小説 | ナノ

島の夜



「―――」

……何か、聞こえる。

「―――おい」

頭が……痛い。

「いつまで寝てる気だ」

重い瞼を必死に持ち上げる。そこに見えたのは、すこぶる不機嫌そうな金色の目。あぁこれが鷹の目なんだと、ついどうでもいい事を考えてしまう。

「眠るのは勝手だが、行く先くらい告げろ」

「ぅあ……」

そんな間の抜けた声しか出ない。鷹は何を考えたか、私の頬を掴み、そのまま上に持ち上げた。

「ふゎ……ぅはよぅ」

何て事をするんだ。

「挨拶など要らん。船はどこへ進めれば良い?」

「ひゃいほ、ほぅ……りしぃひしるり……」

「解るように話せ」

……じゃあその手を離してくれ。

そう言うだけの気力も湧かなかったから。私は懐から永遠指針をひとつ取り出し、鷹の胸元に押し付ける。やっと解放された頬を、もう一度枕に埋めた。

「……よろしく」

聞き覚えのある深い溜め息が聞こえたけれど、気にせず二度寝と洒落込もう。





―――島の、土の匂いがする。

ゆっくりと目を覚ますと、私は故郷の土に転がっていた。もう鷹の姿も無い。

「……なんて扱いだ」

身体中が痛いじゃないか。それにしても、挨拶くらいさせてくれたっていいだろうに。腹は立つけれど……まぁ無事に帰って来れたし、良しとするか。居なくなればなったで寂しいもんだなぁなんて。そんな事を考えながら家路についた。

この島には、豊かな緑と小さな漁師町しかない。カームベルトに近いこの島では、年に一度、漁師がこぞって海王類を仕留めてきてその大きさを競い、一年の大漁を願う祭りがあるくらいで。それ以外は至って静かで穏やかな。……いい島だ。

暫く山手に歩き、森を抜けた所にぽつりとあるのが私の家と鋳造小屋。部屋に入ると、それまでの疲れが一気に押し寄せてくる。とりあえず先に、シャワーでも浴びようと浴室へ向かう。

勢い良く扉を開けたその瞬間に、目に入った物は。

風呂の縁に肘を掛け、悠然と寛ぐ髭親父。

「……」

とりあえず、扉を締めて。そしてもう一度開けてみても、やっぱり、居る。おまけに……目が合ってしまった。

「助かった、どれだけ探してもタオルが見付からなかったんだ」

なんの躊躇いも無く湯船から上がろうとするもんだから、慌てて後ろを向いた。

「い……今時の七武海は、鍛冶屋と風呂屋の区別も付かないのか!」

言いたい事が山程あるのに、ついそんな下らない事を口走ってしまう。

「起きないなまえが悪い」

風呂場から上がる湯気で、視界は真っ白になる。私の頭の中といい勝負だ。

「仕方無いから、漁師に尋ねてここまで来た」

私はと言えば、背中を向けたまま声も出せずにいる。

「……少しは運んでやったが、想像よりも重たいから捨てて来た」

……こいつが荷物のように話しているのは間違い無く私の事だろう。

「た、頼むから服を着てくれないかな……タオルならその棚の中だから」

「疲れた、おれは寝る」

………………………………は?

そう言うと、タオルを腰に巻いた裸髭親父はぺたぺたと去っていった。

その格好で、私のベッドで寝る気か!

振り返って文句を言う隙も勇気も無く、壁に張り付いたまま立ち尽くすしか無かった。





シャワーを済ませて浴室から出た時に、とんでもない失敗をしたことに気付く。服も下着も、自分の部屋に置いてきているのだ。家に他人を招き入れることの少ない、悲しい習慣がこんな所で仇になる。かと言って、いつまでもこうしている訳にはいかない。

……どうせ寝ているだろう。

タオルを巻いて、その部屋の扉をゆっくりと開けた。なるべく音を立てないように。……何よりベッドの上を見ないように、クローゼットに近づく。服と下着を掴み振り返ると、そこに立掛けてあるのは黒く光る大刀で。そんな場合じゃない筈なのに、今なら触れるかな、なんて下心がつい頭をもたげる。

その柄に手を伸ばした瞬間だった。

「子供に振らせるような刀は無いと、そう言った筈だが」

耳元のすぐ側で、低い声が響く。

いつの間に起きたのか。いつの間に後ろに回ったのか。分からないけど伸ばした腕は、大きな手にしっかりと掴まれていた。

「子供じゃない!」

振り返るのは怖かったから、背中越しにそう叫ぶ。すると突然腕を引かれたものだから、奴の腹にもたれるような格好になってしまった。

「ほう」

……こいつ、やっぱり服を着てない。

「なら証明して見せろ」

な……

丁重に断る前に、鷹は私の肩を甘噛む。

「え、あ!悪かったよ!だから……っ」

舐めるな!馬鹿!

「何のつもりだ!」

残った腕でその体を押しやってみても、びくとも動かない。

「子供じゃないなら分かるだろう」

本気か、こいつは。

「うわっ」

急に視界がひっくり返る。次の瞬間には、ベッドに放り投げられていた。重ね重ね、なんて扱いだ。

「怒ってるなら、謝るって…………っ!」

急いで体を起こそうとしたその時、ぺろりと口の端を舐められた。

「それで?」

まるで笑いを堪えているように、細くなる金色の目。人をからかうにしても、なんて悪趣味な手に出るんだ。一瞬でも、冷静さを失いそうになった自分に腹が立つ。それでも簡単にタオルを剥がされて、背に腰に柔らかく溶けていく唇。

「ちょ、っと、待ってってば!」

「嫌だ」

子供なのはあんただろうと、突っ込む余裕も無い。

まずい。今日まで生きるために数え切れない難事を乗り越えてきた筈なのに、焦る頭が空回るばかりで状況は全く好転しない。慣れない感触に体は切なげな悲鳴を上げ始めて、とにかく自分に自信が無くなって来た。

残った理性を振り絞って、最後の賭けに出る。

抵抗をやめて大人しく身体を預けてみれば、彼は訝しげに顔を上げた。その金の目に向かって問いかける。

「こうしたら……あの黒刀を振らせてもらえるんだろ……?」

すっかり上がってしまった息を必死に抑えながら、ようやく言葉を紡いだ。

「お前は」

胸元を、深いため息がくすぐる。

「どこまで阿呆なんだ」

「な、……っ」

抗議の言葉は、鎖骨あたりに走った鋭い痛みに遮られた。

「そんな強がりに負けてやれる程……」

ぎり、と噛みつけられたまま、骨に響くような低い声が直接肌に触れた。

「俺は優しい男ではない」

負けてしまったのは、私の理性の方だった。




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