鰐の爪
この街での私の仕事は全て終わってしまった。出発までには、潰しきれない暇がある。
……あ。
良いことを思い付いた。七武海がここに集まっているなら、きっとあの男も来てる筈。鰐さんを探しに行こうじゃないか。あの男を探すのは簡単だ。小綺麗に整えられた敷地内で、不自然に立ち枯れた草木が点々と続く場所がある。
そこを辿れば……
「……なまえじゃねぇか」
ほら、ワニ見っけ。
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そこは、このお堅い街に唯一ある酒場で。挨拶もそこそこに、その鍵爪を掴み取る。
「これはまた……酷い扱いだね」
鰐の鍵爪はよく見ると、欠けたり歪んだり。おまけにどこぞの輩の血錆まで付いている。
「こんな所で何してる?」
「別に、やっつけ仕事を終えた所」
鰐とは砂の国で、一度だけ会った事がある。大量に武具の注文をよこしてくれたけど、なんとなく断った。その代わりに、ボロボロだった鍵爪を打ち直して帰った事をよく覚えている。その時から、まだ一年と経ってないというのに。
鍵爪をぐいと引っ張ってみる。
「あぁ?何がしてぇんだ」
「そこまで歪んでたら、一度火を入れなきゃ直せないよ。ここじゃ迷惑だろう?」
「そんな注文、出した覚えは無ぇがな」
鰐はぴくりとも動かない。
「お代なら、そうだなぁ……ここの飲み代って事で」
「……酒の相手が欲しいなら、最初から素直にそう言え馬鹿野郎」
小さく舌打ちすると、しぶしぶと立ち上がる。
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火を立て、船から持ち出した有り合わせの道具で鍵爪を打ち直して行く。
「国じゃ英雄なんて言われてるんだろう?英雄の片腕がこんなんじゃ、格好が付かないじゃないか」
水で十分に熱を取った後で、丁寧に磨き上げていく。
「……下らねぇ」
「あのさ、あんたがいつか死んだ時……この鍵爪はどうなるのかな?」
長い沈黙。
「知るかそんな事」
ふんと鼻を鳴らして横を向いたきり、その問いには答えてくれはしなかった。
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結局日付を超えるまで飲み倒し、そのまま鰐は島を出て行った。なんて体力だと呆れて背中を見送ったけど、私の心の中はいつまでたっても手に入らない“答え”の事で一杯だった。
船旅で疲れた身体に深酒は少々堪えた様で、どうにも足元がゆらゆらする。
鷹の目より一足先になるけれど、船に戻る事にしよう。船にはぽつりと、布にくるんだ刀が残っていた。
……先代の仕立てた刀。
持ち手のいない刀程、哀しい物は無いだろうから。こいつと生涯付き合えるような相方さえ見付かれば、いつでも譲る気で持ち歩いていた。けれど残念ながら、それに見合うような剣士とは今でも出逢えないままでいる。
丁寧に布から外し、鞘から抜いて見る。凛とした刃姿は、持ち主を失ってもその輝きを決して曇らせたりはしない。空へとその刃を踊らせれば、刀は驚くほど柔らかく滑り……
風を切るその音まで美しいと思えるのは、私の頭まで酒が回っているからだろうか。先代の仕事の凄い所は、刀身におけるこの絶妙な重心の計り方だ。それは初めて触れる刀でさえも、遠い昔から体の一部であったかのような錯覚に落ちる程。
振れば振るほどに軽くなる刀を、悔しいけれど、私は他に知らない。
『あのさ、あんたがいつか死んだ時……この鍵爪はどうなるのかな?』
『知るかそんな事。』
先代との声の無い対話を遮る様に、そんな言葉が頭をよぎる。忘れたい事は決まって、望みもしない時に訪れるのだ。
●
それからどれだけの時間『対話と会話』を繰り返したか。なんだか、世界が回っているような気がする。足元が……見えない。
(……あぁ、まずいな……)
船縁から足を踏み外しかけた時、首根っこを掴んだのは、見覚えのある羽根付き帽子の男だった。いつの間に朝を迎えていたのかも分からない。
「何をしているのだ」
私は何故か急に安心して、考える事を全て止めた。
「鰐の……爪……死んだらさ……」
「貴様、酔っているだろう」
「私のとこ……帰って……こな……」
「鰐の爪が、どうしたと言うんだ」
意識はそこで途絶えてしまったけれど。
鷹に抱き留められているその体温だけが、身体中をやんわりと巡っていた。
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