星のおじさま | ナノ
25
午後5時、約束の時間きっかりに仕事が終わり外へ出ると「彼」が待っていた。
「行こっか?」
然り気無く彼にちゃっかり手を取られて歩き出す。
ぽつぽつと街灯が灯り始めた街中を行く広い背中を見上げて名前は歩く。最初は黙ってついていたが、彼女はどうしても拭いされない不安に足は重く、腰が引けてきた。
手に重みを感じてきた彼は歩みを止めて少女に振り返る。
『これからどこに行くんですか…?』
名前は眉を下げて警戒心を露にし、ずっと言えずにいた質問を投げ掛けた。
「そこ」
淡々と答えた彼の指差す先にはバーの看板が見える。
「君お酒飲める?」
名前はふるふると首を振る。
「だよなー…。でも我が儘付き合ってよ?酒飲んでる間は俺の隣にいて」
容姿と行動も相俟って彼はさらりとキザなことをする。繋がれた手を優しく引いて少女をまるで一国の姫のように扱った。
『…それだけ?』
「それだけ」
言葉だけ聞いても男の箍は簡単に外れるものだと知っているから名前はやはり不安だった。だが逃げ出すわけにもいかない。彼は助けてくれた。自分に言い聞かせるように頷くと約束を果たすため、少女はバーへ向かった。
―――――――――
バーについて扉をくぐれば、少女は慣れない空気にしどろもどろ、想像していたのは廃れた酒場であって、180度真逆の雰囲気に面食らった。
そして名前はウェスカーに服を買い与えてもらったことに心底感謝した。
落ち着かない中、少女はカウンター先の一番端の席に連れていかれて座る。
『!』
いつの間に彼はウォッカのロックを、名前にはどう見ても色鮮やかなカクテルを差し出した。
「ノンアルコール、雰囲気だけでもどうぞ」
名前にとってマジックのように瞬間的に差し出されたように思えたそれは、彼女がキョロキョロしているうちに彼が手際よく頼んでいたらしい。
未だ怯える名前に彼はグラスを渡して乾杯する。
「遅くなったけど自己紹介、俺はピアーズ。君は?」
『名前です…』
少女はピアーズにじっと見つめられるも、その視線には不快感も下心も見られないので、どうしたものかと見つめ返すことしかできない。
「…可愛いな」
名前はボッと不意の一言に顔を赤らめた。面と向かって口説かれる耐性などない、ピアーズはグラスを傾け酒をたしなむ。この読めない男、彼女の人生史上恐らく初めて会った人種である。
『……そんなこと言われても私…、…セックスできませんよ?』
「っ!?」
『大丈夫ですかっ!?』
ピアーズは衝撃的一言に噎せた。
「い、いきなりすごいこと言うねっ…」
『ごめんなさい…』
「いや、いいよ。いい。確かにそういう流れになると思うよな」
気を取り直して、心配の視線を向ける名前にピアーズは向き合う。
「……でも、キスは狙ってたかな?」
『!』
「だって俺のこと嫌いだったらあの時断ってるでしょ?」
男の色目は外せないほど魅力的。
がっつくだけの男とはちがう、読めないタイプの類いは同じでもウェスカーとも違う。
「してもいい…?」
名前は動揺から瞬きを繰り返し、視線を下げ膝の上で拳を作って答えを返せなかった。
彼は少女が怯えないように、欲はおくびにも出さず穏やかな雰囲気で若く張りある頬へ手を伸ばす。
「嫌なら逃げていいんだよ…?」
肌へ触れることが許されてもピアーズは幼き心に最後まで逃げ道を与える。
沈黙は承諾の証か、そう見なした彼はみずみずしい唇に自信の唇を重ねた。
ため息を着きたくなるほど心地好い弾力、つるんとした薄い粘膜が離れ際、名残惜しそうに離れていった感覚がピアーズを興奮させる。
向き合って不慣れな様子の初々しさも、リードのしがいがあっていい。
「…!」
だが余韻に浸る前に彼はあることに気づいてしまった。
「……君、男がいたの?」
『へっ!?』
名前は何のことかわからない。
ピアーズは意外性に驚いている。
名前は驚かれていることに驚いている。
互いに驚いていることに混乱して驚きは止まらない。
「人は見かけによらないなぁ…」
『えっ!?ち、違いますよ!』
嘘言うなよ、にっこり無言のじと目の彼の瞳が物語る。
『た、確かに男の人とは住んでます。あなたがどうしてわかったのかわかりませんがそこは合ってます。ただし付き合ってません!私を引き取っていてくれる方で、本物の警察官なんです!』
なんだかいらないことまで言ったような気がしたが、ピアーズもなんのこっちゃと顔をしかめる。
『と、とにかく相手は私に興味がないんです!』
はっとした。付け加えるようにパッと口を出た言い訳に、少女ら自ら心を抉った。
どういう経緯で一緒にいるかは知らないが、名前を落ち込みようを見た察しのいい彼は、少女が少なからず相手に思いを寄せていると悟る。
ピアーズは思う、興味がないなんて絶対に嘘だ。どんな奥手か知らないがメッセージを送って危機感を持たせてやろう。
「…よし、じゃあ気にしてもらえるように一工夫してみよう」
『……?』
―――少女に恋愛を説くよりよっぽど効果が出るはずだ。
「あ、でもこれだけは聞いておこうかな。相手はどんな正確?怒りっぽい?暴力振るわれたことある?」
『そんなこと一度もありません!…彼は…いい人です』
「ああそ。じゃ、問題ないね」
「ちょっとごめんね」、そう言ってピアーズはジャケットの裾を名前の首筋に擦り付けた。
「キスマーク付けてもいい?」
「キスマーク」という言葉。少女にはいまいちピンと来なかった。興味本意で首を縦に振るとピアーズが首筋に顔を埋め口づけを受ける、吸われて、チクッと小さな痛みに跳ねた。
事が終了したのか、離れたピアーズに見つめられる。
『…お酒、注ぎましょうか?』
名前の一言にピアーズは笑いガクッと項垂れ撃沈した。
「それわざと?」
『えっ!?…えっ!?』
「違うよなー…」
雰囲気ないのは天然か、狙ってないところが狡い。
「もう帰りたいって言うかと思ったよ」
『そんなこと言いませんよ!』
====言わぬが花====
「楽しかった。ありがとう」
『こちらこそ今日は助けてくれてありがとうございました』
最後にキスを送ろうと名前がぎこちなく顔を近づけたとき、ピアーズは手で自分の口を遮り手のひらを彼女に見せた。
「口じゃなくてここがいいかな?」
彼は頬を人差し指でポンポンと指さす。少女はピアーズの労りに感謝して親交のキスを頬に送った。飾らない香水の香りはウェスカーとまた違った匂い。
名前の首筋にはキスマークが2つ。
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