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ゆりかごの詩


カーテンの隙間からこぼれる朝の光が一筋のラインになって、美奈子のベッドを照らしている。その腕に抱かれている小さな命を見つめる彼女の瞳は慈愛に満ちていて。一枚の絵のようなその光景は、息を呑むほど美しかった。

かけるべき言葉を見つけられずにいた俺に向かって、彼女はふわりと微笑んで―――、そして。


ごめんなさい、とだけ前置き程度に軽く謝罪を添えてから、あとはたまらないといった様子で盛大にふきだした。

「だけどあの時の聖司さんの慌てようったら…ふふっ!」

「し、仕方ないだろ。誰だって、あんな…」

夜も更けた頃になって、身重の彼女に「もう産まれる」と告げられたあの時を思う。おまえと同じように、ある程度の覚悟と心の準備はしてあったとはいえ、それはやっぱり男の俺にとっては突然のことだったし、青天の霹靂だったわけで。

「すぐ医師を呼ぶから待ってろ、いや待てやっぱり救急車だ! …なーんて叫んだかと思えば、最後には、だめだドクターヘリを呼ぶー!ですもん。わたしあの時はどうなるかと思ったんですから」

「言うな…思い出したくない」

「それから、携帯はどこだーっ!って叫んだときの聖司さんの顔!」

昔から、携帯というのが苦手だった。小さいし、薄いからよく無くすし、余計な機能ばかりがついたそれは、使いたい時に限って見当たらないときてる。
鞄の中味をばらまき、デスクの上に重ねられていた譜面を次から次へと捲り、隙間から携帯が飛び出してこないかと期待した。全てが空振りに終わった頃、床は譜面だらけになっていた。次に、服を手当たり次第に掴んでは、ポケットを裏返す。だが携帯はそれでも見つからなかった。

どこかで見た、この家で確かに。そして使ったのも覚えている。それは今日か昨日か、それとも。

曖昧な記憶を辿り、それを頼りに捜索を続けても、そもそも記憶に残るほど携帯をまともに使ったのなんて、前回の長期滞在でパリから美奈子にかけた国際電話が最後だった気がする。
あれはホテル備え付けの電話だったか、なんてどうでもいいことばかり逡巡しているうち、気づけば俺が放り投げた服が部屋の中に散乱し、山のように積み重なっていた。ソファーで休ませていた美奈子が思わずといった感じで立ち上がってしまうほど、それは凄惨な光景だった。


「だからあれは、最近の携帯が小型なのが悪いんだよ。…黒いし。それに、おまえが自分の携帯があるのに言わないからあんな事態になったんじゃないか」

「ふふっ!ピアノの上に置いてあったらわかりにくいですもんね!わたし、聖司さんがあんまり必死だったから、声かけちゃ悪いと思って黙ってたんですよ」

「じゃあ最後まで黙ってたらよかったんだ」

「まだ怒ってるの?勝手にタクシー呼んじゃったこと」

美奈子はからかうように、そう言った。肩を揺らして笑い続ける彼女の腕の中で、産まれたばかりの我が子は笑うどころか泣きもせずに大人しく寝ている。ああおまえはいい子だ、美奈子と違って。この騒ぎの中で眠っていられるなんて大した奴だ――、なんてことは言えないまま、心の中に留まっている。


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