酒酔人 〜鰐の爪 鷹視点〜
おれは、自分の目を疑った。
用事を全て済ませ、港に戻ってみれば。夜と朝の境界線を背負い、まるでそれらを絶つかのように静かに刀を振る一人の影。
軽やかでいてなお鋭く、其処だけ重力が抜け落ちているかの様な。
おれが驚いたのは何より、その小娘がなまえだと気付いてしまったから。
それはおれの知らない、水の様に透明な表情で。強さ等は欠片も感じたりはしないが、ぞくりとする程美しいと、……そう思った。
あんな風に刀を振る者を、残念な事におれは他に知らない。
つい時間を忘れて眺めていたが、暫くして様子がおかしい事に気付く。足元が、心無しふらついているような。見る間にそれは大きく危なげな物へと変わる。
「……あの馬鹿が」
急いで駆け寄ったその瞬間に、船縁から足を踏み外すのが見えた。襟元を掴んで辛うじて落水は避けたが、猫を摘み上げるような格好になった。
遠くで眺めていた時は気付かなかったが、相当に汗をかいているらしい。一体、何時間こうしていたんだこいつは。
「何をしているのだ」
「鰐の……爪、死んだらさ……」
穀物系の酒の、甘い香りがした。
「貴様、酔っているだろう」
力無く身体を預けてきたりするものだから、甘い香りは、より濃いものとなる。
「私のとこ、帰って……こな……」
肩にかかる小さな指に少しだけ力を込められ、そこに小さな皺を造った。
「鰐の爪が、どうしたと言うのだ」
答えの代わりに帰って来たのは
くぅ、と言う小さな寝息。
尋ねたい事は山程あった。頬を叩いてみても、その目が開かれる事は無く。何だか無性に腹が立った。
穏やかに上下する小さな肩と細い腰を抱え上げて舟の端に放り込み、定位置に戻ろうと立ち上がった時。
「………………」
規則正しい寝息はそのままだというのに、コートの裾を小さな手が掴んでいる。
溜息と共に。胸に残る甘やかな香りも、東雲の潮風にゆるりと溶け昇っていった。
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