抱いていなかったわけじゃないが、それで彼女を汚してしまうつもりはなかった。でも本心では汚してしまいたかった。こんなにきれいな名前を。
力の抜けた手に指を絡める。首筋を舐めあげて耳まで到達すると、そこに舌を差し込んだ。ずぷっと空気と唾液が混ざる音がする。中をかき混ぜるように動かして名前を煽ると、彼女は熱っぽく息を吐いた。

「名前」

唇を寄せたまま囁くと、その小さな体は身を震わせた。
こういう時は何と言えばいいのだろう。好きだとか愛してるとか、そんな安っぽい愛を囁けば、こんな汚い感情や行為は正当化されるだろうか。

「…俺は、恐いんだ」

そうじゃない。必要なのは、彼女の心に突き刺さってこびり付くような言葉なのだ。

「君が離れていってしまいそうで……」

名前がか細く、吐息まじりの声をあげた。耳元で言った言葉のせいなのか、服の下をまさぐって脇腹を撫でた手のせいなのかは分からなかった。名前。名前。名前。きみはきれいだ。どんな俺でも受け入れようとしてくれるから。
気が付くと自分の息も上がってきていた。心臓の音が波打っているのも分かる。はー、はー、と落ち着かない息を整えようとしたが、そういえば彼女に言い訳なんて要らなかったなと思い出して、俺は欲のまま名前ごと床に倒れ込んだ。



俺は知っている。
彼女は決して、俺から離れていったりなんかしない。






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