あなたは、なんて酷いヒト!!



 眠りは死に繋がっている。

 私にそう教えてくれたのは、誰だったかしら。ぼんやり重くなる瞼をなんとか押し上げて、私の手を握る夫や半泣きの娘達と孫達を目に焼き付ける。

 泣かないで。私は充分に生きたわ。

 見合いだったけど、不器用で優しい貴方と結婚して幸せだった。息子には恵まれなかったけど、娘は生まれたわね。娘達の婿はみんな良い人ばっかりだったわ。初孫は男の子だったわね。孫は良かった。叱らないでいいんだもの。可愛くて元気で、ころころしていて、温かい。友人にも恵まれたわね。お転婆な私を時に嗜めて、一緒にお茶するの大好きだったわ。

 一人一人、顔を視る。夫と子供と孫に囲まれて逝けるなんて、幸せ者ね。夫からベットの近くの人の顔を視る。夫や娘の家族の顔の中に、ふと見知らぬ人がいることに気付いた。誰かしら。

 瞬きに充たない一瞬の永遠。その人の目が合った。目の色なんて見えないはずなのに、私の中の何かが、その瞳は深い深い冬の夜の色だと告げる。

 ___パチン。

 弾けた。そして、津波のように私の意識を呑み込んだ。




 *




 わたしは、エイラ・トゥーリア・アラネン。アラネン子爵の四番目の娘です。メイド曰く、とても遅くに出来た子だって。上の二人のお姉様は既に嫁いで、アラネン家を継ぐ一番目のお兄様にこの春、お嫁さんが来るんだよ。義姉様と、仲良くなれるか心配だなぁ。

 アラネン家はとても田舎にある。王都までは父様曰く、『一ヶ月も掛かって大変だ』と愚痴っていた。お姉様は『こんな田舎から早く出て行きたい』と、わたしによく言う。王都には行った事がないので良く分かんないけど、わたしはここが大好き。

 わたしの遊び相手は、森の樹々や小川。母様曰く、『下々の者と遊んではなりませんよ』と聞き飽きるくらいにわたしに言う。『貴族の一員としてしっかり自覚をしなさい』と続くんだよね。屋敷自体も町から外れた所にあって、わたしには、一人も友達がいないんだ。

 優しくて、穏やかな日常に異質なモノが混ざったのは、わたしが八つの誕生日を迎えた日だった。誕生日と言っても、ちょっとばかり夕飯が豪華になる程度にしか認識してないから、わたしはいつものように外へ遊びに行った。

 いつもの森。いつもの小川。なのにどうしてかな。何かが可笑しい。わたしはその《何か》を探す事にした。冒険だね! ちょっとドキドキする。色々歩いて気付いた事は、わたしはどうやらある一定のラインを越えて森の奥へ行けなくなってるみたい。気がつくと森の入口の近くに戻っていた。生憎、今魔除けや導(しるべ)のお守りを持ってないんだよね。今日の探検はこれでやめて、次はもっとちゃんと準備しよう!

 父様の書斎からこっそりとお守りをゲットー!! 魔除けは父様が着けているのか、導しかなかったけど、仕方ないね。冒険の続きだよ! 小川を越えて、更に奥。ここはあんまり来ない。だって暗いんだもん。


「《導(しるべ)よ、導(しるべ)我らの探しモノへ向かう先を照らせ》」


 導のお守りは、わたしにまっすぐ進むように光の筋を作った。そうして辿りついたのは、森の主みたいな大きな木だった。わたしが十人いたって幹の半分くらいしかいかないんじゃないかな。そのぐらい大きくて、りっぱな木。

 幹肌をそっと撫でみた。ごつごつして、建てに細かく溝がある。幹沿いをぐるっと回っている途中で、虚
うろ
がぽっかりと空いていた。中は大人でも余裕で入れて寛げそうな程だ。


「………………何をしている」

「うっわぁ!?」


 陰気そうな男がぬっと出て来た! 真っ黒でじっとしてたから気がつかなかった!! 変な人かもしれない。目の前の男に精一杯注意を払いながら、後退しようとしたけど____。


「ぷぎゅっ!」

「…………ちゃんと見ないから、転ぶんだ」


 盛大に湿った苔で滑って転んだ。……いちゃい。涙目になりつつ見上げれば、さっきの人が覗き込んでいた。その男の人は真っ黒だ。木炭みたいに真っ黒な髪と目とローブ。肌は逆に真っ白で、父様のチェス板みたいな人だ。

 まじまじと見つめるわたしの視線に男の人は不機嫌に眉を寄せた。何この人、怖い。


「いたっ!」

「それでも塗っとけ」


 そう、言うと男の人はまた目を瞑った。間を置かずに、すぅすぅと寝息が聞こえる。もう、眠ったの? 男の人に投げ渡されたのは銀で出来た小箱で、蓋を開ければ鼻にツンと来る臭いがした。もしかして、傷薬? うっすらとした緑色のそれをちょっと指で掬って、擦りむいた所に塗る。変な色と臭いだけど、効果はすごくて、すぐに傷が治ったの!

