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彼には、きっと薬が必要なのだと思う。なにか彼の欠けてしまったものを埋めるために。
でも私には、それが睡眠薬なのか、栄養剤なのか、時間なのか、誰かの温もりなのか、分からないのだ。
それを探すという行為が、彼を救うことになるのかさえ。


「遊星」

背中に呼びかけても返事はない。だからもう一度呼ぶ。またもういちど。それでも聞こえるのはかちゃかちゃという作業音だけだった。これだけは分かる、彼が今していることは薬にはならない。

「遊星ーー」

後ろから両頬を軽くつねってみた。以前していた他愛もない行為もわざとらしいと自分で思う。何も変わっていないと思いたいだけなのだ、私は。

「返事、してよ」
「…すまない」

遊星がふと振り向いて、手袋を外した手で私の頭をくしゃりと撫でた。寂しかったのか、と笑う。機械のせいか彼の手は温もっていてなんだか恥ずかしかったので僅かに俯いてしまった。
彼はたまにこうして、とてもとても優しく笑う。以前以上にそれがやさしいものだから、私はどうしたらいいか分からなくなってしまう。自分は嬉しいのか困惑しているのか、ともかく、彼が笑っているのなら今はそれでいいのに。
彼の幸せそうな笑顔を見るたびに胸のあたりがざわついて、意味もなく不安になるのだ。

「…腹が減ったな。名前、一緒に食べてくれるか」

言われて、固唾を飲んだ。
一緒に。それが意味するのは、食卓を共にすることじゃない。もう何日か経ったが、遊星はそれでしかものを口にしなかった。してくれなかった。そうしなければ食べられないと彼が言うから。でも確かに彼は吐いてしまうこともなくなっていたし、寧ろこうして自分から食事をするようになった。

「あ、……ぅ、ん」
「そうか。ありがとう」


私は、彼の薬になれるだろうか。





*



彼女は俺の薬のようだと思う。俺の欠落を埋めてくれるための。
それは睡眠でも栄養でも穏やかな時間でも温もりでもなく、彼女が与えてくれる薬は、ただ中毒性の塊のようなクスリなのだ。
ひどく心地良くて甘美な薬。


「遊星」

名前が俺の名前を呼ぶ。ちゃんと聞こえているし返事をすることは容易であるが、俺はそれを無視した。
そのうちもう一度、もう一度と次第にか細くなっていく声で彼女は俺の名前を呼ぶ。ああたまらないたまらない、口元が緩んでしまいそうだ。こんな風に、返事など貰えないと分かっていながらどこか俺を信じきっていて、可哀想に。優しくてあたたかい彼女は今日も自分を信頼してくれているようだ。遊星、とまた名前が呟くように呼びかける。今度は返事してやろうかと思ったけどやめた。もう少し彼女の声を聴きたかった。

「遊星ーー」

名前は俺の頬を抓りながら拗ねたような声を出した。もう諦めたのか、つまらないなと思わなかったわけじゃないが、その呼びかけが少し震えていたので満足した。
彼女は俺に返事をしてほしいという。当たり前か。すまないと謝って頭を撫でてやった。

「寂しかったか」
「…そういうわけじゃ」
「そんな顔してるぞ」

くしゃくしゃと名前の柔らかな髪を乱しながら笑った。なるたけ優しく優しく、彼女の心を掻き回すように。俺がこうした時の彼女の表情がこの上なく好きなのだ。一見はにかんでいるようでそれは不安と混乱を孕んでいて今にも泣きそうで、切なくて愛おしくて、今すぐ抱きしめたいような衝動に駆られる。
名前はきっと俺の中の平衡を失った部分を感じとっている。それはまだ漠然なもので口に出すこともなく、ただただぼうっとした懸念として心の片隅で引っ掛かっているのだろう。俺が悟られまいとしているから。彼女は無知でいいのだ、それで何の問題がある?それは名前の幸せでもあるじゃないか。

名前が涙が溢れてきそうな目を伏せた。きれいだと思う。一緒に食事をしてほしいと伝えると、彼女は期待を裏切ることなく頷いてくれた。多分もう俺は一人でも食べられると思うが、いつまでも慣れなくて恥ずかしがって、でも俺のためならと一心な彼女が見たくて仕方がないのだ。いやもしかしたら最早一人では食べられなくなっているかもしれない。彼女と共有しなければ受け入れることのない身体になってしまっていたとしたら。悪くないなと思った。


「今日もありがとう、名前」


優しくて愚かで穢れのない俺の薬。






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