私の母__エイラ・トゥーリア・レフトマキという人は、一言で云えば『理想の女性』そのものだった。優しくて、裁縫も得意で、聴き上手。強面の巨体の父__エサイアス・アッラン・レフトマキとは御見合いを経ての結婚だけど、娘である私からみても大変仲睦まじい。 私も、こんな女性(ヒト)になりたい、と思っていた。だから、許せないのだ。 母の最期に、私たち家族を裏切ったのだ・・・・・・! * まだ私が年若い頃、私はどうして母が父と結婚したのか、聞いた事がある。 こう言っちゃったなんだけど、父の外見はいつぞやか博覧会で見た熊の剥製みたいだ。髭がもじゃっとしていて、筋骨隆々のその姿は、若い娘はもとより普通の男の人だって近寄り難い。 母は不思議な顔をして、ちょっと苦笑した。 『そうねぇ……。悪い人に見えなかったから。かしら?』 『えー? 明らかに『四〜五人殺して来た』って顔してない』 『あらあら。貴女にそう云われちゃうと、あの人も落ち込んじゃうわねぇ』 くすくす、と忍び笑いを洩らす母は、言葉ほど悪いと思ってないようだ。 『じゃあ、お父さんが初恋?』 『違うわ』 そう断言するも、母は言い淀んだ。 『じゃあ、どんな人?』 『そうねぇ………………どんな人だったかしら?』 誤摩化すのと言い寄れば、母は困ったように笑った。思い出せないと、呟いた。その時の母の瞳が深くて、私はソレ以上、訪ねられなかった。まるで、知らない人みたいだった。 私は誤摩化すように、クッキーが食べたいと喚いた。そのまま茶会に流れた。 * 母が病を得たのは、下の妹に無事に跡継ぎの男の子が生まれた後だ。母は無事に私達姉妹に跡継ぎとなる男の子が生まれた事に、随分と喜んでいた矢先だった。 最初の症状は何だったか……。確か、食欲が落ちた所だったかな。元々、食があまり太い人ではなかったけれど、目に見えて減った。そう程なくして、寒気がするからと部屋で寝込む事が多くなった。 掛り付けの医師はもとより、父の伝手で王都の有名な医師を呼んだ。それでも進行はやや緩やかになるだけで、どんどん弱っていった。言葉にされなくても、母は死んでしまうのだろう。医者の堅い表情が私にそう教えた。 医者は私達家族に、『今夜が____』と言った。そんな気配を既に感じて、嫁に行った二人の妹達を呼び戻しておいた。 母の周りに、皆が集まった。父は祈るように母の手を握っている。 ____もう一度だけでいい。もう一度、目を開けて欲しい。 そんな切なる祈りを神は聞き届けたのだろうか。母はゆったりと瞼を奮わせ、ゆるゆると目を開けた。それから私達一人一人の顔を覗き込む。まるで別れを告げるように。 そして、視点は出入り口の方で、止まった。長い長い静寂に、母の最期の言葉が零れた。 「あいしているわ____ティノ」 それだけ言うと母は息を引き取った。 母が死んだ事に涙しつつも、私の心に困惑が凝る。母は最期に『ティノ』と言わなかっただろうか。父の渾名か愛称かと考えたが、父の名前はエサイアス・アッラン・レフトマキ。『ティノ』なんてまるで擦りもしない。 粛々と葬儀の準備の中、どうしても気になってしまい、妹達に訪ねた。母は最期に『ティノ』と言わなかったか、と___。 どうやら私の聴き間違いではないそうだ。現に父はあれから独り部屋に籠り、次々にワインの瓶を飽けている。 「ねぇ、『ティノ』って誰かなぁ」 「さぁ、少なくとも私達は知らないわ」 『ティノ』なんて男にでも女にでもありそうな愛称だ。そう言葉を濁す私に、おずおずと推測を続けたのは一番したの妹だった。 「今際の際に残すぐらいだから、たぶん……男の人だよね?」 「…………この話は辞めにしましょう」 「そう、ね……」 これ以上のことなんて、考えたくなかった。それはつまりは、母の裏切りでしかないのだから。 * 淡々と葬儀は済んだものの、どこか屋敷の空気が淀んでいる気がする。女主人(はは)がいなくなったからか、それとも不貞が発覚したからか。 父はあれから、酒浸りだ。それは母が没したことよりも、母の裏切りのせいだろう。あんなにも、鴛鴦夫婦な両親は本当は心など、通わしていなかったのかもしれない。 いや、貴族の婚姻なんて、概ねが家の都合だ。パイヴォも、私ではない誰かを愛していたのかもしれない。ただ、一族の都合で選んだだけ。鬱屈とした感情は、私の中に苦みを残しながら沈んでいった。 ただ一つだけ願いが叶うのなら、時が早く早く過ぎ去れば良い。 酷い母(ヒト)なんて、過去に置き去りにしてしまいたい。死者は変われないけれど、生きている私たちには明日があるのだから。 150813 なろう掲載 160508 転載 戻る |