Straight To Video | ナノ

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真っ暗。目覚めの直後のように瞼が重くて持ち上がらない。物にぶつかったり落としたり、耳は慌ただしい生活音を拾う。

『……クリス?』

騒々しさからなんとなくそう思った。寝言のように何度か、ぽつりぽつりと名前を呼んだ。ジルはこんなに動き回らないだろうし、その証拠に足音が近づいてきた。

音が止んで、クリス…とまた名前を呼ぶ。名前の頬に彼が触れてくれた感覚。彼女も摩り寄せて応える。口先に柔い当り。どんなドルチェより甘い舌先。頬張れば至福の一時。


『……あまい』

そう、甘い。てっきり喫煙者だから苦味があると思っていたけど、そうじゃなかった。

暫し堪能した口付けが終わり、手が離れていく。遠退く足音はドアが閉じられる音と共に消えた。


『………』

軽くなった瞼を開くとそこはいつもの白い部屋のベッドの上だった。よほど寝惚けていたのか、横になった状態ではなく、体を起こした体勢で目が覚めた。
名前は一人納得する。さして驚きもしなかったのは夢だったからか。
どこか心の中でクリスをそういう対象として見ていたのか、それとも単純に欲求不満でこんなふしだらな夢を見てしまったのか。どちらにしても酷く惨めな気持ちになる。

喚く。暴れる。色々試した。しかし結局名前の行動はベッドの上で大人しくじっとするに辿り着く。いつも時間通りに現れる人は消え、検査に歩き回ることもなくなり、食事さえろくにありつけない。頻度にして平均一日一食、最悪三日に一度。監視カメラなんて飾り同然だ。洗面台の小さな鏡に写る自分が日に日に痩けていくのははっきりわかった。

有り余る時間は読みたくもない本を開き、訳のわからない専門用語の羅列を目で追って過ごす。当然こんな環境で熟睡できるはずもなく、夢を見る機会が増えていった。しかし夢は密かに名前にとって唯一の逃げ道になっていたのである。別の現実を過ごせる特別な空間だった。

彼女は肩を落とす。夢の中で死ねたらよかったのに。


『……』

触れた唇は濡れていた。


―――――――――――

「オイ、実験体××-×××にエサは持ってったのか?」

「あっ、忘れてたよ」

今から持っていくよ、と研究員は口先だけで研究作業を続ける。

「頼むぞ?あれはまたいざって時に必要になるかもしれないからな」

「わかってるよ」


ウェスカーは彼らを横目に会話を聞いていた。名前とて馬鹿ではない。自分の扱いが変わっていることに気づいているはずだ。
逃げ出していた数日間の間に研究は一段落し次の段階へ、研究員達の関心は新たな利益となる回復力の高い量産型のB.O.W.へと向いていた。

名前に残された存在意義はオリジナルの保存という名目。

人として死から蘇るという例としては珍しいが、本人が窮地に立たされた時のみ変化するのであって、普段からの効率良い使用法がなかった。当初こそ注目されたが、さほど大きなプロジェクトでなかったため、名前が知らぬ場では彼女が息絶えようと大きな損失が生まれる訳ではない、という現実があった。


全60ページ

All Title By Mindless Self Indulgence
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