たった一回の×××

「あのさ、人を殺したことはある?」


緩やかな初夏の昼下がり、日が散々と降り注ぐ暖かな、むしろ暑いくらいの部屋。ソファの上で首を傾げて微笑む少女は、唐突に呟いた。
僕は、そんな彼女に微笑み返して、いつものように彼女の長い黒髪に指を絡ませると僕はゆっくりと、肯定の言葉をとつぶやいた。

「あるよ。たった一回だけね」

「殺すときってどんな感じだった?」

少女に誘われるように、僕は最近では思い出すこともなかった、あのときのことを思い出していた。
殺すとき、とくに感慨もなかったのだが、あの骨を潰すような感覚、人間が潰れる小気味いい音、血の匂いが少しだけくせになりそうだった。
あんな一回の殺人で、自分の人生が狂うわけがない、そう思っていたのだけれど、それは間違いじゃなかったようだ。現に今、僕はまだ誰にも捕まらず、彼女とともに暮らしているのだから。
黒い髪に滑らかな白い肌。蝶の髪飾りに、金のネックレス。彼女は、美しい人だ。僕には釣り合わないほどに。
けれども、愛情だけは誰にも負けない自信があるのだ。それは彼女も認めていると思う。というのは、言いすぎかもしれないけれど。

少し、何だか嬉しくなってきてそれをごまかすように僕は言い切った。

「楽しかったよ、とても。そうだね、腹の底から笑えるくらい、かな。不謹慎とか言わないでよ? まあ、君がそんなことを言うわけないってわかってるけどさぁ」

「そうね……どんな殺し方をしたの?」

「素手で首を締めたんだ。ああ、そうだ。滴り落ちる血が、綺麗だったナァ」

白く細い首、爪を立てると血が滲んだ。
一筋流れる血、赤色の爪の跡が付いたその肌に、満足そうに息を荒げた。そんな光景をよく僕は覚えている。
だって、恐ろしく綺麗だったんだ。多分生きている中で一番綺麗な世界だった。反吐塗れでも、人間の出す液体がすべて出ていたとしても、死の瞬間に立ち会えるなんて機会、そうそうあるわけないのだから。

だけど、苦しそうな顔すら見せず、楽に死んでしまいそうだったので少しがっかりした。
予想に反して、首は僕如きの力でもすぐにひしゃげた。今まで何を食ってきたのだろうかと訪ねたくなるくらいだった。それとも僕の力が強すぎるのか。いや、僕はきっと一般的な力しか持っていないのに。
人間の脆さに酷く傷ついた気分になったのを覚えている。勝手に殺して勝手に傷ついているだけなのだから、とっても自分勝手な感情だとはわかってはいるけれど。
それ以上に、死体の処理に辟易した。燃やせばきっと匂いがするだろう、凍らせる場所はなく、落とせばもしみつかった時、面倒かもしれない。
それに、食べるなんて趣味でもない。

「そう、僕は考えたんだよ。骨は何とかなる。肉は……そう、肉はさ。どうにもならないだろう? だからさァ……肉がある場所に紛れさせたのさ」

どうせ、一般人なんて、ヒトの肉なんてみたことはないだろう?

彼女に笑いかけると彼女はそうだね、というように頷いた。

「紛れさせるのは簡単だったさ。適当に加工して持ってきゃ勝手に買ってくれるんだから。……それを買った奴らは趣味の悪いモノを食ったなんて知らずに今でも息を続けている……自分の身体の一部になったものがなんなのかすらもわからずにね……とても滑稽だと思わないか? 笑える……とても滑稽な話だよ!」

笑いながら机を強く叩く。机は凹み、僕の手には血が滲んだ。
それと連動するように、彼女は小さく震えた。

「ごめんごめん、驚かせちゃったね。……ああ、もうこんな時間かァ。……クスリの時間……だね」

彼女の脇においていた薬箱を取ると、彼女のあまりにも細い体にぶつかった。白い肌から黒い髪が落ちる。勢い立ててゆく真っ白な骸。

「僕にしては珍しいよ……クスリの時間を忘れるなんてね、医者のくせに…笑えるね。だから、喋るはずのない君が、喋ったなんて幻想を……見たのかな?」

黒いカツラを弄ぶ。磨き抜かれた人骨は、存在を主張するようにカラカラと音を立てた。

「あれからもう10年。……私を殺そうとした君の気持ちをさ……理解しようとしていろいろやってみたけど……やっぱり生きているときに聞いたほうが……よかったのかな? ……まあ、君は君が一番憎んでいた種族に喰われたんだ。それが君への罰だ……そして、自分を守るために君を殺したのが私への罰なら……神様はなんて理不尽な世界をお造りになったのだろうね!」

私は骸骨を持ち上げてキスをした。
思い出すのはただ二つ。

私の首を締めた彼の顔、私が首を締めた彼の顔。


「……私から忘れられないなんて君にはぴったりの罪さ。それより、君はなんで私を殺そうとしたんだい? やっぱり私は理解できないよ、ねえ、ねえ……こたえてよ、さあ。……その大きな口は、喋るためにあるんだろう?」

物言わぬ骸骨は、カタカタと音を立てるのみ。
諦めた私は、そんな君をテーブルの上に置いて、黒く長い髪を結ぶと、何事もなかったかのように、自分の職場に向かった。









捕まってはいないさ……永遠に、殺す(コロサレタ)ときの君の顔に捉えられてしまっただけで。
路地裏様に提出作品




prev|next


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -