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最上階から見下ろす景色はいつ見ても贅沢で美しい。夜景なんて特に素敵。世界屈指の高級ホテル、優雅な室内で私が不自由を感じることはまずない。
ソファーに掛けて、豪華な装飾の施されたローテーブルの上に置かれたフルーツの中からマスカットを一つ摘んで口に放り込んだ。
口一杯にひろがる甘さに目を閉じて浸る。
「名前…」
いつもながら一切の物音を立てずに彼、創一さんは部屋にいた。
『お久しぶりですね』
会いに来てくれる頻度はバラバラ、彼は神出鬼没だ。今だって本当に突然現れた。
ソファーから立ち上がって振り返るとスッと歩いてきて私の前に立ち止まる。そしてじっと顔を見つめてきた。
その時間が長いこと長いこと…どうしたらいいか、思わず戸惑って俯く。
「名前、だよね…?」
『えっ?』
突拍子のない質問に驚きつつも、そうですよと笑って返した。
「……甘い匂いがするね。何か食べたの?」
『創一さんも食べますか?』
フルーツに視線を移して一つ摘まもうとしたのだけれどその
動作は頬に素早く添えられた手によって遮られてしまう。
「僕は香りだけで充分だよ…」
至近距離で囁かれて、彼は口先で唇を啄み次第に深い口付けを私に与えた。
普段彼の感情を読み取ることは滅多に出来るものではない。けれど、うすら目を開けて窺った彼の表情は切なげに見て取れた。…単純に今の自分の気持ちがそうだから勝手に彼もそう思っていてと思い込んでいるだけかもしれない。
息苦しくももっと欲しいとさえ思えたキスは気紛れに何の前触れもなく途切れる。
「君を忘れる訳なんてないのにね…」
酸欠で眩む視界で首筋にチクリと痛みが走った。
『創一さん…』
「何…?」
『少しでもいいから…外出させてもらえませんか?』
「…それは出来ない」
『…っ』
「わかるでしょ…?」
『…ッ、っ、』
少しずらした場所でまたチクリ。
そしてカプリ。
「名前は外に出たらどうなるのかも学んだものね…?」
そう、学んだ。
私は学んだ。
『ごめんなさい…』
彼の記憶がどこか欠け始めていたのは薄々気づいてた。
それを感じ取ったのか、気づき始めた頃に彼は私をここに連れてきた。
忙しくても合間を縫って会いに来てくれたのもわかった。
嬉しくて、だから会えたときは沢山構ってほしいのに敢えて素っ気ない態度で私に恋しさを植えつける。
「いい子にしてるんだよ。…また来るからね」
ほら、もう帰っちゃう。
会える時間だって長かったり短かったり基準はなくて。
別れの挨拶に触れ合うだけの微かに鉄臭いキスを受ける。
策略家で残酷な彼はいつも部屋に鍵を掛けない。
私が出ていかないと、いけないと知っているから。
でも逸そ出ていってしまえばいいのに私自身も馬鹿だとは自覚してる。
彼が私を忘れてしまえばそれっきりなのに、どこかの忠犬のように帰らぬ飼い主を待ってここで一生を過ごすのだろう。
いつ消えてしまうのかわからない存在でいる不安の中で、世界一脆く贅沢な牢獄に主人を待って私は身を置く。
====MORE====
彼はまた来ると、癒えた傷の痕と痛む首筋の名残を愛おしく撫でた。
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猫舌乙女様へ
てぃ〜にゃです。ご期待の文とは少々方向性が違うかと思われましたが、 狂愛と感じさせぬ狂愛こそお屋形様だなと私は思い書きました。自覚しない内に浸かって抜けられなくなっている恐怖に浸っていただければ幸いです。
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