有りの儘 | ナノ

有りの儘
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見上げる空は夏の色。一面のスカイブルーに白く大きな積乱雲が調和して、夏本番を物語る。目線を下に落とすと、そこに広がるアスファルトにはくっきり1人分の影が浮かんでいた。強い日差しは刺すように痛く、地面で跳ね返った熱気は茹だる身体から体力をも奪ってゆく。蜃気楼が有りもしない水溜まりをそこら中に浮かび上がらせ、風が潮の匂いを運んできても、嫌味に絡みつくだけで涼しさの欠片も感じられない真夏の炎天下、人でごった返す公園前入り口。

この場所に立ってから一時間が経過しても、あいつが来る気配は感じられなかった。地獄のアスファルトに立ち尽くし、気分は最低を通り越して絶望的。このまま更に時間を重ねれば逆に晴れやかな気分になれるのか。 そんな馬鹿な考えが頭をよぎるのは、道行く車が次々に吐き出す排気ガスが光と屈折する様を見てるからに違いない。ここで吐き出した溜め息の数は時計に目を落とした回数といい勝負だった。
願い虚しく時間が更に五分の経過を告げたのを確認し、溜め息混じりに顔を上げたその時になって、やっと遠くの方に彼女の姿が見えた。

来たかと安堵する反面、いつも通り、澄ました顔で、ゆっくりと。目が合ってもスピードを早める素振りすら見せないその歩みに怒りを覚える。この俺に平気で待ちぼうけを食わせ、連絡ひとつ寄越さなかった挙げ句、あんなに堂々と遅刻してくる女は初めてだ。あいつ、一体なんなんだ…ありえないだろ、って……は?

信じられない、なんだ、あれ…?


「…お待たせしました」

「おまっ…!待たせてる自覚があるなら歩いてくるな! そ、それに…その格好は一体なんなんだ!部屋着で外に出てくるなよ、これはデートなんだ、わかってるのか!!」

悪びれた様子を見せず澄ました顔で軽い口調。ムッときてツカツカと近づけば、後退りもせずそのままの表情で俺を見上げた。その態度よりもありえないのは、上下揃いのラフな服装でこの場に現れた事だった。

それは100歩譲ってスポーティー、譲らなければ部屋着にしか見えない。 俺は女がデートに遅刻するのは、それ相応に着飾っている時だと思っていた。やる気も何も感じられない格好に加え、詫びの言葉をにこりともせず言ってのけるその根性。つくづく思う、俺の常識はおまえの前で通用しないどころか、何の意味も成さないのだという事を…

「先輩、ただでさえ暑いんですから怒らないでください。それに、この間服装を考えてこいと言ったのは先輩ですよ?そして、部屋着ではありません、ごく標準的な服を意識したまでです」

その言葉で記憶が前回のデートまで一気に遡った。俺が今日こんなに待たされる羽目になったそもそものきっかけは、前回の待ち合わせの際に男にナンパされてる現場に遭遇したのが全ての―――――…


一歩遅れただけだった。遠目に姿を確認したのと同時に、見るからに軽薄な男が彼女の幼くもどこか雰囲気がある整った顔立ちに目を留め、まるで品定めをする様に下品な目付きで近づいていくのがわかった。話し掛けても無視されたのか、次に薄ら笑いを浮かべながら下卑た視線を胸元に向け、馴れ馴れしく腕に触れたの見た瞬間に怒りで全身が震えるのを感じた。だが彼女はそんな俺よりも冷静、かつ一枚も二枚も上手だった。
掴まれた腕を見て不快そうに顔を歪めた後、騒ぐわけでも追い払うわけでもなく男に一瞥をくれただけで黙っている。歯牙にもかけない態度にナンパ男があっさり引き下がっていく様子を目の当たりにし、挑む男の方が身の程知らずの馬鹿だと周りの奴らの視線もが静かに語っていた。