 ……怖い人だと思ったけど、本当は優しい人なのかな? 眠ったその人を起こさないようにそっと入り口の傍に箱を置いて、わたしは後にした。

 今度、薬のお礼をしなくっちゃ。また、遊びに来る事にした。





「ティノ!!」

「…………また、来たのか不良娘」

「不良娘じゃないわよ! ティノはまた眠ってたの?」

「“眠りは死の安寧”なんだ。別にいいろう?」

「もう、縁起でもないんだから!」


 憂鬱そうな怖い顔をしているけど、唇を尖らせる姿は子供っぽい。わたしはあの日からティノの所によく遊びに来ている。もう出会ってから六年になるのね。

 ティノは本当に不思議な人。ずっと姿が変わらないけど、ティノが優しいことをわたしは分かっているから、全然怖くない。面倒くさがり屋だけど、色々物知りでティノから教えてもらった王都や遠いわたしの知らない国や動物たちの話はとっても面白いの! ティノはわたしの初めての友達で、……初恋の人。

 二番目のお姉様の残して行かれた小説と、同じだもの! こうドキドキするし、顔が赤くなるし! もっともっと! 一緒にいたくて、一緒に居られる事が嬉しくて仕方が無いの。

 ずっと、ずっと…………一緒にいたいな。


「今年でオマエ、いくつになる?」

「わたし? 今年で十二よ!」

「そろそろか……」

「ティノ?」


 ひとり納得顔で頷いて、すっと立ち上がった。ごそごそと鞄の中を漁ってから、わたしの方を振り返った。ずいっと左手を突き出して、わたしの手の平の上へ転がした。

 それはちょっとしたブレスレットだ。銀色の地肌が鈍く光を反射させている。表面のいくつかに宝石が埋め込まれ、肌の触れる部分に細かい模様が彫り込まれている。幅は細く、シンプルで可愛い。


「こ、これ! 貰って良いの?」

「餞(はなむけ)だからな」

「はなむけ……?」


 え、なに。ききたく、ない。


「お別れだ」


 いやだ! どうして、そんな酷い事言うの!?


「どうして!」

「オマエはもう十二になるんだろう? 十二と言えば農家や商家の娘ならば結婚を考え始め、豪商や貴族ならば女学院へと入学する。そこを卒業すれば、オマエも十六。結婚をしなければならない」


 ティノは淡々と事実だけを、真っ直ぐにわたしに告げる。ティノが言っている事は正しい。わたしが十を越えてから、お母様が外に遊びに行く私を咎めるようになったし、お父様は『そろそろエイラの為に女学院の手続きをせねばならぬな』と言っていた。

 女性である以上結婚をしなければいけないし、貴族の結婚は物語みたいに恋した人とできない。一番上のお姉様もその次のお姉様も、皆お父様が決めた相手だった。だから、わたしもそういう風になるのだろう。


「ティノ! わたしは貴方のことが____」

「____《口を閉じよ》」


 それでも、伝えたい。わたしの“はじめて”をみんな貴方にあげたいの。想いを伝えようとしたわたしの言葉を貴方は容赦なく奪った。


「賭けをしよう」


 ティノはそう囁いた。これからわたしは、ティノの記憶を失う。その記憶を取り戻せれば、わたしの勝ち。どんな時でも、どんな所にいても、どんな人といても、わたしを攫いに来てくれる。取り戻せなければ、わたしは永遠にティノを失う。

 本当に、酷(やさし)い人。勝っても負けても、わたしの方が満たされるだけじゃない。


「おやすみ、エイラ」


 そっとわたしの額に唇が落ちた。幼い子供を祝福すいるようなやわらかい口付け。薄れる意識は美しい黒曜石の瞳をただただ焼き付ける。忘れたくない。絶対、ぜったい、おもいだす……か、ら。




 *




 意識が回帰する。瞬きに等しい時間が、酷く長かった。

 わたしの人生は何だったのだろう。どこか物足りなさを感じながらも、極々平凡な人生だった。貴方の言った通りの人生だった。女学院へ行って友人を作り、御見合いを経て夫を得て、子供を産んで育てて。幸せよ。幸せだった。ただ、貴方が、ティノが、いない人生だった。その事に気付いてしまえば、なんと欠けたる生だっただろう!

 酷い。本当に、酷い。もっと早くに貴方を思い出したかった。あるいは思い出す事すらなく、死んでしまいたかった。

 変わらない美しい漆黒のわたしの唯一の人。どうか貴方を独り時の流れに残して死に逝くわたしを、許さないで。憎んでください。

 わたしは今際の言葉を口にした。


「あいしているわ____ティノ」


 そして、わたしの人生は終幕を迎えた。




150303 なろう掲載
160508 転載


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