Vol.3 カナリアと野良猫 | ナノ

カナリアと野良猫
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わたし達は似た者同士なんじゃないかって、密かにそう思ってた。放課後の音楽室で初めて出会ったあの日から。


はば学の噂の的。天才ピアニスト、設楽聖司。ピアノの腕は多分超一流。白と黒とを行き来させるだけなのに、その手にかかれば巨大な箱がカナリアのように美しく唄う。遊び飛び回りながら自由に動く長い指と紡がれる響きは、時に不愉快になるくらい余裕を感じさせる事がある。

見上げないと目線すら合わせる事が難しいすらりとした長身と、気難しそうだけどまあ…整った顔立ち、ファン多数。対してわたしは音楽的センスは皆無に近く、背も低いしごくごく平凡。一見すると余りにもかけ離れた2人の共通項を…先輩、あなたは知りたいなんて思わないし、興味すらないでしょ?


女の子達はみんな噂好きだ。右向けば‘設楽’左を向いても‘設楽’耳を塞ぎたくなるの、その名前を聞くと。みんな煩いよ……もう、なんて思ってた。

「おまえ…放課後来ると言っておきながら一体何なんだ。約束しておきながらすっぽかすとはいい度胸だな、馬鹿!」

そんな噂の張本人が、なぜかいきなりわたしのクラスに舞い降りた時、その全身には溢れんばかりの怒りのオーラを漂わせていた。


「先輩、わざわざ一年のクラスにそれを言うために来たんですか?……暇人ですね。それに約束をした覚えはありませんけど?」

黄色い悲鳴と羨望の眼差しに目もくれず、じっと一点だけ。わたしを見つめる怒りに満ちてもどこか冷たいその瞳は、この状況では明らかに不謹慎だけど綺麗だと思った。それでも表情は崩さず、素っ気なく座ったままでサラリと口にした言葉は、ますます天才の怒りを買い増長させるのもわかっていた。

「おまえっ…!ああ、もう……もういい、二度と来るな。大体、後輩のくせに頬杖ついて偉そうに…なんなんだ!いいな、絶対来るなよ、わかったな」

乱暴に言い捨てたその様子から、機嫌を損ねたどころか逆鱗に触れてしまったのががわかる。怒りを背負わせて帰っていく後ろ姿を目だけで追うと、その上履きがツカツカと上品に響いているのを聞いた。天才の手にかかれば持ち物までもが唄う事を知り感心した。瞬間、些細な事なのに胸を突かれ揺さぶられるのを無理やりこらえると、涼しい顔のままでため息と共に思いを吐き出したほろ苦い昼の時間は、ゆるやかにゆるやかに流れ過ぎていった。


放課後の静まり返る廊下を歩くのは、何もかもを悟っているような冷たい視線と唄う上履きの持ち主に会う為だった。途中、どんなに意識してもわたしの上履きがツカツカと響く事はなかった。あの人は上履きにプレートでも仕込んでるんじゃないだろうか。そうでもなきゃゴム底の上履きがあんな音色を鳴らすものか。現にこの上履きはペタペタと情けない音しか鳴らない、同じ物を使っていてもこんな風に差がでる。そんな考えが一瞬でも頭をよぎるだけで目的地へ向かう足取りは次第に重たくなっていく……


「先輩、明日も聞きにきていいですか?」

「別に。おまえの好きにしたらいいだろ」

「帰れ」「嫌です」から少しだけ進歩した放課後の廊下でのやり取りは、覗き見からの一歩昇格を狙い、期待して口にしている訳ではなかった。

忘れてたからじゃない。優しく甘く繊細なあの響きに酔いしれてしまったかの様に身体が芯から痺れ、癖になるあの変な感覚を急に思い出したら…行けなかったと言った方が正しい。

だって、癖になったら困る。まず別にファンでもなんでもない。そして本人にその自覚はないみたいだけど、下手な噂でも立ったら迷惑じゃないかと思って気を遣ってあげたんだ。そう、それだけの事。そんな自分勝手な言い訳を考えながら進む重たい一歩も、歩みを止めなければやがては音楽室の前にたどり着く。その瞬間を計っていたかの様に、タイミングよく繊細な旋律が響いてきた。


鼓膜を刺激するその音色に全ての思考を捉えられて包まれる。やっぱりあの人のピアノはどこまでもどこまでも美しいと…悔しいけれどそう思う。そしてまた小窓から顔を覗かせてしまうわたしは、一体どうしたいというのだろう。

輝いているのはピアノなのか、先輩の横顔なのかわからなかった。ただ、眩しく煌めく光の中で、白い指が白と黒の鍵盤を行き来して滑る。

目が合った瞬間、睨みつけられると思ったのにその口元に浮かんだのは珍しくも微笑みだった。弾いていたのは知らない曲だったけど、自由に音遊びをしているんじゃないかと思わせるような見たこともない優しい微笑みを浮かべるその様子は……


本当に、カナリアみたい―――


ピアノが鳴き、響き、そこからとめどなく流れでる美しい旋律。そして、キラキラと華やかな音を最後に響かせて鍵盤の上から手を離した天才が、ため息をついてから立ちあがりゆっくりと近づいてきてドアを開けた。


「おまえ…」

「先輩、上履きの底見せてください」

「はっ?なんなんだよ、いきなり失礼だろ。大体おまえは、」

「……言いにくいんですけど、ゴミが」

勝ち気で、いつも取り澄ました顔をしている天才が、わたしの一言にうろたえて上履きの底を確認している。その姿が妙におかしくて同時に何かくすぐったくて、小さく笑った。

「ふふっ…先輩、嘘ですごめんなさい。それから昨日の事も……ごめんなさい」


どうしてだか素直に頭を下げる気になった。笑いあう2人は天才と凡人ではなく、ただの先輩と後輩であればいい、なんて事を考えながら…

「…おまえは猫みたいだな。ツンツンしてて、気まぐれで、自分勝手だ」

「そうですか。…多分、猫は猫でも野良猫です。それから先輩の靴底がゴム製で安心しました」

「ゴム底以外の上履きなんてありえないだろ。おまえと同じ物だ、違いはない」


‘違いはない’その言葉を聞いた瞬間、わたしは初めて彼の前で心から笑えた気がする。この人が奏でる音色が好き。そして、こういう時間も悪くないと思った。


自分勝手なのは、カナリアなのか野良猫なのか。

正解は、両方。だってわたし達は似たもの同士なのだから。


The end.
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