俺達の出会いは最悪で、印象も最悪なら態度も最悪。何もかもが最悪からスタートしたと思っていたが、あれでも口を利いただけまだマシだったんだと彼女のあの男への素気ない態度で明らかになった。よくここまでの関係になれたもんだと妙な安堵がいつの間にか怒る気持ちに掏り替わり、そのまま彼女に近づいて行くと、不機嫌丸出しだった顔は目が合った瞬間に一転。曖昧に浮かべた笑顔と瞳が今にも泣き出しそうな程に歪み崩れていき…、思わず息を呑んだ。


『先輩、黙って見てた癖に笑うなんて最低! もしわたしがあの人に着いて行ってもそんな風に笑っていられるんですか……?』

潤みながら揺れる黒く艶やかな瞳にしっとり睨め上げられて、脳の髄からグラっとくる。初めて俺に見せた女の顔は、普段の澄ました優等生顔とあまりにもかけ離れていて、この場では明らかに不謹慎でもそのギャップは俺には何もかも忘れそうなくらい魅力的だった。

『…待たせて悪かった、ごめん』

彼女の肩を抱いて引き寄せると、その細さにドキッとする。華奢な身体は触れると想像以上に柔らかく、ふわっと一気に満面の笑みを浮かべた彼女に俺はもう一度ドキリとさせられて、覚悟を決めた。

俺はきっと、今まで以上におまえの事しか考えられなくなるだろう、と―――――…


「ばっ…!俺はおまえが変な男に声を掛けられてたのを心配してそう言ったんだ!それに露出を控えろと言っただけで、どうしてそれが部屋着で遅刻になるんだよ、馬鹿!」

「そう、確かに言う通りです。でもあの時、次からは俺より遅く来いと言ったのは誰でした?それに、部屋着ではなく標準着と呼んでください」


相変わらずの澄ました顔、だが妙な色香を含む上目遣いで見つめられ、反論できなくなった。魅力的な大きな瞳を勝気に輝かせながら小さく微笑むその顔は、俺の心をかき乱し脳をも打ち抜いてゆく。

「ああ…、も、もういい!わかったから行くぞ。俺は一刻も早くこの場から離れたいんだ」

先に歩き出すと、小さな手が左側へと戸惑いがちに収まってきた。速度を緩め、指を絡めながら消え去りそうな言葉尻に意識をとられる。

「あの…先輩、これでも一生懸命考えたんですよ?けど他の男の目を意識しろと言われたって無理なんです、だって先輩の事、…」


大きなピアノの前でしか並べなかった小さな2人は、今は太陽の下で肩を並べて歩く事ができる。きっと、こうなる為に2人は出会ったんだ。 どんなにひねくれていても、どんなに振り回されようとも、胸の奥から堪えようのない懐かしくも愛おしい気持ちがとめどなく溢れてくるのは、おまえの一言がきっかけに違いないから。


「おまえ、今の言葉もう一度言ってみろ。『先輩の事…』から先だ」

「先輩、ピアニストとして耳が悪いってどうなんですか?」

「ばーか。俺の耳は特別だ。その証拠に、おまえの代わりに言ってやろうか?『先輩の事…』」

「き、嫌いじゃないって言っただけです。違います、そんなんじゃありませんから!勘違いしないでください!」

「ははっ…、おまえ本当に素直じゃないな、結局同じ事だろ。 よし、今から服を用意する。まずはその標準着とやらをすぐ着替えろ、話はそれからだ。いいな?」


繋いだ手に感じる温もりは、うだる暑さの中で不思議に心地よい。そこから伝わる想いは優しく甘く、真夏の太陽に負けないくらい眩しい。 不器用同士の本気の恋愛は時折すれ違い心を曇らせるが、うまくいかないならもがけばいい。その隙間から光を照らすのも、飾らず偽りのないあるがままの気持ちを互いが持ち続ける事が大切なのだと教えてくれたのも、やっぱりおまえだったんだ。

『だって先輩の事、好きだから』


The end.

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